三十二番札所 斑鳩寺 と 二十七番札所 鶴林寺

暇があれば、寺社仏閣めぐり。これ基本です(^.^)
先週のことになりますが、またも新西国のお寺におまいりしてきました。新西国は意外と地元・兵庫のお寺が多いのがいいですね。
今回は、揖保郡太子町と、加古川にあるお寺。意外と遠かったなぁ・・・(^^ゞ
■斑鳩寺(いかるがでら)■
「斑鳩寺(いかるがでら、はんきゅうじ)は、兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所第32番札所。
伝承によれば、606年(推古天皇14年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。
606年、聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。
長らく大寺院であったが、室町時代後期の1541年(天文10年)、守護大名である赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に、播磨を地盤とする赤松氏等が発願し、徐々に復興していったとされる。また復興を機に、従来法隆寺支院であったのを天台宗へ改めた。」(Wikipediaより)
01山門  02三重塔
左:かなり大きな規模の仁王門。むかしは大寺院だったんでしょうね。
右:仁王門をくぐって右手にある三重塔。室町時代後期、永禄8年(1565年)建立で、宝暦4年(1754年)、昭和25年(1950年)に修理されています。重要文化財。
03講堂  04供養塔
左:講堂。本堂や金堂に相当するものと思います。本尊である釈迦如来坐像・薬師如来坐像・如意輪観音坐像が祀られています。これらの仏像はすべて重要文化財指定です。
右:講堂の東側にある、赤松政秀・赤松広英の供養塔。応仁の乱で戦禍を受け灰燼に帰した、当寺を赤松氏が再建に努力したと伝えられています。
05聖徳殿  06聖徳殿奥殿
左:聖徳殿。法隆寺夢殿を模して造られ、太子十六歳像を祀っています。
右:聖徳殿に密接して奥側に、奥殿が建てられています。発覚形の形の建物で、まさに夢殿を模しているといえるでしょう。
お寺の近くにある、太子町立歴史資料館にも足を運んでおきました。
歴史資料館01  歴史資料館02
小さい建物だなぁと思いきや、意外なほど広かった。ここには太子町にまつわる歴史的な品々を展示してあります。無料ですので、是非立ち寄ってみてください。
次の目的地は、加古川にある鶴林寺。以前行ったことあるんですが、そのときは新西国巡礼のことは知らなかったので、ご朱印をもらうということをしてなかったんですね。今回、ご朱印をもらうべく改めて訪問したというわけです。
■刀田山 鶴林寺(とたさん かくりんじ)■
「鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県加古川市にある仏教寺院。山号を刀田山(とたさん)と称する。宗派は天台宗、本尊は薬師如来である。
近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つとも言うが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を抱えるため、西の法隆寺とも言われている播磨地方有数の古寺である。
伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立、その後養老2年(718年)身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。ただし、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったと想像される。創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。
鶴林寺には、現に奈良時代の銅造聖観音像があり、金堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像であることから見て、かなり古い歴史をもつ寺院であることは間違いない。
現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には寺坊だけで30以上を有する規模であった。」(Wikipediaより)
01山門  02三重塔
左:仁王門。播磨の古刹といわれるだけ会ってかなり立派です。寛文12年(1672年)建立で、県指定文化財。
右:三重塔。室町時代の建立で、これも県指定文化財。
03行者堂  04本堂
左:前回、修理中だった行者堂。応永13年(1406年)の建立で重要文化財。
右:本堂。室町時代、応永4年(1397年)の建立。秘仏の薬師三尊像と二天像(各重文)を安置しています。本堂自体は国宝に指定されています。
05太子堂  06護摩堂
左:前回、これも修理中でまったく見ることが出来なかった太子堂。今回、見ることができて感激です。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれていますが、元来は「法華堂」と称された堂で、法華堂建築として最古の遺構だそうです。天永3年(1112年)の建築で国宝に指定されています。
右:護摩堂。室町時代、永禄6年(1563年) の建立で、こちらは重要文化財。
07鐘楼  08阿弥陀如来
左:鐘楼。室町時代、応永14年(1407年)の建立で、梵鐘とともに重要文化財です。
右:新薬師堂に祭られている阿弥陀三尊。本堂の阿弥陀本尊は秘仏のため、参拝者がいつでも拝めるように作ったといわています。
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隣接する鶴林寺公園に保存されている、C11形蒸気機関車です。
どちらのお寺も、見ごたえありましたね。特に鶴林寺は、2回目の訪問にもかかわらず、太子堂を見れたおかげで、新鮮に感じました。
奇しくも、聖徳太子に縁のあるお寺を2つ、同じ日に巡ることになるとは・・・。わたしもなんかご縁があるかな?(^.^)
新西国巡礼も残すところあと3つ。終わりは近いです。ここまでくると、なんか名残惜しいですねぇ。

