十二番札所 正法寺 と 十三番札所 石山寺

GW連休二日目、御朱印帳を忘れて行くことができなかった、西国札所のお寺を改めて攻めてきました。今回は絶対に忘れないように二回も三回も御朱印帳を入れたかどうか確認しましたよ(^.^)
まずは、岩間寺という別称の方が有名な。正法寺へ。
■岩間寺 正法寺(いわまでら ほうしょうじ)■
「正法寺 (しょうほうじ)は、滋賀県大津市石山内畑町にある真言宗醍醐派の寺院。本尊は千手観音、開基(創立者)は加賀白山を開いた泰澄(たいちょう)である。別称は岩間寺(いわまでら)。西国三十三箇所観音霊場第12番札所の他、ぼけ封じ観音第4番札所となっている。
正法寺は、11番上醍醐の東方約4キロ、13番石山寺の南西約4キロ、滋賀と京都との府県境の一部をなす岩間山(標高443m)上に位置する。
縁起によれば、元正天皇の病気平癒祈願に功のあった泰澄が養老6年(722年)、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻んで、元正天皇の念持仏をその胎内に納め祀ったのが当寺の初めとされる。」(Wikipediaより)
001仁王  007不動堂
左:正法寺には山門はなく、仁王様が両脇に立っています。
右:本堂右にある不動堂。平成9年に再建され、不動堂本尊不動明王両童子は重要文化財に指定されています。
004本堂  003蛙飛び込む
左:本堂。天正5年(1577年)に再建されたもので、寛永年間に解体修理されました。本尊の千手観音像は元正天皇の念持仏といわれ、高さ約15cmの金銅仏。今回はちょうど特別開帳中でご尊顔を拝謁することができました(^.^) といっても、確かに小さくて、目を凝らさないとよく見えませんでしたが。
右:本堂と不動堂の間にある芭蕉池。「観音霊験記」によると、松尾芭蕉は、このお寺に数日参篭し霊験を得て、あの有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」が世に出たとされています。この句にある「古池」がこの池であるとか。
005桂  006霊泉
左:寺の奥には日本随一の桂の大樹群があります。その中でも、樹齢1000年といわれる「長寿桂」は大きさ、美しさとも圧巻です。
右:雷神爪堀の湧泉。泰澄大師の弟子となった雷神が、水の乏しい岩間山に自らの爪で井戸を彫って霊水を湧かせたという言い伝えがあります。別名「長寿水」「厄除水」といわれています。
奥宮神社01  奥宮神社04
左:桂の大樹群から、山道を700mばかり進むと奥宮神社があるので行ってみることにします。
右:神社のそばには展望台が。琵琶湖も望める展望がすばらしいです。
奥宮神社02  奥宮神社03
こじんまりとした神社でした。道路側からも来ることができますが、階段がきついみたいなので、正法寺から来る方が楽かもしれません。
自然たっぷりで落ち着くお寺でした。意外とこじんまりとしているところも好感が持てる気がしますね。
次なる目的地、紫式部にまつわる伝説のある石川寺へ向かいます。車で15分程度。かなり近いところにあります。
ちょうどお昼時だったので、お昼ご飯を食べることに。お寺の前には、石山名産の蜆を使った料理を食べることができるお店が並んでいます。
小松家01  小松家02
小松家というお店で、とろろご膳(とろろそば、蜆ご飯、蜆山椒煮、小鉢、デザート)を食べました。まずまずのお味でした。観光地ですから、値段(1,250円)は、まぁ、こんなもんかなと思います。
■石光山 石山寺(せっこうざん いしやまでら)■
「石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁(ろうべん)である。当寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三箇所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。
山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたわけだが、如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書(もんじょ)によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮(ほらのみや)が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神(しゅこんごうしん)像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝(しょうぼう)、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐内供(しゅんにゅうないく、890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。」(Wikipediaより)
001東大門  002参道
左:東大門。参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。慶長年間に大規模修理されました。需要文化財。
右:石畳の参道を奥に進むと、拝観受付があります。途中に大黒堂などがあります。霧島つつじがきれいに咲いていました。
003珪灰石  005御影堂
左:受付から右手の石段を登ると目に入ってくる、は巨大な「珪灰石」の岩塊。硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。
右:右手に見えるのが、御影堂。滋賀県の指定文化財になっています。
004蓮如堂  006本堂
左:左手にあるのが、蓮如堂。ここには蓮如上人の遺品、御影が保存安置されています。重要文化財。
右:蓮如堂の脇を上がると本堂です。正堂(しょうどう)、合の間、礼堂(らいどう)からなる複合建築で国宝に指定されています。正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築です。礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっています。
本尊は如意輪観音。こちらも、ちょうど御開帳中で、拝顔することができてラッキーでした。
007紫式部の間  008経蔵
左:本堂への入口北側に花頭窓のある小さな部屋があります。これが「紫式部源氏の間」。紫式部がここで源氏物語を執筆していたという伝承があるそうです。
右:16世紀ごろに建立された高床の校倉で、かつては重要な経典や聖教類などが収蔵されていた経蔵。重要文化財です。
009多宝塔  010月見亭
左:日本三大多宝塔の一つ、源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多宝塔。国宝の名にふさわしい美しい多宝塔です。
右:月見亭(左)と芭蕉庵。月見亭は後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至っています。芭蕉庵は松尾芭蕉ゆかりの茶室。
隅々まで回ると、けっこう広い石山寺。豊浄殿では、石山寺の宝物と、紫式部や『源氏物語』を題材とした美術品などを展示していました。源氏物語、読んだことないんですけど、なんか呼んでみたい気分になりましたね(^.^)
さて、西国巡礼も残すところ、あと5寺。
・上醍醐寺
・長命寺
・宝厳寺
・青岸渡寺
・華厳寺
ラストスパート・・・と、行きたいところですね。遠いところばかり残っているのがしんどいところですが(^^ゞ

