有休消化の過ごし方・平野巡りその2

懐かしい感じのする町並みをぶらぶらしつつ、第2の目的地へ。恥ずかしながら、この地名読めませんでした(^^ゞ
■杭全(くまた)神社■
貞観4年(862年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが最初と伝えられている。
以降、建久元年(1190年)に熊野證誠権現(伊弉諾尊)、元亨元年(1321年)には熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請合祀し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の勅額を賜り、熊野権現社の総社とされた。
明治になって現在の社名に改まった。日本で唯一連歌所が残っており、連歌会は明治以降廃れていたが、1987年に復活させ、現在、毎月定期的に平野法楽連歌会が催されている。1999年からはインターネット連歌が始まった。初代の連歌所は室町時代に建てられたが、大坂冬の陣で焼かれた。現存するのは1708年(宝永5年)に再建されたもので、大阪市指定文化財に指定されている。
(Wikipediaより)
杭全神社・鳥居 杭全神社・大門
左:国道25号線に面した大鳥居。ここから本殿に向かって約400m参道が続きます。
右:大門。鎌倉時代のもので、文化財指定されていてもおかしくない立派な門。だんじりを通すのに桁を上げたために指定されなくなったのだとか。
杭全神社・拝殿 杭全神社・中門
左:拝殿。1858年(安政5年)の建立で、1990年(平成2年)に大改修が行われました。
右:中門。この奥に重要文化財である本殿(第一殿、第二殿、第三殿)があります。残念ながら、講師の隙間から少ししか拝むことができませんでした。
神社らしく、立派な木がたくさん。どれもご神木といっても差し支えないほど。その中でも特にこの2つがすごいです。
杭全神社・楠 杭全神社・イチョウ
左:参道から境内に入って左手にある大きな「杭全神社の楠」 大阪府指定の天然記念物に指定されています。
右:稲荷社の前にあるイチョウ。推定樹齢700年、高さ約18m。大阪市の保存樹に指定されています。
思っていた以上に、静かでいい神社でした。まさに平野の鎮守ですねぇ。
日露戦役紀念碑 筆塚
参道脇にあった、日露戦役紀念碑(山県有朋の書)と筆塚。
さらにてくてく、途中でお腹がすいたなぁと思ってたら、お饅頭屋さんを発見。
福本商店「亀乃饅頭(かめのまんじゅう)」
福本商店「亀乃饅頭(かめのまんじゅう)」 という寛永元年(1624年)創業で380余年の歴史と伝統を誇る老舗の和菓子舗。亀乃饅頭を2個買って食べてみました。これがなかなか上品な甘さでいくらでも食べられそう。これはお土産にもってこいかも(^.^)
そして、第3の目的地へ到着。地図で見て大きいなぁと思ってましたが、実際来て見るとそれ以上に感じました。
■大念仏寺■
大治2年(1127年)、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。(パンフレットより)
大念佛寺・山門 大念佛寺・円通堂
左:江戸時代前期(元禄)建立の山門。 霊元天皇皇女・法鏡寺宮御親筆の勅額「大源山」を掲げています。
右:円通殿(観音堂)。伝教大師作と伝えられる聖観音立像を祀り、左右には大通上人が募った日月祠堂位牌を安置。扁額「円通殿」は大通上人直筆。平成元年改修復元。(説明はパンフレットより)
大念佛寺・良忍上人像
経堂に坐する開祖・良忍上人像(聖應大師)
平安末期の延久4年(1072年)尾張国知多郡(現愛知県東海市)に生まれ、12歳の時比叡山にのぼり良賀大僧都のもと剃髪得度し天台の諸典籍を学び、23歳で真の仏道を求めんと意を決し京都大原に移り念仏三昧にひたる。また美声と音楽才能に恵まれ、分裂していた天台声明を統合する。46歳の時、阿弥陀如来より直授された融通念仏をひろめるため諸国を行脚し念仏勧進に明け暮れ、長承元年(1132年)大原来迎院にて61年の生涯を終えた。(パンフレットより)
大念佛寺・本堂01 大念佛寺・本堂03
本堂。総欅造り銅板葺で、東西約50m、南北約40m、大阪府下最大の木造建築だとか。昭和13年(1938年)再建され、平成15年(2003年)に国の登録有形文化財に指定されました。
フレームに入り切れないほど立派です。広角レンズが欲しいなと真剣に思いましたもん。
大念佛寺・本堂02
本堂内部も寝転んでゴロゴロ転がりたいくらい広いです(^.^) 
大念佛寺・宝物館、経堂、毘沙門堂 大念佛寺・南門
左:手前から宝物館、経堂、毘沙門堂。お寺の大きさがわかりますかねぇ。
右:南門。元古河藩陣屋門で明治の廃藩後、平野小学校表門として昭和2年(1927年)まで使用し、昭和37年(1962年)にこの地へ移築されました。
大念佛寺・楠 大念佛寺・鐘楼
左:境内北側にある楠。大阪市の保存樹に指定されています。
右:鐘楼。江戸時代に作られた名鐘だそうで、従一位右大臣藤原家孝公撰の銘文があります。
さすがは総本山。大きさ、風格ともなかなかのものでした。霊明殿のみ修理中でよく見れなかったのが残念です。
平日の昼間に境内をうろうろしている人はわたし一人。不審な人に思われたかな・・・。実際、本堂で「何かお探しですか?」と聞かれたし・・・(^^ゞ
平野の町はほんとノスタルジック。
ペンギン模型 街の博物館 おも路地
懐かしい感じのするペンギン模型に街の博物館 おも路地。
平野を満喫するなら、第4日曜日(できれば7月)に行くとよいでしょう。各地の博物館は平日は開いてないところばかりですからね。平野町ぐるみ博物館という町ぐるみの活動、これからも盛り上がることを期待します。また来たい町ですね、平野。