立木山寺と神呪寺

天気のいい休日はお寺巡り! ということで滋賀ある新西国、西国の札所をを巡ろうと、勢いいさんで出てきたものの、現地で西国の御朱印帳を忘れてきたことに気付き愕然(T_T)
ご朱印帳無しでお寺に行くことは、2度手間になってしまうため、泣く泣く新西国の2ヵ所だけ参拝して来ました。
■新西国第二十番札所 立木山 立木山寺(たちきさん たちきさんじ)■
「立木山寺(たちきさんじ)は滋賀県大津市にある浄土宗の寺院。新西国三十三箇所の20番である。正式の寺号は「安養寺」(あんようじ)といい厄除けの寺院として知られる。「立木観音」の通称でも知られており地元では「立木さん」とも呼ばれる。
寺伝によれば、815年(弘仁6 年)、空海(弘法大師)がこの地に立ち寄った際、瀬田川の対岸に光り輝く霊木を見つけた。ところが川の流れが速く、渡れないでいるところに白鹿が現れ、大師を背に乗せ対岸まで導いてくれた。白鹿はたちまち観世音菩薩に姿を変え、虚空に消え去ったという。この奇跡に感服した弘法大師は霊木に五尺三寸の観世音菩薩像を彫刻し、それを本尊としてこの寺を建てたという。この時、空海が厄年の 42歳であったとされるため、広く厄除けの霊験あらたかな観音像として信仰されることとなった。
当寺は現在浄土宗に属するが、空海開基の伝承をもつことから、創建当初は真言密教系の寺院であったと推定される。」(Wikipediaより)
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境内に行くまでにこの約650段の階段を登っていかなければなりません。階段自体は段差がそろっているので登りやすいかと。
参道の途中に信者の作と思われる和歌や俳句を刻んだ石碑がいくつか建てられています。
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左:本堂。本堂に安置されている本尊は立木聖観世音菩薩。伝承では弘法大師自作らしいです。
右:本堂左の鐘楼を越えてすぐのところにある奥の院。この奥の院には道了権現大菩薩が祀られています。
瀬田川01  瀬田川02
立木山寺は瀬田川河畔にあります。仕事で横を通ることがあるんですが、川をまじまじと見たのは初めて。いい景観だったんですねぇ(^.^)
本来の予定なら、このお寺のあと、西国札所の岩間寺、石山寺を拝観する予定だったんですが・・・(T_T)
こうなったら、自宅の近くでいつでも行けると思ってた、西宮市の札所へ行くことに決めました。

■新西国第二十一番 甲山 神呪寺 (かぶとやま かんのうじ)

「神呪寺(かんのうじ、神咒寺)は兵庫県西宮市甲山山麓にある仏教寺院。山号は甲山。真言宗御室派別格本山。甲山大師とも呼ばれ、地元では「お大師さん」とも呼ばれている。
寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ、真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようだ。(Wikipediaより)
兵庫県西宮市甲山町にある寺。真言宗御室派に属する。山号は甲山。通称甲山大師で知られる。寺伝によると、淳和天皇の妃真井御前(まないごぜん)が弘法師空海に帰依して出家し、如意尼(にょいに)と称し、831年(天長8)勅願を奉じて堂を建立したのに始まるという。その後、寺は栄枯盛衰を繰り返し、源頼朝が再興したが、天正年間(1573~92)兵火で諸堂を焼失。現本堂は江戸時代の建立。本尊の如意輪観音(国の重要文化財)は、空海が如意尼の姿を桜の木に刻んだと伝える秘仏(開帳5 月18日のみ)で、室生寺、観心寺の2体とともに日本三如意輪の一つに数えられる。(yahoo!百科事典より)」
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左:バスの通っている道路の南側に仁王門が建っています。江戸時代(1804年)建立で、仁王門としては珍しい三間一戸八脚門。西宮市指定重要有形文化財。
右:本堂。現在の本堂は江戸時代に建立されたらしいです。本尊の木造如意輪観音坐像は重要文化財。年に一度しか拝顔することはできません。
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左:本堂左隣にある大師堂。木造弘法大師坐像(重要文化財:大師58歳の頃を模して造られた)が祀られています。
右:神呪寺が開創されてから1150年目にあたる昭和55年に建立された多宝塔。
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境内の展望台から眺める西宮市。
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多宝塔の右に甲山山頂へ続く山道がありましたので、せっかくだからと登ってみることに。
山といっても標高は309.2m。すぐに登りきることができますので、お弁当持って家族連れで山頂へ行くにはちょうどいいかも(^.^)
甲山03  甲山04
左:山頂にある三角点。 右:山道の途中で見る西宮の風景。
新西国札所も残すところあと4ヵ所。西国札所よりペースが速いので、間違いなく先に満願になりそうです。
岩間寺と、石山寺は、次回リベンジ予定。たぶん、5月中にはリベンジを果たせると思います。
目的地が目と鼻の先にあるのに引き返す悔しさったらありゃしないですよ、ほんと(^^ゞ