第十四番札所 長等山 園城寺(三井寺)

西国巡礼も残すところあとわずか。まずは一つづつ巡って行くことにします。
今回は、三井寺展ですでに観音様をご拝顔した滋賀県大津市の三井寺へ。すでに紅葉の季節ですので、それもちょっと期待してお出かけしました。
ちなみにお参りしたのは、先週の15日。なんやかんやでUPがえらい遅くなってしまいました(^^ゞ


■長等山 園城寺(三井寺)(ながらさん えんぎょうじ(みいでら))■
「大津市園城寺町にある天台宗寺門派の総本山。通称三井寺(みいでら)。比叡山延暦寺を山門というのに対し、寺門と称する。山号は長等山。
天智、弘文、天武の3天皇の勅願により大友与多王が田園城邑を投じて長等山に建立、長等山園城寺と称したと伝えられる。白鳳時代の古瓦が出土するので、その時代に大友氏の氏寺として建てられたものではないかともいわれる。
境内に天智、天武、持統3帝の誕生水があったので、御井(みい)の寺といわれたとも、円珍(智証大師)が霊泉の水を三部灌頂の法水に用い、弥勒菩薩がこの世に下り、人々を救済するという弥勒三会の暁を待つ意味で三井寺とよばれたともいう。
また、858年(天安2)に唐から帰国した円珍のもとに、新羅明神が姿を現し、将来した典籍を収めるによい場所として三井寺へ円珍を伴うと、162歳の教待(きょうたい)という老僧が迎え、大友与多王の子都堵牟麿が寺を円珍に献じたと伝えられている。
天台宗では慈覚大師(円仁)系と智証大師系が並び行われ、両派から座主が出ていたが、平安時代中期、座主に任ぜられた余慶を慈覚大師系が拒否して両派の抗争が盛んとなった。
ついに993年(正暦4)智証大師系の僧は園城寺へ入り、比叡山の慈覚大師系の山門と、園城寺の智証大師系の寺門の両派に分裂し、僧兵の跋扈もあって互いに焼き打ちをしたりして争ったため、園城寺は平安時代に四度焼かれている。
また、源氏と結び付いて後白河法皇などの反平氏運動に協力したために堂舎を焼かれたが、源頼朝以下の保護を受けて再興した。智証大師派は寺門系の僧を受戒させるため、園城寺にも戒壇を新設しようとして山門と争い、また足利氏に近づいて北畠氏、新田氏に焼かれるなど、何度も焼かれている。
1595年(文禄4)に豊臣秀吉の怒りに触れて寺は壊され、寺領を没収されたが、のちに復興が許され、江戸時代には、北院・中院・南院の3塔に59院、5別所に25坊があった。
門跡(もんぜき)寺院として円満院、聖護院、実相院をもち、東大寺、延暦寺、興福寺とともに京畿(けいき)の四大寺の一とされている。 」(yahoo!百科事典より)

