小野・福崎 寺、名所巡り その2

その2行きまーす!(^.^)
神積寺を後に、次なる目的地へ。といってもほんの数キロ先なんですけどね。
柳田國男・松岡家顕彰会記念館、福崎町立神崎郡歴史民俗資料館がすぐ近くにあるんです。で、目的地の駐車場に車を止めるとその横に、お土産屋さんのようなものが。
21もちむぎのやかた  22もちむぎのやかた
左:もちむぎのやかたというふれあい特産館。もち麦の産地として全国に有名な福崎のもち麦を原料に作られた特産品「もちむぎ麺」の製品作りと味わいを見たい・知りたい・食べたいをコンセプトにした素朴なふれあいを楽しんでいただける食と遊のふれあい特産館だとか。
右:お昼がまだだったので、もちむぎ麺なるものはどんなものかと食べてみることにしました。釜あげもちむぎ麺(735円)。文字通り、もちもちしていて、そうめんともそばとも違う香ばしさがありました。迷うことなくお土産を買ったくらいうまかったです(^.^)
腹ごしらえも終わって観光再開。
16柳田國男記念館  17柳田國男生家
左:柳田國男・松岡家顕彰会記念館。
「柳田國男・松岡家顕彰会記念館(やなぎたくにお・まつおかけけんしょうかいきねんかん)は兵庫県神崎郡福崎町にある文学館・美術館。
日本民俗学の父とも呼ばれる民俗学者で福崎町名誉町民第1号の柳田國男をはじめとする、文学・民俗学・医学・美術等の世界で活躍した松岡家5兄弟の顕彰を目的に1975年(昭和50年)11月に設立された。」(Wikipediaうおり)
名前だけは知ってたんですけど。兄弟すべてが第一線で活躍なんて、すごいとしか言いようがないですな。
右:記念館のすぐそばに移築された柳田國男生家。柳田國男自ら「日本一小さい家」といった生家(県指定の文化財)。
23鈴ノ森神社  
鈴の森神社。民俗学者柳田国男にゆかりのある神社として知られています。
記念館に隣接するように、福崎町立神崎郡歴史民俗資料館が。
18民俗資料館
「福崎町立神崎郡歴史民俗資料館(ふくざきちょうりつかんざきぐんれきしみんぞくしりょうかん)は兵庫県神崎郡福崎町にある博物館。 1886年(明治19年)竣工の洋風建築である旧郡役所の保存と活用および地域文化振興を目的として1982年(昭和57年)10月に開館した。
正面玄関に据えられた、上端にアカンサスの葉が彫刻された典型的なコリント式の円柱・角柱等は西洋の新古典主義建築の様式を取り入れたもので、また館内の郡長室であった部屋には洋式暖炉が設置されているなど、この地域の明治の文明開化を象徴する建造物でもあった。」(Wikipediaより)
19民俗資料館  20民俗資料館
左:内部は福崎町にゆかりのある品々が展示されていました。2階は多目的学習室として使われていて、普段は公開されていないようです。
右:元郡長室。奥に暖炉が見えます。
近くに歴史的建造物があるので、忘れないようにチェック(^.^)
24三木家住宅  25旧辻川郵便局
左:三木家住宅。
「三木家は姫路藩英賀城主の後裔で、1655年(明暦元年)に姫路藩主の榊原家に新田開発を命じられ、辻川の地に移ったと伝えられる名家。以来1871年(明治4年)の廃藩置県まで、代々姫路藩の大庄屋として地域に貢献した。 大庄屋であった当時の屋敷・門塀・蔵が現存し、江戸時代の民具、書物など約15,000点を所蔵した。
また、民俗学の祖とされる柳田國男が10歳から12歳頃まで三木家で生活し、著書『故郷七十年』に「三木家の四千冊余の蔵書を乱読したことが民俗学の基礎となった」と書き記している。
2004年11月、三木家当主より福崎町へと移管された。町は、三木家住宅内に体験型の資料館を「2005年度中にも開設する予定」だったという。」(Wikipediaより)
右:旧辻川郵便局。
「旧辻川郵便局(きゅうつじかわゆうびんきょく)は兵庫県神崎郡福崎町にある擬洋風建築の歴史的建造物。
1882年(明治15年)頃に郵便局(現在の福崎郵便局の前身)として竣工した。土地・建物ともに三木家の所有で、大庄屋三木家住宅の隣に位置する。1階が郵便局で2階が電報局として使用されていた当時のカウンターなどが現存する。建物は平成20年度の県の景観形成重要建造物に指定された。」(Wikipediaより)
どちらも概観のみで、内部は公開されていませんでした。三木家住宅の方は痛みがひどく、早急の修理が必要のようで、民俗資料館でそのための寄付金箱がおいてありました。もちろん、寄付しましたよ(^.^) いずれどちらも整備されて公開されることを祈りますね。
そして、最期の目的地、金剛城寺へ。
■七種山 金剛城寺(なぐささん こんごうじょうじ)■
「金剛城寺(こんごうじょうじ)は兵庫県神崎郡福崎町にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は七種山(なぐささん)。本尊は十一面観世音菩薩。
寺伝によれが、聖徳太子の命を受けた日本における三論宗の開祖である高麗僧恵灌により、597年、七種山の中腹、七種の滝の近くに滋岡寺という寺号で創建されたと伝わる。 その後寺号を金剛城寺、安土桃山時代(1601年)に台肪明党により作門寺と改めるとともに現在地に移され、昭和3年に現在の寺号に戻した。
弘法大師来山以降は真言宗の寺となった。」(Wikipediaより)
26金剛城寺  27金剛城寺  
右:寺全景。こちらも桜がきれいに咲いてました。でも、参拝客はわたし一人(^^ゞ
左:想像以上に立派な山門。 
28金剛城寺  29金剛城寺
左:本堂。本尊は十一面観世音。この金剛城寺は新西国三十三箇所第30番の札所になります。
右:本堂より立派な庫裏(くり)。奥に納経所がありますが、お寺の人は別のところ居るらしく、鐘つき堂の鐘を撞いて合図をしないと出てきてくれません(^^ゞ
この辺で夕方になりタイムアウト。思ったより見所いっぱいで楽しい寺・町巡りとなりました。時間の都合で行くことができなかった、七種の滝を見ることが出来なかったのが心残り。次回はこの滝をメインにして、ほかの名所・旧跡をまわってみたいものです(^.^)