嵯峨野 紅葉巡り その1
先週は大山崎へ行きましたが、今週も京都へ紅葉を見に行きました。
今回は、紅葉のメッカ、嵯峨野へ行くことに。阪急は激混みなのでJR嵯峨嵐山駅へ。トロッコ嵯峨駅は、さすがにすごい人でした。この時期は予約できないと乗るのは難しいでしょうね。
屋外で、ある展示物を見つけ、紅葉見る前からテンションMAX(^.^)
HUMMER H1とD51型蒸気機関車がどーんと置かれていました。これは、テンション上がるでしょ(^.^)
まずは長年食べようとして行く事がなかった、湯豆腐を食べに。鳥居本にある目的のお店まで、紅葉を眺めつつ歩いていきます。
嵯峨といえば、竹ですかね(^.^) 観光客多いですね・・・。当然ですが、1眼レフ持っている人も多かったです。
左:びっくりするほど鮮やか。鳥居とマッチングしていますね。
右:この道を進むと、後亀山天皇陵へ行けます。今回はパスしました。
今回、湯豆腐を食べに来た、「茶寮弁治」 写真が湯豆腐膳。ランチで食べるには、1900円とリーズナブルなのが気に入りました。味もなかなか。豆腐もおいしかったのですが、モチモチした生麩田楽が気に入りました。これだけでも、おかわりしたいくらいウマー。一緒に頼んだお酒も、さっぱりとしていてこれもかなりいける。
昼から湯豆腐食って、お酒飲んで、なんと幸せなことでしょう(^.^)
お酒飲んでいい気分で、紅葉散策を続行。鳥居本界隈を散策しました。
「祇王寺から化野念仏寺を経て愛宕神社の一の鳥居に至る参道沿いの約600メートルの区間には、現在も町家や草葺きの民家やお店が現存し、今でも昔の風情を残しています。現在では、この地域一帯は『嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区』に指定されています。」(web上の説明より)
街並みそのものもきれいですが、街並みを見下ろすように紅葉を見るのもまた格別(^.^)
次に、大覚寺へ向かいます。大覚寺は撮影で来たことはありますが、観光では来たことがないので、訪れるのが楽しみでした。
■嵯峨山 大覚寺(さがさん だいかくじ)■
「京都市右京区嵯峨大沢町にある寺。真言宗大覚寺派の大本山。山号は嵯峨山。正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所ともいう。本尊は五大明王。
平安初期、嵯峨天皇は当地に離宮をつくり、譲位後は仙洞御所とし嵯峨院と称したが、811年(弘仁2)に空海に勅して五大明王像を刻し、五大明王の秘法を修せしめた。818年(弘仁9)春、疫病流行の際、天皇は紺紙金泥の『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を書写して心経堂を建て、空海が奉供した。この縁でいまでも心経写経を進めている。
876年(貞観18)嵯峨天皇の皇女正子内親皇(淳和天皇皇后)が嵯峨院を譲り受けて仏寺に改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂法親王が開山となり、以後、代々法親王が入った。1268年(文永5)後嵯峨上皇が、続いて亀山(かめやま)法皇が入寺。また1308年(延慶1)には後宇多(ごうだ)法皇が入寺して伽藍(がらん)の造営に努めたので、大覚寺法皇と称せられ当山の中興開山とされる。
亀山院、後宇多院の皇統に属する皇族が代々住持を勤めたので、この皇統を大覚寺統とよび、後深草(ごふかくさ)天皇の皇統である持明院統と勢力を二分し、南北両朝分立の原因ともなった。1336年(延元1・建武3)兵火により全焼、のち再建された。1392年(元中9・明徳3)南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)の講和のおり、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松(ごこまつ)天皇に三種の神器が授受された歴史的舞台としても知られる。
応仁の乱でふたたび焼失したが、豊臣・徳川両家の外護によりしだいに旧に復した。江戸末期から明治初期にかけて衰退し、一時無住となったが、1876年(明治9)に宮中から200石を受けて復興し、1900年(明治33)に大覚寺派として独立した。」
「 境内には宸殿(しんでん)、正宸殿(以上、国の重要文化財)、五大堂(本堂)、御影(みえ)堂などがある。正寝殿(客殿)は桃山時代の書院造の様式で、11間ある各室は狩野山楽・探幽らの豪華な障壁画で飾られている。宸殿は江戸初期の宮殿建築で、後水尾天皇(在位1611~29)の寄進と伝える。内部の襖絵『牡丹(ぼたん)図』『紅梅図』(国の重要文化財)は狩野山楽筆とされる桃山障壁画の傑作。
寺の東には中国の洞庭湖を模したという大沢池があり、古来風光の美しさで知られる。池の北東の名古曽(なこそ)滝跡は藤原公任が百人一首に詠んでいる。寺宝には、後宇多天皇宸翰「御手印遺告」、「弘法大師絵伝」が国宝に指定されるほか、絹本着色五大虚空蔵像、木造五大明王像、障壁画など国指定の重要文化財が多数ある。おもな年中行事に華道祭、万灯万華会(まんどうまんげえ)、嵯峨菊花展、『般若心経』の写経会がある。なお、当寺には嵯峨天皇が始祖といわれる、いけ花の流派「嵯峨御流」が伝わり、華道専門学校が設けられている。」(Yyahoo!百科事典より)
左:江戸時代初期に造られた表門。
右:境内は土足で入ることができません。堂宇はすべて廻廊で繋がれています。写真の右奥にある門は勅使門。嘉永年間(1848~54)の再建です。
軒だけ見えているのが、御影堂。正面左奥の建物は、五大堂(本堂)。江戸時代中期(天明年間)創建。不動明王を中心とする五大明王を安置しています。
左:江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘東福門院和子が、女御御所の宸殿として使用していたもので、重要文化財です。
右:正寝殿。桃山時代建立の書院造建築で、内部は大小12の部屋に分かれています。これも重要文化財。
左:紅葉に包まれている霊明殿。総理大臣を務めた斎藤実が昭和3年(1928年)、東京の沼袋(現・中野区沼袋)に建てた日仏寺の本堂だったものを移築したもの。
右:境内の紅葉は、最盛期のようでした。ほんとにきれいですわ(^.^)
右:時代劇のロケ地でおなじみの大沢池。大沢池は中国の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれ、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)です。
左:大沢池のほとりにある心経宝塔。昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。
左:屋形船が優雅に浮かぶ大沢池。屋形船には平安朝の服装に身を包んだ人たちが乗っていました。
右:大沢池の並木道。まさに紅葉のトンネル(^.^)
撮影でしか来た事なかった、大覚寺をゆっくり見れて満足満足。次は春に桜を見に来たついでに、今回見なかった名宝展も忘れずにチェックしておきたいものです。
ここで、その1は終了。その2へ続きます。かなり写真が多くなっていますが、これは紅葉を皆さんに見せたいがためにそうなっているわけでして、そのあたりは理解してもらえるとありがたいです(^^ゞ
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