京都東山寺社巡り その2

それでは、その2スタート\(^o^)/

■智積院■
「京都市東山区にある真言宗智山派の総本山。五百仏頂山と号する。当寺は新義真言宗の拠点紀州根来(ねごろ)寺を再興した寺である。すなわち,根来寺は1585年(天正13)豊臣秀吉により全山が焼討ちにあった。根来大伝法院内学頭坊の能化(のうげ)(住持)だった玄宥は,根来再興を徳川家康に願い出で,秀吉没後の1600年(慶長5),家康から豊国社の坊舎の一部と寺領200石を与えられ,現在地に再興した。これが智積院であり,玄宥は同院中興とされる。」(WEB上の説明より)

001  002
左:総門。東福門院の旧殿の門を移築したものだとか。
右:金堂は1975年(昭和50)に復興。

003  004
左:明王殿。大雲院本堂を移築したもの。
右:名勝庭園。この庭のモデルは、中国の江西省にある名山「廬山」、池は「長江」とされ、「利休好みの庭園」と呼ばれています。

005  006
1995年に再建された講堂とその内部。1947年に講堂が火災にあい、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失しました。

宝物館に展示されている長谷川等伯一門による、『楓図』『桜図』をはじめとした金碧障壁画は圧巻でしたわ(^.^)

■妙法院■
「妙法院(みょうほういん)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号を南叡山と称する。本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝える。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られる。近世には方広寺(大仏)や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、三十三間堂は近代以降も引き続き妙法院所管の仏堂となっている。」(Wikipediaより)

001  002
左:山門。
右:手前から庫裏(国宝)、大玄関(重文)。特別公開時には内部を見学することができます。

003  004
左:庫裏は覗くことができます。
右:本堂(普賢堂)。本尊の普賢菩薩が祀られています。

妙法院は、幕末には、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台ともなっています。

■方広寺■
「豊臣氏滅亡のきっかけとなった「国家安康の鐘」(重要文化財)で知られる。1586年(天正14)、秀吉が奈良・東大寺を模して建立したが1596年(慶長元)の地震で大破。豊臣秀吉の没後、徳川家康が淀君と秀頼にすすめ再興させたが、大鐘の銘に「国家安康・君臣豊楽」とあったのを口実の一つとし、大坂冬の陣、夏の陣を起こし、豊臣氏を滅亡へと追い込んだ。現在は鐘のみが現存する。」(WEB上の説明より)

001  002
左:史跡・方広寺石塁。大仏殿の石垣だったそうです。
右:本堂は1878年に再建されました。

003  004
鐘楼と徳川家康が言い掛かりを付けた「国家安康の鐘(重文)。「国家安康・君臣豊楽」の文字が見えます。

■豊臣神社■
「豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興された。」(Wikipediaより)
005  006
左:立派な鳥居。
右:国宝である唐門。元南禅寺金地院にあったもので、豊国神社再建に当たって金地院から移築されました。

007  008
左:唐門から先には入ることができませんでした。
右:宝物館。秀吉の歯とかかなり珍しいものが展示されていました。

豊臣神社参拝終了時で、暑さで疲れもピークに達したので、散策をここまでにして帰路に付きました。
久々の寺社巡り、十分に堪能しました。次はいつできるのだろうか・・・・・。

次は仕事行く振りして有休で行こうかな。まぁ、ばれたら嫁に殺されそうですけどね(^.^)

京都東山寺社巡り その1

一人で行く寺社巡り、嫁と娘が実家に帰っている今しかできないと思い夏休み最後の日に京都まで行ってきました(^.^)
久々に京阪電車に乗って七条駅で下車。今回は東山の寺社を巡ることにしました。

■三十三間堂■
「1164年(長寛2)鳥辺山麗(現、阿弥陀ヶ峯)の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進しました。約80年後に焼失してしまうのですが、すぐに1266年(文永3)に再建されました。その後、室町・桃山・江戸そして昭和と4度の大修理により700年間保存されています。長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120m。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には1001体もの観音像が祀られています。また見落としがちですが境内・南の通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は、ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重文・建造物です。」(WEB上の説明より)

