福井・寺攻め城攻め その2(永平寺と丸岡城)
乗り物編の次はメインの寺攻め城攻め。今回の福井行きの目的地でもある永平寺から行ってみましょう(^.^)
■吉祥山 永平寺(きっしょうざん えいへいじ)■
「福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の大本山。開山は道元。道元は1227年(安貞1)中国宋から帰朝し、33年(天福1)山城(国(京都府)宇治深草に興聖寺を開いて住すること10年に及んだが、43年(寛元1)興聖寺を去って、檀越波多野義重(よししげ)の領地である越前(福井県)に赴いた。入越後しばらく吉峰寺(よしみねでら)、禅師峰の古寺に仮寓したが、翌年、伽藍の完工とともに永平寺に移った。初めは寺名を大仏寺と称したが、1246年、吉祥山永平寺と改めた。永平寺の寺名は、後漢・明帝の永平10年(西暦67)に仏教が初めて中国に伝えられたように、正しい日本仏教はこの寺より始まるという道元の抱負に基づき、その年号にちなんで命名された。大仏寺は現在の永平寺の位置から6キロメートル山奥に、その旧跡と伝えられている所があって、いつの時代か現在地に建てられたという伝承がある。しかし、初めから現在地に建てられたという移転否定説が有力である。道元の後を継いで永平寺第2世となったのは弟子孤雲懐奘であるが、懐奘の弟子徹通義介が入宋し、彼(か)の地の禅刹(ぜんせつ)伽藍を見聞して帰朝してのち、山門を建て、回廊をつくって伽藍を整備した。1297年(永仁5)火災にあったが、越前宝慶寺より義雲(第5世)が転住して復興した。このため義雲は中興と称される。
1372年(文中1・応安5)後円融天皇の勅詔によって永平寺は日本曹洞第一道場の勅額を授けられたが、1473年(文明5)の兵火により諸堂ならびに勅書を焼くに至り、1539年(天文8)朝廷からふたたび日本曹洞出世道場の追認が与えられた。1615年(元和1)には徳川秀忠(ひでただ)によって法度が永平寺に下され、能登(石川県)の総持寺(現在は神奈川県横浜市)と並んで曹洞宗大本山としての地位が確認された。江戸時代には黄檗(おうばく)宗の伝来によって叢林の規矩が乱れたが、1795年(寛政7)玄透(第50世)が入院し、道元の清規の復古と伽藍の再興に尽くした。永平寺は道元以来、宋の太白山天童景徳禅寺に模したものであるが、現在に至るまでよく宋元禅林の古規を伝えているのは、主として玄透の功績による。これがために玄透は重興と称される。」(WEB上の説明より)
左:杉の巨木がすでに雰囲気満点。聖域という感じがします。
右:吉祥閣でレクチャーを受けた後、最初に見るのが傘松閣の絵天井。お見事。
左:奥が寛延2年(1749年)の建築である山門、手前が中雀門。
右:仏殿。本尊の釈迦・弥勒・阿弥陀の三世仏が祀られています。
左:京都や奈良のお寺ではなかなか見られない、修行中のお坊さんを見ることができます。ここは大庫院と呼ばれる台所兼事務所のようなところ。
右:左に見えるのが坐禅修行のための建物である僧堂。正面が仏殿.
左:すべての建物が廻廊で結ばれています。斜面に立てられているので急な階段になっています。
右:松平公廟所。門の内側には越前藩三代目・松平忠昌の五輪塔が祀られているそうです。
建物事態はみな比較的新しいんですが、敷地内にある杉の巨木がいかにも聖域というか修行の場というか、俗世とは隔離された世界という雰囲気を醸し出していていました。
永平寺の次は、一番のメイン、丸岡城へバスで移動。
■丸岡城■
「戦国末期~江戸期の城。福井県坂井市丸岡町霞町にある。福井平野の北東、丸岡盆地の丘陵(霞山)に築かれた平山城である。城は1576年(天正4)に柴田勝家の甥、勝豊によって築かれた(75年説もある)。城主は次々とかわったが、1695年(元禄8)有馬清純が5万石で入城し、明治維新に至った。二重三層の天守閣は、初層大入母屋屋根上に回縁勾欄付きの望楼をのせた、初期天守の形式がよく残されている。」(WEB城の説明より)
丸岡城の天守は、全国で現存する12基の天守で最も古いといわれています。本丸しか残っていないため、小山の上に天守があるといった感じ。それでも、この古風堂々とした天守はずっと見てても飽きませんね(^.^)
左:天守一階。柱も梁も太い。
右:階段はあまりに急でロープを使わないと昇降するのは危ないです。
天守2階と3階。3階の勾欄付きの望楼には出ることはできません。
左:天守3階からの眺め。町並みが一望できます。
右:日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の石碑がありました。
左:「霞ヶ城」の名の由来となった井戸。合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものらしい。
右:丸岡城を取り囲む内堀は明治時代には埋め立てられ、今は道路になっています。外堀は用水路となり、今も町のあちこちにその面影が残っています。
永平寺に丸岡城、行けば20年前の記憶がよみがえってきました。ほんと、再訪した甲斐がありましたわ(^.^)
そして、その3へ続くのであった(^.^)
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