001観音堂参道  002観音堂
左:本来なら仁王門から入山するのですが・・・わたしは観音堂の参道から。おかげで、長等神社にもお参りできたから良しとします。
右:西国十四番札所である観音堂。寺域の最南部に位置しています。元禄2年(1689)に再建されたもので、滋賀県の有形文化財に指定されています。本尊は如意輪観音。御開帳中でありました。
003観音堂を望む  004毘沙門堂
左:観音堂脇から上がると展望台がありまして、そこからパチリ。正面左側奥が「百体観音堂」。その隣が
「観月舞台」。右が「絵馬堂」。中央が「手水舎」。「百体観音堂」「観月舞台」は県指定文化財です。
右:百体観音堂の脇から降りていくと、毘沙門堂があります。。元和2年(1616)の建立で重要文化財。解体修理されて、往年の色彩で彩られています。
005水観寺  006微妙寺
左:寺内にお寺が。水観寺は三井寺の支院であり、西国49薬師霊場第48番札所です。本堂は県指定文化財。
右:これも支院である微妙寺。ここは湖国十一面観音霊場の第1番札所。
007衆宝観音 008童観音菩薩 009地蔵菩薩
微妙寺から観音堂へ続く道端に立っている石仏たち。左から衆宝観音、童観音、地蔵菩薩。ユーモラスな石仏なのに、ほとんど誰も目に留めていませんでした。
010唐院  011灌頂堂
左:金堂へ向かう途中に唐院があります。園城寺の開祖である智証大師の廟所であり、山内で最も神聖な場所です。正面の「唐院」の表門、「唐院四脚門」は寛永元年(1624)に建立され、重要文化財に指定されています。
右:左手前が灌頂堂、右奥が長日護摩堂。灌頂堂は大師堂と唐門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。大師堂を含め重要文化財。
012三重塔  013弁慶の引き摺り鐘
左:唐院の外から最も目につく三重塔。室町時代初期の建築で、もとは奈良の比蘇寺にあったもので慶長6年(1601)に徳川家康によって寄進されました。これも重要文化財。
右:金堂のやや南寄りの西側に「霊鐘堂」があります。そこにあるのが「弁慶の引き摺り鐘」。弁慶が引き摺ったかどうかはさておき、この鐘は奈良時代の鋳造で、この時代のものは現存するものが少なく、重要文化財指定になっています。
014一切経蔵  015八角輪蔵
左:「霊鐘堂」の南側に「一切経蔵」があります。一切経蔵は一切経を安置するための堂で、毛利輝元の寄進により慶長7年(1602)に山口の国清寺から移築されたもらしいです。重要文化財指定。
右:内部には、一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。回してみたい衝動に駆られますね(^^ゞ
016金堂  017鐘楼
左:国宝である「金堂」。現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって慶長4年(1599年)に再建されたものです。本尊の弥勒仏は秘仏であり、通常は直接拝観はできません。
右: 金堂前の広場にある「鐘楼」に吊られている梵鐘は「三井晩鐘」と呼ばれている桃山時代に作られた銘鐘。鐘を撞くのに300円もかかるのがちょっと解せないところ。この鐘は県指定文化財。
018閼伽井屋  019護法善神堂
左:金堂に隣接して建っている「閼伽井屋」。この内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。これも重要文化財。
なんか・・・不自然なくらい中からゴボゴボと水の湧き出る音が・・・。どうなんでしょうね?
右:寺内にある護法善神堂(千団子社)。三井寺の守護神である護法善神(鬼子母神)像を祀っています。 享保12年(1727)の建立で市指定文化財。
020総門  021仁王門
左:「仁王門」の南側に園城寺の「総門」があります。
右:「仁王門」。記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長6年(1601)に家康によって現在地に建てられたとしています。重要文化財。


観音堂からまわったので、最後が仁王門という、普通の参拝ルートの全く間逆になってしましました(^^ゞ
さすがにでかいです。隅々ままでまわった(でも、国宝の新羅善神堂は完全に見落としてますが(^^ゞ) おかげで、このお寺に4時間近く居ましたねぇ。食堂が改装中で見られなかったのが残念。紅葉も、まだあまり進んでないようで、これも残念。
景色のいいお寺なので、季節を変えて、また訪れたいなと思います。とくに桜の季節とか・・・ね(^.^)

二六番 圓教寺と二七番 一乗寺

休みと休みに挟まれた平日は、有休取得促進日と称して、会社からできるだけ有休を使って連休にしましょうというお達しがあるのです。
会社から休んでいいといわれているので、素直に従うことにしました。せっかくの平日のお休み。休みといえば、寺巡り(^.^)
今回は、地元の西国札所、圓教寺と一乗寺へ行くことにします。どちらも、今は結縁御開帳中なので、訪れないわけにはいきませんからね。
公共機関で巡るのは無理と判断(バスが絡むと大概しんどいですな)し、車で行くことに。姫路なので、山陽道を使えば、自宅からだと1時間半くらいで到着できます。