001  002
妙法院の一部で建物の正式名称は蓮華王院本堂といいます。国宝指定。

003  004
左:南側にある築地塀は太閤塀と呼ばれ重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建された時、蓮華王院も方広寺の境内に含まれたためその工事に伴って築造されました。
右:南大門(重文)。虹梁の刻銘により豊臣秀頼が慶長5年に新築したものと推測されています。

1001体の千手観音に圧倒されました。その余韻を残しつつ次のお寺へ。

■養源院■
「1594年(文禄3)淀殿が父浅井長政追善のため創建。のち焼失。1621年(元和7)徳川秀忠夫人崇源院が伏見城の遺構を移し再建。廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた板を使ったため「血天井」として有名。本堂の襖12面、杉戸8面の絵(重文)は俵屋宗達の作品。」(WEB上の説明より)
001 002
左:山門。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られたそうです。
右:本堂。 本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の「中の御殿」を移築したものとされます。

生々しい血天井、俵屋宗達の見事な絵画を見た後、養源院の隣のお寺へ。

■法住寺■
「平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。」(Wikipediaより)
001  002
左:山門。本堂は2006年に再建されたばかり。本尊は不動明王です。
右:旧御陵旧門と石碑があります。

智積院へ行く前に見つけた神社に寄り道しました。

■新日吉神宮■
「東大路七条東入るにある新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。新日吉神宮は、後白河法皇が法住寺殿を造営し、厄除けのため比叡山の日吉山王七社を勧請したのが始まりと言われています。色々な地を転々としながら明治30年(1897年)に現在の場所に移りました。
後白河法皇ほか、皇居守護神山王七柱を祭神として祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めています。」(WEB上の説明より)
001  003 左:鳥居から山門を望む。     右:拝殿。中々立派(^.^)

002  004
左:京都市指定保存樹に指定されている「スダジイ」。樹齢500年から800年だとか。
右:「元京都市午砲台座」とあります。午砲とは時間を知らしめる(時報)ため撃つ大砲(空砲)のことだそうです。

その1はここまで。すでに暑くてバテバテだったのですが、気合を入れ直してがんばったその2はまた後日にUPします\(^o^)/

にゃんこ写真 その39

雨上がりの自宅最寄り駅の駐輪場。

001  002
自転車のチャイルドシートでぐっすり眠る野良にゃんこ(^.^)

003
寝顔がたまらん(^.^)

だいたいこの駐輪場にいる野良にゃんこ。どうもいろんな人から餌もらってるのか、人になつきまくりです(^.^)
野良にゃんことしてどうかなぁと思うけど、にゃあにゃあと鳴きながらすりすりされたら、顔がゆるみますわ(^.^)

静岡観光 その5 (掛川城)

御殿のあとは本格的に城攻め。天守閣に登りたいと思います\(^o^)/

■掛川城■
「室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています。」(WEB上の説明より)

001  002
左:大手門は天守閣に続いて平成7年(1995年)に復元されたものです。
右:大手門番所。嘉永7年(1854年)の大地震で倒壊後、安政6年(1859年)に再現されたもので、市指定文化財。

003  004
左:本丸広場より天守閣を望む。
右:太鼓櫓。昭和30年(1955)に三の丸から荒和布(あらめ)櫓のあった現在の位置に改築の上、移築されました。こちらも市指定文化財。

005  006
左:外観3層、内部4階の復元天守。
右:日本初の木造再建天守の1階。 建築材としては、樹齢300 年を越える青森ヒバが選ばれ、内装の細部にまでふんだんに使用されています。

007  008
左:鉄砲狭間に石落とし。
右:天守2階。天守閣に据えられた鯱のレプリカが展示されています。

009  010
天守4階とそこからの眺め。結構な景色ですなぁ(^.^)

011  012
左:四足門。調査では門の跡は見つからなかったが、正保城絵図を元に復元されました。
右:十露盤(そろばん)堀。水が溜まった部分がそろばんの箱のように見えることからそう呼ばれているそうな。

山内一豊が高知へ行った際に掛川城を真似て高知城の天守閣を建てたとか。掛川城天守の復元に際して、高知城を参考に設計したそうです。
資料が残っている幕末期の天守は、2重目以上が板壁で2重目には唐破風出窓に華頭窓をもつ層塔型だったと推測されています。