須磨寺と満願寺

5月4日も予定なし。予定のないときに出かけるのは当然お寺。この日も新西国の札所を攻めてきました。
行き先は、新西国24番札所・須磨寺と同13番札所の満願寺。ついでで行くにはちょっと距離のあるお寺(^.^)
神戸に住んでおきながら、須磨寺はまともに行った記憶のないところ。JR須磨駅で降りて、国道2号線の大渋滞を横目に見つつ、てくてく10分ほど歩くと到着。
■須磨寺■
「須磨寺(すまでら)は、兵庫県神戸市須磨区にある仏教寺院。真言宗須磨寺派大本山。山号は上野山(じょうやさん)。本尊は聖観音である。宗教法人としての公称は福祥寺。
886年に光孝天皇の勅願寺として聞鏡上人が創建した。源平合戦ゆかりの寺として知られ、「青葉の笛」など多数の寺宝を有する。」(Wikipediaより)
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左:本堂。慶長7年(1602)に豊臣秀頼が再建。本堂内宮殿(くうでん)及仏壇は重要文化財。
右:敦盛塚。この首塚(五輪塔)は、寿栄3年(1184)年2月7日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたもの。ちなみに、須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られているそうな。
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左:宝物館には源平ゆかりのものが展示されています。写真の鎧は敦盛のものだとか。
右:境内各所に面白いオブジェが置かれています。これは「ぶじかえる」というもの。
「ビックリしたい人は目玉を回して下さい。借金に困っている人は首を回して下さい。悩みが解消するかもしれません。」だそうです(^.^)
結構境内が広くて、奥院まで参っていたら、結構時間がかかってしまいました。これはまずいと思い、次の目的地の満願寺へ。
満願寺へは、JR川西池田駅でおりて阪急雲雀丘花屋敷駅へ歩いていき、そこから阪急バスに乗って10分足らずで着きます。電車とバスを使うと結構遠いと感じますねぇ。
■満願寺■
「願寺(まんがんじ)は兵庫県川西市にある仏教寺院。山号は神秀山 、宗派は高野山真言宗。本尊は千手観音菩薩。
寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建したという。平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えた。」(Wikipediaより)
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左:明治14年(1881)に再建された山門。洋風テイストが取り入れられているのか、珍しい形です。
右:金堂。本尊は千手観音菩薩。ほかにも、木造聖観音菩薩などが祀られているらしいです。
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左:坂田金時(金太郎)の墓。実在したらしいですが、いろいろな伝説はかなり誇張されている気がします。
右:源家の七塔 – 源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔。
図らずもどちらも源平にゆかりの深いお寺を同じ日に巡るることになりました。なんか、偶然とは思えないですねぇ・・・。