 ■書写山 圓教寺(しょさざん えんぎょうじ)■
「圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市にある寺院で、天台宗の別格本山である。山号は書寫山(書写山、しょしゃざん)。 西国三十三箇所第27番。
「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。
境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371m)山上一帯は兵庫県指定書写山鳥獣保護区の特別保護地区に指定されている。
山内の本多家霊所には本多忠刻に仕え、殉死した宮本武蔵の養子宮本三木之助の墓がある。 室町時代から明治時代までは女人禁制だったため、女性は東坂参道の入り口にある女人堂までしか行けず、そこに札を納めて帰っていた。
2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』の主なロケ地になり、2003年のNHK大河ドラマ『武蔵』の重要なロケ地にもなった。」(Wikipediaより)
001_ロープウェー  002_参道
左:歩いて登ることも出来ますが、普通はこの書写山ロープウェイに乗って一気に上がります。たった4分ですが、片道500円。なかなかいい値段だ(^^ゞ
右:ロープウェイ山上駅から、参道を歩いていきます。参道脇には西国三十三箇所のご本尊のレプリカが安置されていました。
003_仁王門  004_摩尼殿
左:15分ほど歩くと、仁王門へ到着。仁王門は江戸時代の建立で兵庫県指定文化財に指定されています。
右:参道が終わると正面に巨大な舞台造りの魔尼殿が見えてきます。大正末期に火災にあい、昭和8年に再建(登録有形文化財)。本尊は六臂如意輪観世音菩薩。重文である「木造四天王立像」とともに、結縁御開帳中で拝見することができました。
005_.jpg  006_常行堂
左:摩尼殿から奥に進むと、映画「ラストサムライ」のロケ地にもなった三つの堂がドーンとでてきました。余りにも壮大で荘厳。息を呑むこと間違いなし。
右:常行堂。常行三昧のための道場で、享徳2年(1453)の上棟。元徳3年(1331)に全焼したが、すぐに再建。昭和40年ごろに、解体修理されました。本尊の阿弥陀如来とともに重要文化財。
007_大講堂  008_食堂
左:大講堂。寛和2年(986)に花山法皇の勅願により創建されました。元徳3年(1331)に全焼したがすぐに再文殊菩薩と普賢菩薩建されたのが現在の建物で、昭和31年に解体修理されました。大講堂、本尊の釈迦如来、脇待の文殊菩薩と普賢菩薩は重要文化財。
右:食堂。承安4年(1174)に後白河法皇の勅願によって創建されたといわれています。これも、同じように全焼し、再建され、昭和38年の解体修理を受けました。2階は宝物館になっています。
010_金剛堂  010_白山権現
左:金剛堂。旧塔頭普賢院の持佛堂で室町期のもの。これも重要文化財です。
右:圓教寺の鎮守である白山権現。裏手の高いところにあるし、摩尼殿側から行く道は木々に埋もれてさっぱりわからないので、よく行けたなぁと思いました(^^ゞ
寺域も広く、立派な堂宇も多く建ち並んでおり、もう見事ととしか言いようがないですね。大きい有名なお寺なのに、静寂を感じられるのもいい感じです。
開山堂が修理に入っていたため、見ることができなかったのが残念なところ。開山堂の修理が終わったら、また訪れたいところであります。

ロープウェイで下山し、次の目的地、一乗寺へ向かいます。圓教寺から一乗寺までは、1時間もかかりません。もしバスで移動だと・・・どれくらい時間がかかるやら。

■法華山 一乗寺(ほっけさん いちじょうじ)■
「一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音である。
寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。
道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。
創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。
一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。」(Wikipediaより)
001_入り口  002_常行堂
左:これが一乗寺の入り口。お寺につき物の山門がないので、見落としそうになります。
右:一番目の石段を上がると、常行堂があります。現在の建物は明治元年(1868年)に建てられたそうで、本堂改修中はここが仮本堂になっていました。
003_三重塔  004_金堂
左:二番目の石段を上がると、三重塔があります。承安元年(1171)の建立で、日本最古の塔の一つであるそうです。この三重塔は国宝に指定されています。
右:三番目の石段を上がりきると、金堂(本堂)があります。寛永5年(1628年)の建立で重要文化財。台風による被害の修理から解体修理と9年の長年月を費やして、 平成20年(2008)4月に工事が完了しました。
005_妙見堂と弁天堂  006_奥の院へ
左:弁天堂(左)と妙見堂(右)。どちらも鎮守社で実室町時代の建立です。護法堂という鎮守社とともに3つとも重要文化財。 
右:奥の院へ続く道。この辺からなんか空気が違うように感じられます。
007_開山堂  008_賽の河原
左:奥の院の開山堂。一乗寺の開基、法道仙人が祀られているらしい。
右:開山堂から向かって左に行くと、賽の河原と呼ばれる場所があります。水子供養の場所のようで、小石がいたるところで積んでありました。
今回は、結縁御開帳に合わせて、参ったので、秘仏である本尊の聖観音菩薩を拝見することができました。22年ぶりだそうで、次はいったいいつになるのやら・・・なので、いいタイミングで参拝することができてよかったです。