木造で復元された天守は実にいいですねぇ。やっぱり鉄筋コンクリートなんかでは出せない味がありますわ。

静岡観光記、これにて終了。また機会があればまた違った静岡を楽しみに行きたいものです\(^o^)/

静岡観光 その4(掛川城二の丸御殿)

竹の丸の次はいよいよ掛川城へ。先に天守閣へ向かおうとしたところ、今団体客が入ったところだというので、先に御殿のほうへ行くことにしました。

■掛川城二の丸御殿■
「御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。」(WEB上の説明より)

101  102
左:天守閣から見た御殿。
右:立派な式台玄関。ここから入れるのは藩主と家老のみだとか。

103  104
左:次の間から御書院上の間(大書院)を望む。
右:御書院上の間(大書院)。藩主と謁見者の対面の間になります。

105  106
左:廊下にも畳が敷き詰められています。
右:藩主の居間として使われた長囲炉裏の間。奥に次の間、小書院があります。

106-1  107
左:藩主の執務室である小書院。
右:御用部屋。ここは藩の財政や庶務万端を取り扱う用人が使用した部屋。

108 109
左: 大目付。この部屋と御用人部屋には畳が。吟味奉行と徒目付の部屋は板張りでした。これは身分の違いなんでしょうね。
右:御談の間。藩へ用事のある者の用件取次ぎ、談合・会議などの際に使用していた部屋です。

109-1  110
左:廊下。展示物がいろいろ。
右:なんだか複雑に見える梁。歴史を感じますなぁ。

111  112
左:外から見た二の丸御殿。
右:裏手にある塀は黒土塀。二の丸御殿を外から見えなくするために作られたものだとか。


御殿が現存している城は4つしかありません。埼玉・川越城(本丸御殿の一部)、京都・二条城(二の丸御殿)、高知・高知城(本丸御殿)、そしてこの掛川城。
この建物がいかに貴重なものかが分かるかとと思います。貴重な文化財、子々孫々まで大事にしていかなければと思いました(^.^)

その4修了。次回は最終回だ\(^o^)/

静岡観光 その3(竹の丸)

大日本報徳社の見学を終えてふと北側を見ると、なにやら趣のある門が。看板を見ると「竹の丸」とあります。これも絶対見るべきだと直感し中へ入ってみることにしました。

■竹の丸■
「竹の丸は、江戸時代に家老等重臣の屋敷地があった場所です。
明治時代、葛布を扱う豪商松本家がそこに邸宅を構えました。
松本家が転居するにあたり、邸宅は掛川市に寄贈され「竹の丸」として、 市職員の厚生施設として、また、市民活動の拠点として利用されてきました。
「竹の丸」の文化的価値が見直され、平成19年から建物の修復工事が行われました。
改修後は有形文化財として、平成21年6月より、一般公開と貸室を行っています。」(WEB上の説明より)

000 001
左:竹の丸入口。右に見える建物は番所。
右:主屋。明治36年に建造され、桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造。

002 003
左:左側が離れ。大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されています。
右:主屋内。

003-1 004
左:これも主屋内。縁側でまったりしてたら時間を忘れそうだわ(^.^)
右:主家の台所は現在「竹の丸カフェ」を開催中。掛川グランドホテル特製の「深むし茶ロールケーキ&コーヒー」が600円(入館料含む)で召し上がれます。

005  006
左:離れ一階の座敷。
右:離れ二階の座敷。

009 008
左:離れ二階貴賓室。
右:貴賓室ベランダから掛川城を望む。

007  010
左:土蔵が二棟も。金持ちだわ(^.^)
右:書院前庭園。

いやぁ・・・ここもよかった。大日本報徳社もそうだったけど、ここも私しかいない貸切状態で思い存分見学できたのがうれしかったです(^.^)
疲れた体にコーヒーとケーキがゲキウマ。館内の人の行為で庭のよく見える縁側でお茶することができました。横になったらあまりの気持ちよさにこのまま寝てしまいそうでかなりやばかった(^.^)

これで、コーヒーとケーキ込みで600円(入館料だけなら100円)は安すぎますわ。また機会fがあれば秋の紅葉の時期に来たいなぁと思います(^.^)

その3はここまで。たぶんその5まで続く予定\(^o^)/

静岡観光 その2(大日本報徳社)