新西国 三ヶ所巡り

前日の天橋立ツアーの次の日も、ちょこっとお寺巡りしてきました。今回は以前行ったときにご朱印をもらい損ねた叡福寺と、その向かいの西方院へ行くことに。お昼前に家を出たので、この2つに絞ってお参りしました。
近鉄・喜志駅から金剛バスに乗って、太子前で降りると目の前がお寺。
■西方院■
「西方院は大阪府太子町にある浄土宗の仏教寺院。山号は南向山、寺号は法楽寺。
寺伝によれば、創立は推古天皇30年(622年)、開基は三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)。本尊は阿弥陀如来と十一面観音菩薩。
『河内名所図会』等に見える伝承によれば、622年に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前にその塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わる。」(Wikipediaより)
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左:こじんまりとした境内にあるこじんまりとした本堂。
右:本堂内陣。聖徳太子作と伝えられる阿弥陀如来像が祀られています。
肝心の三尼公廟所を撮ってくるのを忘れるというへまをしてしまいまして、ちょっと悔しいです・・・。
西方院の向かいが叡福寺。聖徳太子の墓所を守り鎮めるために建立されたというお寺だとか。
■叡福寺■
「大阪府南河内郡太子町にある単立寺院。もとは高野山真言宗。磯長山聖霊院と号し、磯長寺、上の太子、石川寺、御廟寺ともいわれる。
622年(推古天皇30)、聖徳太子が没すると当地の墓所に葬られ、推古天皇の勅により堂宇が建立されたのが草創。724年(神亀1)聖武天皇により七堂伽藍が整備された。
歴代の天皇に尊崇され、鎌倉時代には亀山上皇から荘園の寄進を受け、石高2万石に及んだという。また空海、親鸞、日蓮ら諸宗の高僧が崇敬し参籠した。1574年(天正2)兵火により焼失したが、1603年(慶長8)に豊臣秀頼により再興、聖霊殿(国の重要文化財)など諸堂が再建された。現在の多宝塔(国の重要文化財)、金堂、念仏堂などは再興後の建立。
境内正面奥の陵には太子の生母(穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后)と太子の妃も葬られており、三骨一廟といわれる。寺宝の文殊渡海図、高屋連枚人(たかやのむらじひろひと)墓誌は国の重要文化財。4月10~12日の聖徳太子御法会(ごほうえ)(上の太子御会式(ごえしき))は多数の参拝者でにぎわう。 」(Yahoo!百科事典より)
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左:金堂。享保17年(1732年)に再建されたものといわれ、本尊の如意輪観世音菩薩が祀られています。
右:聖徳太子廟。山門をくぐると真正面にあり、ここがお墓を守るために建てられたんだなぁと実感できますね。
その昔は、法隆寺と同じように東院(東福院)、西院(叡福寺)からなっていて、壮大な伽藍を誇ったそうです。再建後も規模は小さくなったとはいえ、十分見ごたえのあるお寺だと思います。
この日は、2つのお寺でおしまい。で、5月3日は京都での用事の前に、1ヶ所参っておこうかと思い、新西国の京都で唯一残ってた、大報恩寺、通称「千本釈迦堂」へ行くことにしました。
京都駅からバス・・・というのが、一般的な行きかたです。でも、実際は嵐電・北野白梅町駅で降りて、北野天満宮や平岡神社らとセットで回る方が効率がいいと思います。
■大報恩寺■
「京都市上京区溝前町にある真言宗智山派の寺。新西国三十三所第16番札所。山号は瑞応山。本尊は釈迦如来。一般には千本釈迦堂あるいは北野釈迦堂とよばれる。
鎌倉初期、1221年(承久3)藤原秀衡の孫にあたる義空によって開創された。その後、1223年(貞応2)に義空は大堂の建立を発願し、摂津の材木商の寄進を受けて1227年(安貞1)に完成。大恩教主釈迦如来へ報恩謝徳のため、釈迦如来を本尊として祀り、寺号を大報恩寺とし、倶舎・天台・真言の三宗兼学とされた。
その後、天台宗となり、江戸時代に真言宗となった。室町時代ころの寺領は、山城・播磨・丹波・河内など畿内諸国に及ぶ。江戸時代には朱印寺領100石を受けている。応仁の乱などたびたびの火災で諸堂を焼失したが、釈迦堂(本堂)のみは創建当時のままで、京都市内最古の木造建築として、厨子、棟木、棟札とともに国宝。本尊は快慶の弟子行快の作で、快慶晩年の作釈迦十大弟子像とともに国の重要文化財。また定慶作の木造六観音像6躯(付像内納入経8巻)、銅造誕生仏立像などの国の重要文化財を蔵する。おかめ節分会(せつぶんえ)や、中風よけ・諸病封じを祈願する12月7、8日の成道会(じょうどうえ)大根焚(た)きは有名。」(Yahoo!百科事典より)
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左:国宝である本堂。応仁の乱などの度重なる災害にも焼けることなく残り、京都市内では最古の仏堂建築物だそうで、霊宝殿とセットで拝観できます。霊宝殿の「六観音像」(伝定慶作)、「十大弟子像」(伝快慶作)は一見の価値ありです。
右:おかめ像。おかめ伝説に基づいて建てられたとか。この寺に伝わるおかめ伝説とは以下のとおり。
「本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし結果無事に竣工させることができた。おかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。」(Wikipediaより)
ちなみに、この大報恩寺より、EOS Kiss X2 にて、撮影しています。あんまり変化がないような気もしないでもないけど、これはトリミングしているからであって、オリジナルではまったく違うことがわかります。買ってよかったなぁ・・・と、思う今日この頃(^^ゞ

第十番 仏頭山上宮皇院 橘寺

■■第十番 仏頭山上宮皇院 橘寺■■
      (ぶっとうざんじょうぐうこういん たちばなでら)
朱印   山号:仏頭山上宮皇院
   宗派:天台宗
   本尊:聖徳太子像(本堂)
       如意輪観世音菩薩(阿弥陀堂)
   開祖:聖徳太子
   創建:(伝)推古14年(606年)
   御詠歌:仏いで 花ふるにはの ありけるに
                        遠きくにとは 何おもうらん 
   所在地:奈良県高市郡明日香村橘532
   拝観料:350円
                  拝観日:2008年9月22日
(概要)
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物をとりにいった田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
聖徳太子誕生の地に建ち、太子建立七大寺の1つとされる橘寺は、太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたものとされる。発掘調査の結果、当初の建物は、四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったことがわかっている。
皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。(Wikipediaより)