さぁ、西国巡礼もあと8箇所を残すのみ。
青岸渡寺、上醍醐寺、正方寺、石山寺、三井寺、宝厳寺、長命寺、華厳寺。
残ったところは、結構遠いところばかり。それでも、春までには満願となるでしょう。がんばるぞー(^.^)/

應頂山 勝尾寺

先日の有休消化のとき、半休で行ったのが、この勝尾寺。ここは紅葉の名所なので、時期をずらして今のうちの訪れることにしました。
今回は車で。出来る限り車は使いたくないんですが、このお寺へ行くバスは平日は3本しかありません。これでは、ちょっとこのバスは使いにくいですからね。
■應頂山 勝尾寺(がんちょうざん かつおうじ)■
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。
伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺(かぶさんじ)など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。
元暦元年(1184年)、源平の一ノ谷の合戦のあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷次郎直実・梶原景時によって再建された。
承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。(Wikipediaより)



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左:この山門は1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建されました。平成8年修復終了。朱塗りが美しいです。
右:勝ちダルマ奉納棚。ダルマだらけ(^.^) 勝尾寺が勝利祈願の寺として有名になったのは、源氏、足利氏など歴代の武将が勝運祈願をしたことに由来しているらしいです。
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左:本堂。1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建されました。安置されるご本尊は十一面千手観世音菩薩。平成11年修復終了しています。
右:本堂の左奥にある二階堂。浄土宗の開祖「法然上人」が4年間修業したお堂だそうです。
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左:観音池から見上げる多宝塔。昭和62年修復完了しています。
右:薬師堂から石段を登ると奥の院が。そこにある五輪塔は鎌倉時代前期のもの。源頼朝の命で伽藍を復興した熊谷直実の供養塔といわれています。

ほんとはもっと写真撮ったんですけどね。有名な勝尾寺とはいえ、シーズンを外した平日だと、参拝客はかなり少ないです。紅葉よりは建物を撮りたいわたしとしては、いい時期に行ったなと思います(^.^)

せっかく箕面まで来てるのですから、滝も拝んでおくことにしました。
滝_001  滝_002
箕面滝(みのおのたき)は、大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内にある滝である。箕面大滝ともいう。日本の滝百選の一つに選定されている。落差33m。(Wkipediaより)
ここシーズン外して、夕方に行くと人少ないです。明治の森箕面国定公園は、いずれハイキングがてらじっくり散策してみたいものです。自然に囲まれて休日を過ごすなんて素敵ですもん(^.^)
それにしても、箕面名物の猿、一匹も姿見ませんでした。観光客の数と比例するんでしょうかね? 紅葉の時期になれば、どこからかわんさかわいてくるのかなぁ。

第七番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺)

■■第七番 東光山 岡寺(龍蓋寺)■■
         (とうこうざん おかでら(りゅうがいじ)
朱印   山号:東光山
   宗派:真言宗豊山派
   本尊:如意輪観世音菩薩
   開祖:義淵僧正
   創建:天智天皇2年(663年)
   御詠歌:けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 
                     さながら瑠璃の 光なりけり
    所在地:奈良県高市郡明日香村岡806
    拝観料:300円
    拝観日:2008年9月22日
(概要)
岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称する(寺号については後述)。本尊は如意輪観音。西国三十三箇所第7番札所。
飛鳥時代の名僧、義淵(ぎえん)が、早世した天武天皇の皇子、草壁皇子の宮を賜って寺としたのが始まりという。義淵は子供のない夫婦が観音さまに願掛けに通っているときに垣根の上に置かれていた赤ん坊で、話を聞いた天智天皇が義淵を引き取り、幼かった草壁皇子と一緒に岡宮で育てたといわれている。
本堂前の池に暴れる竜を封じ込め、梵字の「阿」を掘り込んだ大石で蓋をしたという伝説から龍蓋寺(りゅうがいじ)の寺名があるが、地名からついた呼名「岡寺」の方が有名。
飛鳥の里を見下ろす高台にあり、仁王門(重文)、本堂、大師堂、昭和61年に再建された三重塔などが点在する。(web上の説明より)