駿府城のあとは掛川城へ。まずは二の丸御殿を拝観しその裏手に行くと・・・・なにやら趣のある洋館が。建物好きとして、これは見ない訳にはいかんだろということで、早速行ってみることに。
そこは見事な建物のオンパレードなパラダイスでした(^.^)

■大日本報徳社■
「金次郎の像で知られる二宮尊徳が唱えた報徳思想「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の普及と実践を行う報徳社の本社。国の重要文化財、大講堂大広間のほか、正門に仰徳学寮に仰徳記念館などの掛川市や静岡県の指定文化財があり、歴史的建造物を見られる。」(WEB上の説明より)

001 002
左:大日本報徳社正門。道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年(1909)の建立。静岡県指定文化財。
右:淡山翁記念報徳図書館。大日本報徳社第二代社長・岡田良一郎(淡山)の生前の業績を記念し、昭和2年(1927)に建てらた鉄筋コンクリート造RC工法の図書館。往時の図書館様式を伝える貴重な建造物で静岡県指定文化財。

003 004
左:仰徳学寮。仰徳記念館とともに昭和13年(1938年)に宮内庁から下賜され移築したもので、現存する宮家の建築として貴重な建物で、掛川市指定文化財となっています。今は事務所として使われているみたいです。
右:冀北(きほく)学舎。明治10年(1877)に報徳社長の岡田良一郎により掛川市倉真の邸内に開かれた全寮制の校舎で、明治32年(1899)にこの地に移築されました。掛川市指定文化財。

005  006
左:仰徳記念館。明治17年(1884)、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年(1938)、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。掛川市指定文化財。
右:仰徳記念館の廊下。修理の際にリノリウムに張り替えたそうです。

007  008
左:霞ヶ関時代の雰囲気を残す部屋。暖炉がいいですねぇ。
右:大広間。もともとは独立した三つの部屋だったそうです。

009  010
左:大講堂。明治36年(1903年)に『遠江国報徳社掛川第3館公会堂』として建設され、報徳教育の普及活動の拠点として現在まで使われてきました。国の重要文化財に指定されています。
右:大講堂内。吹き抜けの大空間81畳敷きの『大広間』が圧巻。

011  012
左:ギャラリー状の回廊があります。
右:回廊の所に有る額は伊藤博文の書。他にも額がいっぱいありました。

いやぁ、よかった。すべての建物を見学したかったけど、それができたのは仰徳記念館と大講堂だけ。
とはいえ、すべて見学できていたら、次の予定に支障が出るところだったので、これくらいでよかったのかもしれない。
大講堂は見学料200円ですが、払う価値あります。入口開けて大広間に入った瞬間、「うわ・・・すご」と感嘆の声を上げましたもん(^.^)

全部見学できるなら、セットで1,000円払っても惜しくないな\(^o^)/

その2はこのへんで。その3はまた近日中に(^.^)

静岡観光 その1(久能山東照宮と駿府城)

名古屋出張は日帰りですが、せっかく行くのだから観光でもしようと思い愛知の隣、静岡県に行くことに決定(^.^)

朝早くに新幹線に乗り静岡駅へ。静岡駅でレンタカーを借りて久能山へ出発。ここには行ってみたかった久能山東照宮あります。

■久能山東照宮■
「徳川家康公の遺言により、久能山には遺体が埋葬されその地に家康公を祀る神社として建てられた。全国東照宮の発祥の地。大工棟梁、中井正清によって築かれた社殿は平成22年(2010)に国宝指定。権現造、総漆塗極彩色の社殿および建造物群は、江戸時代初期の歴史的建造物として美麗かつ均整の取れた穏やかさを誇る。
また、併設の博物館には家康公の愛用品、歴代将軍の寄進刀剣および多数の所蔵品が収められ、中でもスペイン国王から家康公に贈られた洋時計、歴代将軍奉納の甲冑は全国的な関心が寄せられている。」(WEB上の説明より)

001  002
左:楼門。勅額御門とも言われています。。
右:社殿(国宝)。2006年(平成18年)に社殿の塗り替え行われ極彩色が色鮮やか(^.^)

003  004
左:廟所宝塔(神廟) 。本殿の裏手にあり家康の遺骸を埋葬した所。家康の遺命により西向きに建てられています。
右:鼓楼。鐘楼(しょうろう、鐘を突く建物として扱われてきましたが、神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」となりました。

