明日香寺社巡り その2

飛鳥寺から橿原神宮へ。その途中にもいろいろ寄りたいなぁというところがありましたが、ここはぐっとがまんしてスルーします。時間もやばいですからね。
途中で見つけた恵比須神社。えべっさんはどこにでもあるんですね。
恵比須神社
そんで、自転車をこいでいくと「豊浦寺跡」という標識が。ちょっと気になったのでここは寄ってみました。
そこには、豊浦寺跡(とゆらでらあと)という看板とお寺が。そのお寺は、浄土真宗本願寺派「太子山 向原寺」といい、 聖徳太子御遺跡霊場第12番札所だとか。
山門 本堂
左:山門。 右:本堂。
太子堂かな なんば池
左:太子堂かな? 右:寺の裏手にあった難波(なんば)池。「推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移った後、552年に百済の聖明王が朝廷に献上した金銅の釈迦佛を蘇我稲目(そがのいなめ)がたまわり、向原(むくはら)の家を浄めてその敷地に豊浦寺を建立したとされている。
 しかし、その後疫病が流行し、それが仏教崇拝によると主張する物部尾興(もののべのおこし)により仏像は「難波の堀江」に捨てられ、寺は焼かれたという。その後、602年4月信濃国(長野)麻績の里人、本田善光と子の善佐によって拾われ、現在は信濃の「善光寺」の本尊として祀られている。 」
小さい池なのにこんな壮大な由来があるそうです。
豊浦寺としては、
「欽明13年(552年)に百済の聖明王から送られた金銅の釈迦像を蘇我稲目が自宅に祀ったのが創建。592年推古天皇がここ豊浦宮で即位。11年後の603年、天皇は小墾田宮に居をうつし、豊浦宮は蘇我馬子が譲り受け、尼寺とした。
平成5年の寺跡の調査で、建物の配置が飛鳥寺と同じであることが判明している。また寺の講堂だったと考えられる場所の下からは、6世紀末から7世紀初のものとみられる遺構が発見されており、宮跡を寺にしたという『日本書紀』の記述が実証された。」 
このような説明があります。
そして、橿原神宮到着。ちょっと迷いましたけどね。時間的に参拝しかできないと判断し、宝物館はパスすることにしました。
■橿原神宮(かしはらじんぐう)■
朱印  主祭神:神武天皇・皇后媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)
  社格等:官幣大社・勅祭社・別表神社
  創建:明治23年(1890年)
  所在地:奈良県橿原市久米町934番地
  参拝日:2008年9月22日
  (御朱印)
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。
昭和15年(1940年)昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
初詣の時期や2月11日の建国記念の日に行われる紀元祭には、特に多くの参拝客が訪れる。また、建国記念の日には右翼の街宣車が集結することでも有名である。
橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側には陸上競技場と野球場があり、スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。なお、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所及び付属博物館がある。また、公苑の付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。(Wikipedeiaより)
一の鳥居 二ノ鳥居と神橋
左:木製の一ノ鳥居。右:二ノ鳥居と神橋。
南神門 神楽殿
左:参道を直角に折れる形で南神門があります。
右:神楽殿は安政2年(1855年)建立の京都御所神嘉殿を移建したもので重要文化財に指定されていたが、平成5年(1993年)2月4日、火災で焼失し、平成8年に再建されました。
外拝殿 廊下
左:外拝殿(げはいでん)。後ろに見えるのが畝傍山(うねびやま)。
右:外拝殿廻廊。残念ながら歩くことはできません。
内拝殿 境内
左:内拝殿。内拝殿の屋根の上に見える千木(ちぎ)は幣殿(へいでん)のもの。安政2年(1855年)建立の京都御所内侍所(賢所)を移建した本殿はその奥にあります。重要文化財だそうですが、そのお姿を見ることはできません。
右:南神門から見た境内。だだっぴろいです。初詣だとここが人でごった返すんでしょうねぇ。
土間殿 北神門
左:土間殿。イベント(能とか)に使われているようです。
右:北神門。北の鳥居から来た人はここから境内へ入ります。
北の鳥居 深田池
左:北の鳥居と参道。
右:広さ4.8ヘクタールもある深田池。睡蓮が浮かんでいます。初夏には満開になるんでしょうね。
文華殿 橿原神宮庁
左:文華殿。もと奈良県天理市柳本町にあった、柳本藩織田家の表向御殿を昭和42年(1967年)移築したもの。天保15年(1844年)の建立です。塀の外から眺めるだけったのが残念。
右:橿原神宮庁。看板には「廰」という「庁」の旧書体で書かれていました。
最後に朱印をいただきました。わかーい巫女さんが一生懸命書いてました。お世辞にもうまい字とは言えませんけど・・・。ま、これは気持ちの問題ですから(^.^)
ここで時間がなくなってきました。自転車を借りたのは飛鳥駅。ここから2駅先なので戻らねばなりません。えっちらおっちら飛鳥駅に戻り自転車を返却。そして、満足しきって明日香村を後にしました。
明日香村、いいですねぇ。都会になってしまった京都と比べると、田園風景も残る奈良の方がやはり好きですね。自転車で走るといろいろ発見があって楽しい。また新たな発見を求めて飛鳥に訪れたいと思います。