実は、5、6年前に訪れたことのある岡寺。その時は、西国三十三箇所巡礼を知りませんでした。ただ古くて雰囲気のいい古刹だなぁと。紅葉の時期に来たので、また格別のものがありましたね。今回、明日香巡りの一環として改めて参拝することにしました。
参道  入り口
左:自転車で坂を上るのはきついし、ちょうど自転車置き場もあったので、そこに置いてから歩いてお寺へ向かいます。
右:10分ほど歩くと、寺の入り口へ到着。いい運動になります(^^ゞ
仁王門  境内へ上がる階段
左:慶長17年(1612)建立で重要文化財である仁王門。昭和42年(1967年)から同43年(1968年)にかけて大規模な解体修理を行っています。四隅上にはそれぞれ阿獅子・吽獅子・龍・虎があり大変珍しい形だそうです。
右:仁王門をくぐって、お寺に入ります。本堂は石段をの上がった広場にあります。
大師堂  三重塔
左:本堂のある広場へ行かず、右手にさらに上がると大師堂があります。昭和の始めの建立だとか。
右:大師堂からさらに奥へ上がると三重宝塔があります。三重宝塔は旧境内地(現治田神社境内)に建っていいましたが、文明4年(1472)7月21日の大風により倒壊して以来、実に514年ぶりに昭和61年(1986年)、弘法大師記念事業として514年ぶりに再興されました。
さらに、塔再建より15年を経て内部の荘厳を整え、平成13年(2001年)11月に再興し、毎年、開山忌に公開をしています。
三重塔付近からの風景  鐘楼
左:三重宝塔付近から見た風景。明日香村が一望できます。
右:鐘楼。正確な建立年代は不明だそうですが、梵鐘には文化5年(1808)と刻まれていますので、建築様式などから本堂と同時期に再建されたものと思われます。
本堂01  本堂02
左:とにかく大きく圧倒的な存在感のある本堂。ここまでのものはなかなかないと思います。現存の本堂は文化2年(1805年)の上棟。
右:ここは常時ご開帳していますので、いつ訪れても観音様を間近で拝むことができます。
如意輪観音菩薩坐像  龍蓋池
左:本尊の如意輪観世音菩薩。塑像(土でできた仏像)としては日本最古かつ日本最大で高さ4.85mもあります。寺伝によると弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまで本尊とされてきた金銅如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(重要文化財)を胎内に納められ本尊とされました。(写真は公式サイトより)
右:「龍蓋寺」の名前の由来ともなった「龍蓋池」が本堂の前にあります。農民を苦しめていた龍を義淵僧正が、その法力をもってこの池に封じ込めたという言い伝えからきているそうな。
開山堂  桜門
左:本堂西側にある開山堂。阿弥陀三尊を安置しています。多武峰妙楽寺(現、談山神社)より移築されたお堂で、移築の際、桧皮ぶきから瓦葺きに変更されたが、その影響でお堂自体にかなり負担がかかり痛んでいたので、元の形状に戻す為、平成16年(2004年)よりおよそ2年の月日をかけ解体修理を行いました。
右:書院(重要文化財)の前方に建つ入母屋造の楼門で、慶長年間(1596~1615)頃の建立らしいです。奥の書院は修理中なのか、見ることができませんでした。
奥の院へ  お稲荷さん
左:奥の院へ続く石段。鳥居をくぐることになります。
右:石段を上がると稲荷社があります。
弥勒の石窟  十三重石塔
左:稲荷社の右手上に石窟が。中を覗くと奥のほうに仏像があります。
右:奥の院の散策路を歩くと十三重石塔が。間近で見るとかなり高い感じがします。
義淵僧正廟所  境内上から
左:義淵僧正廟所。開祖である義淵僧正は法相宗の祖であり、その門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基、その他にもおよそ奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けたといわれています。
右:義淵僧正廟所付近から本堂を見下ろします。狭い境内の中で、本堂の大きさが際立っていますね。
すごく対極な感じのする2つの寺を同じ日に回りました。南法華寺と岡寺、同じ霊場でもここまで違うんだなぁと感じましたね。どちらのお寺もそれぞれに魅力がありますから。

第六番札所 壷阪山 南法華寺(壷阪寺) 

■■第六番 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)■■ 
        (つぼさかさん みなみほっけじ(つぼさかでら))
朱印   山号:壷阪山
   宗派:真言宗
   本尊:十一面千手観音菩薩
   開祖:弁基上人
   創建:大宝3年(703年)
   御詠歌:岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭のいさごも 浄土なるらん
  所在地:奈良県高市郡高取町壺阪3
  拝観料:600円
  拝観日:2008年9月22日
(概要)
南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗の寺院。山号は壺阪山。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。
草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺といい、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。
本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。園内には養護盲老人ホーム慈母園がある。
先代住職のインドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大なもの。その他、インド渡来のものとしては、石像大仏伝図、天竺渡来大石堂がある。(Wikipediaより)