005  007
左:唐門と透塀。内側から見ています。
右:社殿の見事な彫刻。当時の最高技術なんでしょうね(^.^)

006
久能山東照宮博物館。「徳川家康関係資料」や徳川家ゆかりの資料が多数展示されています。日本最古のゼンマイ式南蛮時計や日本最古の鉛筆なんか結構感動したかも。

東照宮のあとは大御所の城へ(^.^)

■駿府城■
「家康在城時の駿府の町は、江戸と共にいわば2元政治が行われていたため、政治、経済の中心地として大いに繁栄していました。家康の死後、城主となった忠長が改易されると駿府城は城代の管理となります。寛永12(1635)年の火災により天守等の殆どの建物が焼失し、櫓、門等の建物は再建されますが天守は再建されませんでした。以後江戸時代の駿府城は、建物の規模も次第に縮小していくこととなります。
明治時代になると、歩兵34連隊の誘致に伴い本丸堀は埋められ、三ノ丸は官庁や学校などの公共用地となりました。戦後、本丸、二ノ丸部分は駿府公園として整備され,巽櫓、東御門の復元もされ一般に公開されています。」(静岡市役所サイトより)

001  002
駿府城公園内にある「紅葉山庭園」。巽櫓、東御門との共通券があるので、セットで見学することをお勧めします(^.^)

003   004
左: 本丸堀と二の丸堀を結ぶ二の丸水路。石垣の一部は徳川家康が天下普請で駿府城を築いた当時のものと考えられてい ます。
右:平成元年(1989年)に本格的な木造城郭建築物として復元された巽櫓。

005  006
平成8年(1996年)に日本古来の伝統工法にのっとて復元された東御門。

007  008
門及び櫓内部は一般公開されていて、駿府城の絵図や復元資料、駿府城関連の出土品などを展示しています。

009  010
左: 発掘調査により部分復元された本丸堀。
右:江戸時代に徳川家康公が植樹したと伝わる県指定天然記念物「家康手植の蜜柑みかん)」

011  012
今年4月に一般公開された出来立てほやほやな坤櫓。こちらも木造で復元されています。
013
威風堂々としている家康像。家康は鷹狩りが大好きで、生涯で1,000回以上は楽しんだと言われていります。

久能山東照宮はカメラの設定を間違えて残念な写真しか撮れていないのが非常に心残りとなってしまいました。
足の状態が悪かったので、ロープウェイを使いましたが、再訪したときには1159段もあるという表参道階段を上って参拝したいと思います\(^o^)/

その1終了! その2は近日中にUPしますねん(^.^)

奈良女子大学記念館一般公開と北円堂

奈良女子大学記念館なるものが今一般公開されているという情報を嫁から入手。せっかくの休みなので奈良まで足を伸ばして見てくることにしました。

奈良女子大学記念館(旧奈良女子高等師範学校 本館)とは・・・・
「奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)は、明治41年(1908年)3月に設置されました。奈良女子大学記念館は、明治41年(1908年)2月に着工、翌年10月に竣工し、奈良女子高等師範学校本館として、創設当初から一階は事務室、二階は講堂として使用されていました。
昭和24年(1949年)に国立奈良女子大学として生まれ変わったあとも、この建物は大学本部と講堂として使用されていましたが、昭和55年(1980年)講堂が別に新築されたため、平成2年(1990年)に「記念館」と名称を改め、保存することとなりました。
平成6年(1994年)2月26日から12月25日にかけて改修工事を行い、同年12月27日に守衛室(附 正門)とともに国の重要文化財に指定され、現在一階は展示室、二階は講堂として活用しています」(パンフレットより)

001  002
003  004
外観はハーフティンバーというヨーロッパ北部に見られる、木部を外に表す壁構造のデザインだそうです。

005  006
一階廊下。

007  008
一階展示室。奈良女子高等師範学校時代に用いた教材等が展示されています。展示物については撮影禁止。

009  010
左:展示室の天井。花形飾りは換気口のようです。
右:二階へ上がる階段。手すりの造作がいいですねぇ。

011  012
左:二階講堂。屋根を支える構造が木造トラスであるため、約16mに渡って中間に柱がなく、この結果、300名収容できる空間になっています。
右:高等師範学校の創立当事に購入された国産最古級のピアノ(百年ピアノ)。