記念すべき新西国霊場巡りの一番目なのに、紹介が後回しになってました。実際にはここに訪れたときに、納経帳を購入したことがきっかけで新西国も西国と同時進行でめぐることになったんです。
西門  東門
左が西門で、右が東門。正門は東門だそうですが、観光客はほとんどが西門から入っていきます。
鐘楼  太子堂(本堂)
左:鐘楼の鐘は誰でも撞くことができます。この近くに塔心礎(五重塔跡)があります。
右:西門から入って右手に東向きに建っている太子堂(本堂)。元々は講堂で、元治元年(1864年)に再建されました。本尊として聖徳太子勝鬘経講讃像(重要文化財)が安置されています。
護摩堂  観音堂
左:護摩堂。不動明王が祀られています。
右:観音堂。藤原時代の作とされている如意輪観世音菩薩(重要文化財)が祀られています。
経堂  黒駒像
左:経堂。阿弥陀如来が祀られています。
右:「黒の駒」像。太子の愛馬で、空を駈け達磨太師の化身といわれ災難厄除のお守りになっています。
阿字池  三光石
左:阿字池。梵字の「あ」の字をかたどった池で聖徳太子が作ったと伝えられています。
右:三光石。聖徳太子が勝鬘経の講義を行った際、冠が日・月・星の光を放ったとされていることからイメージされた石らしい。
二面石  方生池
左:二面石と呼ばれ、善と悪、笑いと怒りの相が刻まれていると言われる石。向かって左が「左悪面」、右が「右善面」と呼ばれています。
右:方生池より往生院、聖倉殿を望む。これらは平成9年に再建され往生院には天井画260点が奉納されました。私が訪れたときはちょうど聖倉殿の特別公開時期で、展示さえれている重要文化財を含む寺宝を拝見することができました。
イチョウ  全景
左:境内にあった、大きなイチョウ。大人三人手を繋いでちょうど幹一周分でした。
右:寺前景。お彼岸の頃だったので、彼岸花がきれいに咲いてます。

数年前に訪れて、久しぶりの訪問でしたが、ぜんぜん変わってませんでした。今回は運良く、聖倉殿の特別公開が見れてよかったです。小さくても、なにかいい感じのするお寺です。聖徳太子ゆかりの寺はなにかあるんでしょうかねぇ?(^.^)

第二十三番札所 宝積山 能福寺

■■第二十三番 宝積山 能福寺■■
            (ほうしゃくさん のうふくじ)
syuin.jpg   山号:宝積山
   宗派:天台宗
   本尊:薬師如来(本堂)
       十一面観世音菩薩(新西国霊場)
   開祖:(伝)最澄
   創建:(伝)延暦24年(805年)
   御詠歌:ただ法(のり)の 宝を積みては るばると 
                        運ぶ歩みの 楽しかりけり
   所在地:兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
   拝観料:無料
                   拝観日:2008年9月30日
(概要)
寺伝では805年(延暦24年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており、1180年(治承4年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、1341年(興国2年/暦応4年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、1599年(慶長3年)に長盛法印が再興したという伝がある。
またこの寺には国の重要文化財の木造十一面観音像がある。(Wikipediaより)



有休消化日だというのに、雨模様。でも、少し小降りになってきたところを見計らって近場のお寺を巡ることにしました。兵庫に大仏があるのは聞いたことがありますが、そこが札所になっていることまでは知りませんでした。
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左:兵庫駅を降りててくてく歩くこと10分あまりで、どどーーんと大仏様の背中が。こちらからは入れないので正面に回ります。
右:境内へは通常、大仏前の門から入ることになります。本堂正面にも門があるのですが、こちらは閉ざされています。
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奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏(これには異論があるそうですが)の一つ兵庫大仏。
初代は明治24年(1891年)に兵庫の豪商南条荘兵衛が寄進したもので、昭和19年5月(1944年)の金属回収令で国に供出し、長い間台座だけになっていました。
現在の大仏様は二代目であり、多数の檀徒市民や企業の協賛により47年ぶりに再建され、平成3年5月に開眼法要が行なわれました。ちなみに大仏の高さは11m、台座の高さは7m、重さ約60トンで総工費は約5億円だとか。
大仏の台座の建物には重要文化財の「十一面観世音菩薩立像」が安置されてるそうですが、非公開のようです。
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左:大仏に向かって左側にある、神戸事件の犠牲者である滝善三郎正信の顕彰碑。
「慶応4年(1868)1月11日明治新政府より警備を命じられた備前藩が、三宮神社付近で行列を横切ろうとした外国軍水兵を刺傷した事件が神戸事件である。
明治新政府が日本を代表する交渉相手である旨を外国に対して初めて明らかにして折衝にあたった結果、その第三砲隊長であった滝善三郎正信が全責任を負い、永福寺において慶応4年2月9日に切腹することとなりました。
同寺に建てられた滝善三郎供養碑は現在、能福寺の境内に移されています。」(web上の解説より)
右:平清盛の墓「平相国廟」。平清盛の八百年回忌を迎えるにあたり、昭和55年に平相国廟がここに再建されたそうです。中央の十三重石塔は弘安9年(1286年)に執権北条貞時が平家一門の盛衰を哀れみ、清盛の霊を弔ったときに立てたものだと言われ、現在に伝わっています。
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當勝稲荷大明神となんかファニーなお顔の観音様。
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本堂です。京都東山の泉涌寺寺域の墓陵(月輪御陵)にあったものを昭和28年(1953年)に宮内省と九条家より移築されたもので、「月輪影殿」とも言います。平成7年の阪神大震災で大破しましたが、平成12年に以前の姿に復旧しました。
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左:ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑(日本最初の英文碑)。写真の左は北風正造君碑(兵庫の勤王豪商・碑文は伊藤博文揮毫)。
右:本坊。ここで御朱印をいただきました。ちなみに、能福寺は旧院家(京都青蓮院門跡の院家:門跡不在時の代理を務める格式の寺)であります。昔は格式の高いお寺だったんですね。
大仏はあるは、平清盛のお墓はあるは・・・と小さいお寺なのに史跡や見所が満載。どでかい大仏様を見るために訪れるのも決して損はないと思いますよ(^.^)

