京都東山寺社巡り その2

2019年5月24日

それでは、その2スタート\(^o^)/

■智積院■
「京都市東山区にある真言宗智山派の総本山。五百仏頂山と号する。当寺は新義真言宗の拠点紀州根来(ねごろ)寺を再興した寺である。すなわち,根来寺は1585年(天正13)豊臣秀吉により全山が焼討ちにあった。根来大伝法院内学頭坊の能化(のうげ)(住持)だった玄宥は,根来再興を徳川家康に願い出で,秀吉没後の1600年(慶長5),家康から豊国社の坊舎の一部と寺領200石を与えられ,現在地に再興した。これが智積院であり,玄宥は同院中興とされる。」(WEB上の説明より)

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左:総門。東福門院の旧殿の門を移築したものだとか。
右:金堂は1975年(昭和50)に復興。

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左:明王殿。大雲院本堂を移築したもの。
右:名勝庭園。この庭のモデルは、中国の江西省にある名山「廬山」、池は「長江」とされ、「利休好みの庭園」と呼ばれています。

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1995年に再建された講堂とその内部。1947年に講堂が火災にあい、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失しました。

宝物館に展示されている長谷川等伯一門による、『楓図』『桜図』をはじめとした金碧障壁画は圧巻でしたわ(^.^)

■妙法院■
「妙法院(みょうほういん)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号を南叡山と称する。本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝える。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られる。近世には方広寺(大仏)や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、三十三間堂は近代以降も引き続き妙法院所管の仏堂となっている。」(Wikipediaより)

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左:山門。
右:手前から庫裏(国宝)、大玄関(重文)。特別公開時には内部を見学することができます。

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左:庫裏は覗くことができます。
右:本堂(普賢堂)。本尊の普賢菩薩が祀られています。

妙法院は、幕末には、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台ともなっています。

■方広寺■
「豊臣氏滅亡のきっかけとなった「国家安康の鐘」(重要文化財)で知られる。1586年(天正14)、秀吉が奈良・東大寺を模して建立したが1596年(慶長元)の地震で大破。豊臣秀吉の没後、徳川家康が淀君と秀頼にすすめ再興させたが、大鐘の銘に「国家安康・君臣豊楽」とあったのを口実の一つとし、大坂冬の陣、夏の陣を起こし、豊臣氏を滅亡へと追い込んだ。現在は鐘のみが現存する。」(WEB上の説明より)

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左:史跡・方広寺石塁。大仏殿の石垣だったそうです。
右:本堂は1878年に再建されました。

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鐘楼と徳川家康が言い掛かりを付けた「国家安康の鐘(重文)」。「国家安康・君臣豊楽」の文字が見えます。

■豊臣神社■
「豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興された。」(Wikipediaより)
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左:立派な鳥居。
右:国宝である唐門。元南禅寺金地院にあったもので、豊国神社再建に当たって金地院から移築されました。

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左:唐門から先には入ることができませんでした。
右:宝物館。秀吉の歯とかかなり珍しいものが展示されていました。

豊臣神社参拝終了時で、暑さで疲れもピークに達したので、散策をここまでにして帰路に付きました。
久々の寺社巡り、十分に堪能しました。次はいつできるのだろうか・・・・・。

次は仕事行く振りして有休で行こうかな。まぁ、ばれたら嫁に殺されそうですけどね(^.^)