有休消化の過ごし方・平野巡りその1

今月中に結構な数の有休を消化しなければならない。で、適当に有休とってみたものの、暇なのでぶらっと出かけることにしました。
今回の目的地は大阪市平野区。web上で検索してみるとなかなかに風情のありそうな感じなので決めました。
まずは、ここに行きたかったといっても過言ではない最初の目的地、全興寺へ。
■全興寺(せんこうじ)■
今から千三百年前、聖徳太子が平野の野中の地に小宇を建立して、薬師如来の像を安置されたと寺伝にあり、これが全興寺の草創です。その薬師堂から次第に町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。(パンフレットより)
全興寺・門 全興寺・地獄堂
左:西門。門のそばにある変な物体は冨長敦也作の石像だそうです。
右:門をくぐるとすぐ横に地獄堂があります。地獄堂入口横の壁にあるのが「極楽度・地獄度」チェック。
全興寺・地獄堂(裁判官) 全興寺・地獄堂(閻魔大王) 全興寺・地獄堂(鬼と奪衣婆)
地獄堂に入ると、裁判官、閻魔様、三つ目鬼、奪衣婆が! 閻魔様の台の銅鑼を叩くと地獄の説明が始まります。もし始まらない場合は、上のスイッチを「ポチっとな」と押すとよいそうです。
それにしても、鬼と奪衣婆の造形がリアルすぎます。お化け屋敷でもここまでのものはないんでは・・・。
全興寺・ほとけのくに 全興寺・ほとけのくに(曼荼羅)
地獄の先には「ほとけのくに」が。降りてみると地下室が。そこにあるのは四国八十八カ所霊場各寺院のご本尊と弘法大師像とステンドグラスの曼荼羅。瞑想空間のようだけど、果たして瞑想できるかどうかは試してないので分かりません(^^ゞ
全興寺・本堂 全興寺・小さな駄菓子屋さん博物館
左:本堂。1615年の大阪夏の陣で一部を焼失し、1661年に再建されたもので、大阪府下では古い木造建築の一つです。
右:小さな駄菓子屋さん博物館。昭和20~30年代に駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃなどを展示。平日は開館してませんので、残念ながら入れず。
全興寺・涅槃仏 全興寺・お不動さん
左:ガラスで作られている涅槃仏。証明が変わって幻想的ですが・・・・なんだかねぇ(^^ゞ
右:一願不動尊。もちろん願掛けましたよ(^.^)
全興寺・商店街側
渋い商店街側からの入り口。看板が怖いです。舌抜かれるの痛そう・・・・。
とまぁ、紹介しきれていませんが、小ネタの数々がある全興寺。行けば必ずご利益があります。だって、ここを訪れるだけで、西国三十三カ所巡礼と同じ功徳が得られるのだから(^.^)
全興寺を後にして、街中をぶらぶら。お寺は結構あるけど、門が閉ざされているところばかり。でも、このお寺は参拝できました。しかも、調べてみると由緒ある寺だと判明。
■長寶寺(ちょうほうじ)■
当山の開基は坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の妃“春子姫”です。延暦25年(806年)桓武天皇崩御により、春子姫は弘法大師に帰依し剃髪し慈心大姉となられ、坂上田村麻呂が大同年間に(806年~810年)に創建した長宝寺の開基となったのです。
後醍醐天皇が吉野に皇居を移されるとき、当山を仮の皇居とされ『王舎山』の山号を賜りました。
後に広い堂宇も元弘の乱・建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失しました。現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830年~44年)第33代慈源大姉の代に再建されました。(長寶寺サイトより転載)
長寶寺・門 長寶寺・本堂
左:山門。「後醍醐天皇行在所跡」の石碑が立っています。
右:本堂。本尊の十一面観世音菩薩(秘仏)は坂上田村麻呂の守護仏と伝えられ、毎年5月18日には、この秘仏の公開と共に閻魔大王(閻魔大王の自作像と伝わる)の扉を開き法要を執り行われています。
長寶寺・梵鐘 長寶寺・大師堂と護摩堂
左:建久3年(1192年)に作られた梵鐘。倉時代の代表的な作で、重要文化財の指定を受けています。
右:弘法大師を祀る密祖堂と真新しい護摩堂。
長寶寺の向かいにあるのが「本妙寺」。門は立派でした。
本妙寺
今回はここまで。続きはその2で(^_^)/