第二番札所 佳木山 太融寺

■■第六番 佳木山 太融寺■■
            (かぼくさん たいゆうじ)
朱印   山号:佳木山
   寺格:準別格本山
   宗派:高野山真言宗
   本尊:千手千眼観世音菩薩
   開祖:弘法大師
   創建:弘仁12年(821年)
   御詠歌:逢ひがたき 法の佳木を 得たる身は 
                         苦しき海に などか沈まむ
   所在地:大阪市北区太融寺町3-7
   拝観料:無料
                   拝観日:2008年9月23日
(概要)
当寺は弘仁12年(821年)にこの地に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建されました。ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。当時を偲ぶ境内地の名称は今に伝えて、太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等として残って居ります。
 元和元年(1615年)5月、大阪城落城のとき兵火で全焼しましたが、元禄年間に太堂、南大門など諸堂25棟が復興して、“北野の太融寺”と市民に親しまれ大いに栄えました。
 昭和20年(1945年)6月戦災で堂塔伽藍一切が灰燼に帰しましたが、ご本尊千手観世音菩薩は無事難をまぬがれました。戦後再建に着手、本堂、大師堂、不動堂、宝塔、客殿、本坊、庫裡、鐘楼、東・西・南・北門、御供所20余棟が復興しました。 (公式サイトより)



大阪北の繁華街の中にあり、前は通ったことのある太融寺。新西国霊場に入っていなければ訪れることはなかったでしょう。これも何かの縁かもしれませんな(^.^)
外より寺を見る  西門
左:梅田(大阪)駅から東に歩いていくと太融寺に到着します。
右:西門。正門ではないようですが、ほとんどの人がここから出入りしています。源融(光源氏のモデルといわれているそうな)にちなんで「源融公之旧跡」と刻まれた石碑が立っています。
鐘楼  本堂
左:鐘楼。鐘楼は、昭和48年(1973年)の再建。梵鐘は延宝3年(1675年)の鋳造です。
右:本堂は昭和35年(1960年)の再建。本尊は千手観世音菩薩で嵯峨天皇の念持仏(平安時代作)だとか。ちなみに秘仏ですので、普段はお前立ちの観音様を拝むことになります。
ぼけ封じ観音  境内石塔
左:左の鳥居は白龍神社。中央はぼけ封じ観音。ここはぼけ封じ三十三観音霊場第七番札所でもあります。
右:境内の庭にある石塔。
多宝塔  弘法大師像
左:手前が客殿。奥の朱塗りの塔が多宝塔です。一層には一願不動明王が安置されています。その上の層には本尊の大日如来が安置され、三層は経蔵で奉納された写経を納めています。
右:開祖である弘法大師の像。
大師堂  護摩堂と不動堂
左:太子堂。
右:護摩堂と不動堂。一願不動さまというので、願掛けてきましたよ。一願だったかどうかは定かではないけど(^^ゞ
淀君の墓  南門
左:境内の北西隅にある「淀君の墓」。太融寺の由来によると、
「元和元年5月(1615年)、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は淀君の崇敬が殊のほか篤かった大坂城外鴫野弁天島(現在の大阪ビジネスパークの辺り)の「弁天社」の隣に一祠を作って埋められた。これが「淀姫神社」である。
明治10年11月(1877年)、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り、この「淀姫神社」が生国魂神社に移祀されることとなり、豊臣家に縁の深い当寺に埋め「九輪の塔(戦災により損傷し六輪となる)」を建て境内西北隅に祀った。」、ということだそうです。
右:南門。本堂の正面に位置することから、こちらが正門になると思われます。この門から出ると、目の前がラブホテル街(^^ゞ
比較的新しい上に、繁華街の真ん中にあり、まわりがビルばかりということで、ものすごくごった煮感のあるお寺です。大阪らしいといえば大阪らしい・・・のかな?