webでこのお寺の事を見るたびに紹介される石仏、石像の数々。ものすごく気になってました。岡寺も近いので同じ日にまとめて巡ってみることにしました。後の予定もあり、早く駅に着いたのでバスもなく、タクシーで寺に向かいました。いきなり、楽しているような気が・・・(^^ゞ
講堂
タクシーを降りるともう寺の入口(写真右手)です。この大きな建物は大講堂。入口にどーーんと存在感を示しています。
山門 仁王像(左) 仁王像(右)
左:仁王門(山門)。室町時代のものだと書かれていたと思います。
中央、左:門内に立つ仁王様。ちょっと痛みが激しいような気がしますが・・・。
壷阪大佛
仁王門を抜けるといきなり眼に入る大釈迦如来石像(壷阪大佛)。普賢菩薩石像(400トン、総高15m)、文殊菩薩石像(高さ5m)、十一面千手観音石像(高さ5m) すべてインド花崗岩にてインドのカルカラ市の工房で6年をかけて製作されたもだとか。新しいなぁと思ってたら開眼は2007年と書いてありました。
灌頂堂  多宝塔
左:灌頂堂。平成15年(2005年)再建。内部には十一面千手観音(平安時代)と壷阪寺と縁の深い本多一族の像が安置されています。
右:多宝塔。平成12年(2002年)再建。内部には大日如来坐像(平安時代)が安置されています。
慈眼堂  三重塔
左:階段を上がって慈眼堂をくぐります。これも平成の再建です。堂というよりは門みたいですねぇ。
右:三重塔。室町時代の明応6年(1497年)の建立で、重要文化財。宝永7年(1710年)に大修理が行われたそうです。
礼堂  本堂左:礼堂。本堂は礼堂に密着して建っています。礼堂は本堂に祀られている「本尊」を礼拝するために造られたもので、室町時代中期以前の建立です。
右:本堂(八角円堂) 江戸時代の再建で、本尊が安置されています。礼堂、本堂とも重要文化財です。
千手千眼観世音菩薩
本尊十一面千手観音菩薩像。人形浄瑠璃『壺坂霊験記』[つぼさかれいげんき]にも描かれた本尊十一面千手観音像は眼病に霊験あらたかだといいます。ちなみに、眼病患者を救う観音を祀る寺として有名になったのは明治時代以降だそうです。
お里・沢市の像 めがね供養観音
左:お里・沢市像。夫婦愛を謳った浄瑠璃の主人公です。
右:めがね供養観音。これもインド渡来の観音様でいらなくなっためがねをここに持って行くと供養してくれます。
仏伝図リレーフ 仏足石
左:高さが10m、全長50mにも及ぶ世界にも比類ない仏伝図リレーフ。昭和61年に完成したもので、インドカルカラの古石を用いてインドで制作されたものです。
右:リレーフの場面場面の間にある仏足石。間接ごとにきれいに賽銭が並んでいるのを見ると、日本人らしいなぁと思う(^.^)
行者堂  中興堂
左:行者堂と右:中興堂。
天竺門  鐘楼
左:天竺へと続く天竺門。この先にでかい観音様と涅槃像が。わくわくしますねぇ(^.^)
右:その門のそばにあった鐘楼。
大観音石像  大涅槃石像
左:高さ20m、総重量1200トンの天竺渡来大観音石像。インドカルカラの3億年前の古石を用い、延べ人数約7万人の石工達の協力で4年7ヶ月の歳月をかけ完成しました。わたし・・・不謹慎ながらドラクエⅣの魔神像を思い出しました・・・。動きそうですもん(^^ゞ
右:全長8mの天竺渡来大涅槃石像。これも観音様と同じ方法で作られたそうです。
印相なのかな
なんだかよくわからないけど・・・印相なのかな?ここだけだとまるでパラダイスな風景(^.^)
七福神石像  高僧石像
右:奥にあった七福神石像。以前は礼堂の前にあったらしいです。
左:さらにその奥にあった高僧石像。ずらーーーっと並んでいるのはちょっと・・・(^^ゞ
大石堂  大石堂内部
左:天竺渡来大石堂。インド・アジャルタ石窟寺院をモデルにして延べ12万人の日本・インドの人々によって造られた総重量1500トンおよぶ石堂です。
右:その内部。石仏、一字金輪曼陀羅、大仏舎利塔が安置されています。ちなみにこのお堂は納骨堂だったりします。
境内  寺全景(シュールだなぁ)
右が境内。左が観音様のあるところから見た全景。石造りのものが全部浮いている気がしますねぇ。なんか、ミスマッチの極みの様なお寺です(^.^)
有る意味テーマパークのようなネタ満載の霊場。すごいというかなんというか・・・。福祉活動をしているのは分かるけど、その成果だといってこのような石像物を造る理由がいまいちよく分かりませんね。
このお寺の先に五百羅漢、高取城跡などの名所もあるのでまた機会を見つけて訪れたいです。そしたらまた石像が増えているかも・・・(^.^)

