最終的には篠山なプチツー その1

京都へ行くルートを171号線以外で開拓しようと、前の職場でのパトロールルート、三田から亀岡に至る道を走ってみることにしました。
六甲トンネル→呑吐ダム→三木市→三田市→猪名川町→能勢町→亀岡市というルートです。
ところが・・・今日はとてつもなく寒い!! 甘く見てまして、インナー付きメッシュジャケットでも、芯から体が冷えるくらい。5月だというのになんじゃこれは・・・という気温でした。
亀岡行きは、猪名川町あたりで断念し、372号線を通って再度篠山へ向かいしました。2回行っている割には見ていないところもあるので、その辺を見て黒豆パンをお土産に買って帰ろうと。
パトロールで通っている頃から気になっていた神社に寄ってみました。猪名川町営プールの向かいにある神社で、春日神社と碑に刻んであります。
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それにしても、わたしの前にお参りした人はいつ来たんだろうと思うくらい静かで少し寂れた感のある神社でした。神社に付き物の舞台もあったんですが、それがそのものなんだと気付いたのは神社を離れた後だったので、写真を撮り損ねたのが残念・・・。
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鳥居の下のFZ400をパチリ。すさまじく寂しそうな雰囲気。早く帰ってきてーと言ってるようないないような・・・。
篠山市に到着。城の堀の鴨が堀から出てお昼寝中。水鳥って寝るのも水の上かと思ってたんで、この鴨の団体にちょっとびっくり。
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春日神社って、結構どこにでもあるみたいですね。この篠山春日神社は、867年、奈良の春日神社の分霊を今の篠山城跡に勧請(かんじょう:分家のようなもの)したもので、篠山城が築城されるに際し、この地へ移されたそうです。
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左が能楽殿です。篠山藩第13代藩主青山忠良の寄進により、文久元年(1861)に建立されたもので、当時箱根より西では最も立派なものといわれた舞台です。現在でも能や狂言が催されています。右が絵馬堂。昭和27年8月、平和記念に建立され、ここに揚げられた20有餘の馬絵は、元旧拝殿の内に掲げられていたものです。
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絵馬の中でもこの2つが特に有名のようです。左が「大森彦七絵馬」で、彦七(足利尊氏家臣)が湊川合戦で楠木正成に詰腹を切らせた応報として南朝諸雄の霊魂に悩まされたという太平記の故事を元にして書かれたものです。
右が「黒神馬絵馬」です。慶安2年、藩主松平忠国が明石へ転封の際に奉納した絵馬で、狩野尚信の筆と伝えられ、その勢いから馬が絵から抜け出して、畠の豆を食い荒らしたという伝説が生まれ、一時絵馬に金網が張られてたそうです。
まずはここまで。残りの篠山散策の詳細はパート2にて(^o^)丿
   FZ400   本日の走行距離:167km
             積算走行距離:9789km(納車時:8176km)
                   給油:5.0リットル