013  014
左:高等師範学校時代から使用されている長椅子。座り心地はかなり良かった(^.^)
右:シャンデリア上部の花形飾りは換気口。熱気が屋根から自然に外へ逃げていくように設計されているそうです。

015 016
正門と守衛室。本館と類似した意匠でまとめられています。門の赤い屋根が可愛い(^.^)

017
キャンパス内にあった「奉安殿(ほうあんでん)」という建物。昭和9年(1934年)のもので、全国の学校に下付された天皇皇后の御真影(写真)や教育勅語を納めていました。全国にごく少数しか残らない珍しいものだとか。

良い建物だった・・・・と感慨にふけりながら奈良国立博物館に向かい「武家のみやこ 鎌倉の仏像」を観覧。帰りに興福寺によると「北円堂公開中」との看板が! これはラッキー!と思いもちろん拝観。

018  019
「北円堂(国宝)は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。
堂内には本尊弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)、法苑林(ほうおんりん)・大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)像、無著(むちゃく)・世親菩薩(せしんぼさつ)像(国宝)、四天王(してんのう)像(国宝)が安置されている。」

ほんとは奈良に行く予定はなかったけど、行ってみればやはり奈良はいいなぁといつも思う。何回来ても全然あきませんなぁ(^.^)

帯解寺に安産祈願(^.^)

先日は安産祈願に関西ではたぶん一番有名であろう中山寺に行ってきました。そして今回、もうひとつ安産祈願で有名な帯解寺に行って念には念を押すことにします。

帯解寺とはこんな由緒があります。
「長らく世継ぎに恵まれなかった文徳天皇后の染殿皇后(藤原明子)が当寺にて祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれたことから、天安2年(858年)、文徳天皇の勅願により伽藍が建立され、勅命により帯解寺と名乗るようになったという。以来、安産・子授け祈願の寺として朝野を問わず篤い信仰を集めるようになった
江戸時代には、徳川三代将軍家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が当寺にて祈願したところ、竹千代丸(4代将軍・家綱)を安産した。寛文3年(1663年)にはその家綱より手水鉢の寄進があった。 また、徳川二代将軍秀忠の正室お江与の方(お江)がお世継ぎの安産祈願したことも有名。
20世紀以降も美智子皇后、雅子皇太子妃をはじめ、三笠宮、高円宮、秋篠宮などの皇族が当寺において安産祈願を行っている。」(web上の説明より)

皇族が安産祈願におこしになられるほどの由緒あるお寺。だからこそ行かねばと思うわけです(^.^)

帯解寺の最寄の駅は万葉まほろば線の帯解駅。万葉まほろば線に乗り換えるため、近鉄奈良で降りて、JR奈良駅向かいます。

と、その途中で天皇陵を発見。
001  002
開化天皇陵(春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ))とあります。
開花天皇は第9代の天皇で、欠史八代の8人の天皇の一人。

003  004
奈良駅から2駅先の帯解駅へ。たった2駅なのに、なんかすごく遠くに来た気分になれるほど駅前に何もなかった(^_^;)

駅から5分ほど歩くと帯解寺へ到着します。ちなみ帯解寺とは・・・・・、

005  006
左:山門。江戸初期のもので古材の組み方から楼門造りだったようです。
右:本堂は耐震補強工事中で足場に覆われていました。ご本尊は子安地蔵菩薩(重要文化財)。

007  008
左:本堂の奥に地蔵菩薩が祀られていて、拝観料400円でご尊顔を拝むことができます。
右:帯解寺の駐車場の片隅に「小野小町之宮址」があります。1675年(延宝3年)に書かれた「南都名所集」によれば、ここに「小町の宮」と云う建物が建っていたそうです。

帯解寺での安産祈願(といっても、普通にお参りしただけです(^.^))も終わり、帰りの電車まで時間があるので、駅の近くにあるもうひとつのお寺に行ってみることにしました。

009  010
龍象寺とあり、こちらも安産信仰のお寺のようです。こちらの本尊も子安地蔵菩薩。実は帯解寺とはいろいろあるお寺のようで・・・気になる方は一度調べてみてください(^.^)


さぁ、有名どころ2つの寺院にお参りしたので、これで安産間違いなし\(^o^)/