第九番札所 興福寺南円堂

■■第九番 興福寺 南円堂■■
         (こうふくじ なんえんどう)
南円堂朱印   宗派:法相宗
   寺格:大本山
   本尊:不空羂索(ふくうけんさく)観世音菩薩(国宝)
   開祖:藤原冬嗣
   創建:弘仁4元年(813年)
  御詠歌:春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲
  所在地:奈良県奈良市登大路町48番地
  拝観料:無料
  巡礼日:2008年9月21日
(概要)
南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三箇所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである(特別結縁にて御開帳。日程:2008年10月17日~11日24)。(Wikipediaより)
南円堂01 南円堂02
左:平成4年6月から3年半かけて、解体修理が行われました。見た目には新しい建物に見えますね。
右:御詠歌を書いた額がかけられています。
南円堂03
北側から見た南円堂。見事に八角形。八角円堂としては国内最大規模だとか。
鐘楼 納経所
左:南円堂の向かって左側にひっそりと建つ鐘楼。撞くことはできません。
右:納経所。雨が上がった直後だからなのか、日曜日だというのにすぐに御朱印がいただけました。
南円堂は興福寺の一堂なので、さくっと境内を回ることにしました。
■興福寺■
法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。
その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。
その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。
天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。
平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。
文禄4年(1595)の検地で春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。
その後、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで興福寺は荒れましたが、その後は寺僧有縁の人々の努力で復興が進展し新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。(興福寺公式サイトより)
恥ずかしながら、なぜ塀がなく奈良公園と一体化しているのかという理由を初めて知りました(^^ゞ
東金堂 五重塔
左:東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。現在の建物は応永22年(1415年)の再建であり、室町時代の建築ですが、規模、形式ともに天平時代の堂に準じています。
右:五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建され、現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建です。高さ50.8メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。(説明文はWikipediaより)
東金堂と五重塔
東金堂と五重塔のツーショット。日曜日の昼間とは思えないほど人が入っていないベストショット(^.^)
北円堂 三重塔
左:北円堂(国宝)は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になります。昭和40年(1965年)に修理が施されたようです。
右:三重塔(国宝)。康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建されました。現在の塔は治承4年(1180年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築です。(説明文はWikipedeiaより)
最初はお参りするつもりではなかったんですが、奈良国立博物館を出たら雨が上がっていたので予定を変更しました。三十三所巡礼は南円堂からスタートと相成りました。
今回は予定外でしたので国宝館などじっくり散策はしていません。10月17日からの御開帳に訪れるつもりでしたからね。楽しみは次回にとっておくことにしました(^.^)

プロローグ

今回一緒に舞台をする役者さんのカバンの中に一冊の赤い本が。何の本かと思ってよーーく見てみると「西国三十三所霊場納経帖」と書かれてありました。
聞いてみると、奈良国立博物館の特別展「西国三十三所―観音霊場の祈りと美」というのを見てきたそうで、いろいろ御開帳があるから西国霊場を巡るんだそうです。
早速調べてみると、「西国巡礼中興の祖・花山法皇の一千年御忌にあたり、平成20年9月1日から平成22年5月31日までの期間、一千年来初めて、西国三十三所全札所揃ってのご本尊ご開帳(西国三十三所結縁御開帳)が順次行われます。」とあるではないですか。
こうして、一千年御忌を迎えるときに西国巡礼を知ったのも何かの縁。寺好きなのだから何か目的を持って巡るのもいいだろうし。そう考えて、巡礼を開始することに決めました。
上記の特別展が今月の28日に終わってしまうので、わたしもまずはここからはじめようと久しぶりに奈良国立博物館へ向かいました。雨降ってましたが、この日しか回れる日がなかったもんで強行しました。月曜日に有休とってたんで、その日行こうと思ってたんですが、休館日というものを完全に失念しましたんで・・・(^^ゞ
本館 新館
左:本館入口。本館自らが重要文化財という由緒正しき博物館。
右:新館入口。特別展はこちらで開催されていますので、本館通り過ぎてこちらから入場します。
一つ一つ目に焼き付けるように展示品をじっくり2時間以上かけて鑑賞しました。いいですねぇ(^.^) こんなに一堂に展示されることはこの先ないかもしれないですからね。平常展のほうも仏像がいっぱい。あぁ、もうお腹いっぱい(^.^)
記念に図録も買いました。写真集だと思えば安いものです。ただ、かなり重たくてカバンがずっしり。ちょっと、持って帰るのに疲れました(^^ゞ