福井・寺攻め城攻め その3(丸岡城周辺と福井城周辺)

その3は丸岡城周辺から福井城周辺を散策。シャキシャキといってみましょう(^.^)
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左:丸岡城近くの淨覺寺に残る家老有馬天然屋敷跡の庭園。
右:丸岡城近くの神明橋のたもとにある「タブの木」。樹齢推定450年の古木。
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左:丸岡城近くの円光寺にあるキリシタン燈篭。石竿にマリア像が彫られ上部に十字架をかたどった模様があります。
右:福井市内にある西光寺に柴田勝家、お市、柴田勝景(勝家の甥で丸岡城主)、柴田孫次郎(勝家の子)の合祀墓がありました。墓といっても遺骨等はなく供養塔のようなものなのでしょう。
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足羽山近で福井藩祖・結城秀康の菩提所とありましたが・・・・ほんとにここなのかな?
■北ノ庄城■
「朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになるが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録が残っている。1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに結城氏によって北ノ庄城が築城されたため、現在では柴田氏の遺構を見ることは出来ない。
平成5年(1993年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土したが、本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていない。」(Wikipediaより)
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左:本丸跡に作られた北ノ庄城址・柴田公園。柴田勝家公の銅像がりりしい(^.^)
右:大河ドラマのおかげなのか、北ノ庄城天守復元模型が展示されていました。推定ではありますが、堂々たる天守であったことは間違いないですね。
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左:発掘して発見された北ノ庄城の石垣の根石。
右:お市の方と、茶々・初・江の浅井三姉妹の銅像。三姉妹のは、大河ドラマのおかげで建ったのかな?
■福井城■
「福井城は慶長6年(1601)、福井藩祖結城秀康が6年の歳月をかけて造り上げました。天守閣をはじめ、巽櫓など三つの櫓が聳えており、天守閣は白壁の四層五階で、高さは約25mありました。寛文9年(1669)4月の大火により焼失、藩では直ちに再建に着手し3年後に復旧しましたが、天守閣だけは幕府の禁令により再建を許されませんでした。福井城は、明治2年(1869)6月の版籍奉還に至るまで、藩主17代・270年にわたる越前松平家の居城として天下にその名をうたわれてきました。
堀の石垣には、「笏谷(しゃくだに)石」が使われ、当時の美しい姿は今も本丸跡に偲ばれます。」(WEB上の説明より)
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左:本丸と内堀を残して埋め立てられました。今は本丸には福井県庁舎・福井県警察本部庁舎が建っています。
右:平成20年に復元された御廊下橋。
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左:天守台。ここには4層5階の壮大な天守が建っていましたが、寛文9年(1669念)4月の大火で焼失して以来、再建されませんでした。
右:小天守台の脇にあるこの古い井戸は、「福の井」といい福井の名の由来になったとか。
福井城の建物は意外なところに現存しています。瑞源寺という足羽山のふもとのお寺にそれはありました。
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左:本堂。本堂は万延元年(1860年)に再建されたが、実は福井城本丸御殿の一部を移築したもので、天保2年(1931年)に14代藩主斉承がつくった御小座敷と呼ばれる御殿だったそうです。
右:本堂内の法事の時などに殿様をお迎えした部屋で、近年きれいに改修したそうです。
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左:同じく本堂内。ご本尊が祀られているのが見えます。
右:庭と奥に見える書院。この書院も同様であり、大奥御座之間が移築されたものです。残念ながら内部は見られませんでした。
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左:福井城の門「舎人門(とねりもん)」やその一帯を復原した「福井城舎人門遺構」。奥に見えるのが福井市立郷土歴史博物館。
右:養浩館庭園入口。養浩館庭園は、江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれた旧福井藩主松平家の別邸したが、空襲で消失。平成16年にすべての整備が完了し、往時の姿を取り戻しました。
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国の名勝に指定されている美しい庭園。夕暮れが迫っていたので、もうちょっと遅かったら、照明がほとんどない庭園の方には行けないところでした。
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左:「御茶屋」と呼ばれた数寄屋風書院建築のお屋敷。
右:お屋敷内の御湯殿。昔は蒸し風呂が主流でした。
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すっかり日も暮れて、建物内は雰囲気満点。そして貸切状態でゆっくり満喫しました(^.^)
いやぁ、よく一日でここまで回れたもんだと思う。しかも移動はすべて公共交通と徒歩という条件の中でね(^.^)
城下町というのはどこへ行っても何かしら感じるもんがありますな(^.^)