番外 有栖山 清光院 清水寺

■■番外 有栖山 清光院 清水寺■■
     (ありすやま せいこういん きよみずでら)
朱印   山号:有栖山
   宗派:和宗
   本尊:十一面千手観音菩薩
   開祖:不詳
   創建:不詳
   中興:寛永17年(1640年) 延海阿闍梨
   御詠歌:たふとしや 大江の岸の 観世音
                     滝も玉出の 名にかがやきて
    所在地:大阪府大阪市天王寺区伶人町5-8
   拝観料:無料
                  拝観日:2008年9月23日
(概要)
清水寺(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山。詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)。和宗総本山・四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録。
大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られている。
京都の清水寺 を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも。旧本堂(2008年5月現在、墓地)の西側の崖に柱を組み上げて作った舞台があり、京都の清水寺を彷彿とさせる。
創建の時期や事情については判然としない。もとは有栖寺(うすじ)と称していた。
寛永17年(1640年)に延海阿闍梨(えんかいあじゃり)により中興された。延海は観世音菩薩の御告げを受けて、京都の清水寺を模した舞台造の本堂を建立し、本尊として京都の清水寺から迎えた千手観音像(聖徳太子作の伝承をもつ)を安置した。当寺の境内は北・西・南の三方が崖になっており、往時は大坂の街や大阪湾を見渡す眺望の地であった。(Wikipediaより)



四天王寺のすぐ近くにあるので、まとめてお参りすることができます。ただし、結構分かりにくいところにありますので、地図を印刷していくといいかと思います。
清水坂  墓地側通用門
四天王寺夕陽丘駅の南西の出口を出て南に歩き、星光学園の南の筋を西に入ると、しばらくして清水坂に出ます。ここを左に曲がって門の左手の通用門が入口です。わたしは気付かずに坂を下り、東側の通用門から入りました。
境内  鐘楼
左:2、3年前台風の被害を受けて本堂、鐘楼などの建物は修復されることなく取り壊され、跡地を墓地として分譲しているため、境内は墓地だらけです。左に見えるのが納骨堂。そばに立っているのが「子育地蔵尊」。病気の平癒、除災招福、子供の守護や子授けに霊験があるとされています。
右:舞台(昔は京都の清水寺の舞台のようであったらしい)の隅に建つ鐘つき堂。すごくモダンな感じです。
地蔵堂  仮本堂
左:納骨堂の横、一段低いところにある地蔵堂。このあたりに本堂を再建する計画があるそうですが、大丈夫かな・・・と思いますねぇ。
右:墓地の南西側に下に降りる石段があり、これを下りると納経所があります。その2階が現在、仮本堂になっています。
玉出の滝01  玉出の滝02
納経所から奥へ行くと、玉出の滝があります。四天王寺の金堂の下にある青竜池から湧き出ている霊水がここに滝となって流れ出ているものといわれ、大阪市内では唯一の天然の滝とされています。
滝の奥にある祠には不動明王が祀られています。それにしても、あんまり滝って感じしないなぁ。それでも、滝修行する人はいるそうです・・・・。
それにしても、ほんとに墓地しかないお寺だこと。いつの日か、本堂が再建されたときに、訪れたいですね。だって、気になるもん、どうやって建てるか(^.^)
 

第三番札所 雲松山 鶴満寺

■■第三番 雲松山 鶴満寺 (うんしょうざん・かくまんじ) ■■
朱印   山号:雲松山
   宗派:天台真盛宗
   本尊:阿弥陀如来(本堂)、
       安観世音菩薩(観音堂:新西国霊場)
   開祖:慈覺大師
   創建:大和時代
   中興:宝暦3年(1753年) 忍鎧上人
  御詠歌:なにわ江の 昔ながらの 鶴満寺 
                      今も変らぬ 法(のり)のみ光り
  所在地:大阪市北区長柄東1-3-12
                 拝観料:無料
                  拝観日:2008年9月23日
(概要)
当山は奈良時代、大和の地に慈覺大師により創建されたと伝えられ、伊勢、河内、更には摂津・西中島南方を経て、1753年(宝暦3年)現在の長柄の地に移ってきた。当時の浪花の豪商上田宗右衛門の発願により、京都の真如堂を模した七堂伽藍が竣工、名僧忍鎧上人を迎え、落慶供養が営まれ、以来、この地に法灯をかかげてきた。
1885年(明治18年)の洪水で大被害を受けたのを契機に衰退の道を辿ったが、昭和に入って当時の住職の真徹大僧正が、墓地や一部の建物の移転により寺域を縮小するなど、財政再建に乗り出し、1933年(昭和8年)には観音堂を再建した。
先の大戦時の大阪大空襲では、近くの長柄国分寺は全焼したが、当寺は幸いにも被害を免れており、堂宇は当時のままで、現存してる。(公式説明より)



