安土 城攻め・寺攻め その2

ふもとに置いてあった自転車に颯爽と乗り込み、近江風土紀の丘へ。ここには安土城考古博物館はじめ他に重要文化財も移築されています。まぁ、颯爽といっても・・・5分もあれば到着しますが(^^ゞ
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安土城考古博物館
「安土城考古博物館は、特別史跡安土城跡をはじめ、史跡観音寺城跡、史跡瓢箪山古墳、史跡大中の湖南遺跡で構成されている「近江風土記の丘」の中心的な施設として、風土記の丘の各史跡を紹介するとともに、その時代の歴史や文化の理解を深めることをねらいとしています。そして、当館では、城郭と考古を主なテーマとした展示、講座、講演会等の普及啓発事業を行っています。
また、城郭の調査研究や土器等の考古資料の調査、整理、復元を行い、その成果を公開するなど、地域文化の創造の拠点施設として活動しています。」(WEB上の説明より)
展示物は・・・・少し少ない気がしました。建物があまりに立派なのでそう感じましたね。特別展の方も期待外れでちょいと微妙かな(^^ゞ


次に、信長の館へ。ここでは、1992年スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展された、安土城最上部5・6階部分を、万博終了後、安土町が譲りうけ新たに復元された部分を含め、保存・展示してます。
実はここも前々から行ってみたかったところ。あの安土城天守閣が一部とはいえ、復元されているんですもの。復元図でしか見たことのないものが現物として展示してあるなんて、素晴らしいことです。
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左:信長の館全景。天守閣展示のみのシンプルな博物館。
右:天守閣最上部。豪華絢爛。金がふんだんに使われていて、まばゆいばかり。6階は四角形、その下の5階は八角形。
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左:6階内部。「正方形で、外観は金箔で仕上げられ、内部は黒漆塗りである。「天子南面」する 「四角の段」と言われ、正面の南→西→北→東と一周し天子創世の中国故事に 基づく、道教・儒教の教義を描いている。中国創世記の帝王(3皇5帝)、老子・孔 子・七賢人などを描く。 」(WEB上の説明より)
右:5階内部。「正八角形の「八角の段」と称し、宇宙を形どる。柱や天井はすべて朱漆に塗られちょうど法隆寺夢殿のような建築構成になっている。柱にはのぼり竜、くだり竜の彫刻がほどこされ、地獄より天国へいたる仏教観を示す。
内陣には、釈門十大弟子のなかで釈迦が教えを説く様子を描き(釈迦説法図)、外陣(廊下)に面して、地獄における餓鬼畜生(阿鼻地獄図)が金碧極彩色の障壁画で描かれている。」(WEB上の説明より)


博物館2つを制覇し、移築された文化財を見に行きます。
一つ目は、国登録有形文化財 旧安土巡査駐在所
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「旧金田・島・安土の3ヶ所を受けもつ交番として明治18年に建てられた安土巡査駐在所は、昭和40年まで現役の交番として使われていたが、近江風土記の丘に移築保存されている。化粧積みの切石、窓、正面玄関上部の三角形の部分など随所に洋風の意匠が取り入れられ、現存する数少ない明治初期の警察関係の建物のひとつ。」(WEB上の説明より)
実にモダンな駐在所ですね。建築当時の姿できれいに保存されている建物はそうないそうです。
二つ目は、重要文化財 旧宮地宅
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「滋賀県長浜市国友より移築。宝暦4年(1754年)の築で妻入りの広間型である余呉型民家です。」(WEB上の説明より)
意外と内部は広いですねぇ。こういう家に泊まってまったりしたいものですな(^.^)
三つ目は、滋賀県指定有形文化財 旧柳原学校校舎
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「1876年(明治9年)に、現在の高島市新旭町の太田神社境内に初等科小学校して地元の寄付にて着手されました。1906年(明治39年)からは、事務所として使用され 1970年(昭和45年) 近江風土記の丘に移築されました。」(WEB上の説明より)
洋風と和風の融合のような建物です。塔の部分は時計台ではなく、太鼓を吊っていたそうです。
安土城まで行けるかなと思いきや、近江風土紀の丘だけでいっぱいいっぱいになってしまいました。意外とボリューム多かった(^^ゞ 続きは次回へ持ち越し。しばしお待ちくだされ(^.^)