神戸市兵庫区の寺社・史跡巡り

今回、UPするのは能福寺へ行ったときに合わせて巡ったところです。本当ならもうちょっとゆっくり回りたかったんですが、昼から用事があったので、それはできませんでした。
神戸に住んでいながら、こんなところに有名な史跡があるとは思いませんでした。小雨の降る中、能福寺だけにせず、少し足を伸ばしてよかったなぁと実感しましたもん。


■兵庫柳原天神社■
主祭神:菅原道真    創建:不詳
所在地:兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-12
参拝日:2008年9月30日
(概要)
社伝によると昌泰4年(901)2月に菅原道真が筑紫へ左遷された時、暴風雨をさけて和田岬に一時上陸しました。彼の死後その所縁の地に、太宰府にある安楽寺の廟所から菅原道真の分霊をうけて祀ったのがこの神社の起源です。
後に真光寺の末寺である満福寺(現在神社の北隣)の境内に移して、鎮守としていましたが、明治維新の神仏分離によって独立し、柳原天神社となりました。
古い記録としては、元禄9年(1696)兵庫津絵図に見られます。(web上の説明より)
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左:全景。満福寺の隣にあります。兵庫駅からは10分くらいですかね。
右:本殿。境内は駐車場なのか、車で埋まってました。
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左:境内社である稲荷社。雨除けがカーポートとは、いいアイディアだけど・・・・ねぇ。
右:夫婦イチョウ。雌雄同体のイチョウで、縁結び、夫婦円満子宝にご利益があるとか。もちろんお願いしましたよ(^.^)
この神社、兵庫七福神のひとつだそうです。布袋様だそうですが、どこにあったんだろう?


■西月山 真光寺(さいげつざん しんこうじ)■
syuin_20081129201304.jpg   山号:西月山
   宗派:時宗
   本尊:阿弥陀如来
   開祖:(伝)法道
   創建:(伝)大化元年(645年)
   一遍上人御詠歌:旅ごろも 木の根かやの根 いづくにか 
                        身の捨てられぬ ところあるべき
   所在地:兵庫県神戸市兵庫区松原通1丁目1-62
   拝観料:無料
   拝観日:2008年9月30日
(概要)
大化元年(645)開創(諸説あり)健治2年(1276)おどり念仏でしられる時宗の開祖・一遍が中興。正応2年(1289)当寺の観音堂にて入滅し、後に弟子が建てたのが当寺とも伝える。時宗の三檀林(学問所)の1つとされ、境内には一遍の墓(五輪石塔の廟所)も残っている。(全国開運神社仏閣ガイドより)


名前だけは知っていた、一遍上人の終焉の地が神戸にあるとは思いもしませんでした。大仏といい、地元にも知らないところがいっぱいあるんだなぁと、ちょっと神戸を見直したりして(^^ゞ
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左:大檀林の石碑が目立ちます。入り口はここではなく、すぐ隣にあります。
右:境内にある如来塔。お墓を積み上げてあって、結構でかいです。
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左:寺に入って左手に、廟所があります。奥に見えるのは、一遍上人荼毘所。
右:一遍上人廟所。中央の石造五輪塔は一遍上人の墓塔。1.95m高の2段積みで造立年代は
南北朝時代(1336-1392)頃と推定されています。阪神淡路大震災でこの五輪塔が倒壊したおり、初めて遺骨が納められていることがわかり、この遺骨は一遍上人である可能性が非常に高いそうです。
≪一遍≫
鎌倉中期の僧。伊予の人。時宗(じしゅう)の開祖。法名は智真(ちしん)。延暦寺に入り、太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。のち熊野に参籠(さんろう)、霊験により一遍と号し、他力念仏を唱えた。衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め、全国を遊行(ゆぎょう)した。遊行上人。捨聖(すてひじり)。円照大師。
正応2年(1289年)死地を求めて教信の墓のある播磨印南野(兵庫県加古川市)教信寺を再訪する途中、享年51(満50歳没)で摂津兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没した。
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左:本堂。戦災で消失し、昭和37年に再建されたものです。
右:観音堂。阪神・淡路大震災で非違しましたが、奥に見える鐘楼とともに、平成10年5月に再建されました。


お寺の向かいに、清盛塚があります。ほんと、神戸に住んでいて、こんなものがあることも知らなかったなんてねぇ。
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左:全景。十三重の石塔がそびえています。
右:昭和47年に建てられた平清盛像。
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左:石造十三重塔。「弘安9年(1286年)2月」の年号が刻まれています。 もともとは現在より南西11メートルの場所にありましたが、 大正12年に旧神戸市電の道路拡張工事に伴い移転されました。そのときの調査で遺骨は発見されず、墓ではなく供養塔であることが判明しています。
右:琵琶塚の碑。もとは前方後円式の古墳でしたが、平家物語の琵琶の名手平経正に結びつけて琵琶塚(経正塚)と呼ばれるようになりました。
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清盛塚のすぐそばにある、住吉神社と稲荷社。


短い時間で回りましたが、かなり濃密でしたねぇ。近隣にはまだまだ見るべきところがたくさんあるので、機会を見つけて回りたいと思います。七福神でも、まわろうかな(^.^)