全景 山門
左:寺全景。交通量の大きい道路に面してます。バックの高層マンションが迫って見えます。
右:山門。通常は閉められていますが、お彼岸だったからか開放されていました。
本堂 雲松山の額
左:本堂。慈覚大師の作と伝えられる阿弥陀如来と地蔵菩薩が安置されています。
右:本堂に掲げられている「雲松山の額」。
鐘楼 観音堂
左:鐘楼。お彼岸で人が多く来るからなのか、釣鐘が取り外されていました。釣鐘は太平10年(中国年号、1030)在銘の朝鮮銅鐘で重要文化財です。
右:昭和8年(1933年)に再建された八角塔形楼閣造りの観音堂。霊元天皇の皇子勝宮の安産祈願のため、奉納された「子安観音」が安置されています。
西国三十三所、秩父三十四所、坂東三十三所の各霊場の合計百体の観音像が祀られており「百体観音堂」とも呼ばれているそうです。
街中のこじんまりとしたお寺です。でも、街中で交通量の多い道に面しているのに、なぜか落ち着くのはなぜでしょうねぇ?

第九番札所 鳥形山 飛鳥寺(安居院)

■■第九番 鳥形山 飛鳥寺(安居院)■■
       (ちょうけいざん あすかでら(あんごいん))
朱印   山号:鳥形山
   宗派:真言宗豊山派
   本尊:釈迦如来(飛鳥大仏・重要文化財)、
       聖観世音菩薩(新西国霊場)
   開祖:蘇我馬子
   創建:6世紀末頃
  御詠歌:うきことの 消ゆるもけふか 飛鳥寺 
                         末やすかれと 祈る身なれば
  所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥682
  拝観料:300円
                 巡礼日:2008年9月22日
(概要)
第三十二代崇峻天皇元年(588年)蘇我馬子が発願し、第三十三代推古天皇四年(596年)に創建された日本最古の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。近年(昭和三十一年)の発掘調査により、創建時は塔を中心に、東西と北にそれぞれ金堂を配し、その外側に回廊をめぐらし更に講堂を含む壮大な伽藍であった。
本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)は、推古天皇14年(606)天皇が詔して鞍作鳥仏師に造らせた日本最古の仏像である。
旧伽藍は仁和3年(887年)と建久7年(1196年)の火災によって消失し、室町以降は荒廃したが、寛永9年(1632年)と文政9年(1826年)に再建され今日に至っている。(パンフレットより)
山門 全景
左:山門。以前は山門はなく、入口の傍に『飛鳥大佛』の標石が立っていただけだったようです。
右:西側より見た飛鳥寺全景。
本堂(安居院) 大仏さん01 大仏さん02
左:本堂(安居院)。現在の本堂はかつての中金堂のあった位置にあたるといわれており、江戸末期の文政8年(1825年)に大坂の篤志家の援助で再建されたものです。
中央:本尊の大仏(銅造釈迦如来坐像)。日本最古の鋳造大仏で重要文化財に指定されています。鎌倉時代・建久7年(1196年)の落雷のための火災で甚大な損害を受けて補修を受けており、当初の部分は顔の上半分、左耳、右手の第2・3・4指に残るのみだといわれています。
右:大仏さんの前にある仏舎利は発掘調査によって発見されたもので、日本最古のものだそうな。
観音堂 聖観世音菩薩像
左:観音堂。
右:本尊の聖観世音菩薩。新西国三十三所霊場はこちらになります。
鐘楼 燈篭他
左:鐘楼。誰でも撞くことができるので、わたしも厄払いにと撞いてきました。延享2年(1745年)に建立され、当初は本堂横にあったらしいのですが、昭和16年(1941年)に現在の場所に移されたそうです。
右:境内庭園。その中に見える石燈篭は南北朝時代のもので「日本の燈篭」選ばれています。
万葉歌碑 塔心礎中心
左:文学博士・佐々木信綱氏揮毫による山辺赤人の長歌とその反歌が刻まれている万葉歌碑。
右:昭和31~32年(1956~57年)に発掘調査が行われた結果、この場所に塔の心礎が発見されました。心礎は現在この場所の地下3mの所に埋められています。
蘇我入鹿首塚
西門を出てすぐのところにある、「蘇我入鹿の首塚」 しかし、実際に蘇我入鹿の首が埋まっている確証は、全くありません。
創建時は東西200m南北300mという壮大な伽藍だったけど、今はその面影もなく(約20分の1)、ぽつんと田んぼの中に建つ飛鳥寺。1400年以上、この位置から動いていない大仏様を拝むだけでもう心いっぱいになりますね。