GWは安・近・短2011その1 平城京天平祭と不退寺

29日から始まったゴールデンウィーク。もちろん遊びに繰り出すわけですが、遠出してしまうと一発で資金がそこを尽きてしまう。
ここは長く遊ぶために安・近・短でGWをすごすことに決定。初日は奈良。なんでも、平城京天平祭なるものが開催されるという情報を得ましたので(^.^)
近鉄・大和西大寺で降りて、いつものようにてくてくと歩いて平城京跡へ。
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会場では東市・西市が。古代の市をイメージする建物で、奈良の選りすぐり の店が出店していました。
今日祭りにに来たのは、総勢400人による天平行列が初日しか予定されていないから。
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左:朱雀門から大極殿まで伎楽や雅楽の音色もにぎやかに、歴代天皇や貴族が練り歩くというイベント。
右:伎楽団・・・・しかし、近くで見ると怖いな(^_^;)
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きらびやかですなぁ。
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聖武天皇と光明皇后は別格なのか興に乗って登場。他の天皇皇后は徒歩なのに(^.^)
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左:獅子舞ですかね?
右:ずらずらと貴族が列を成してます。間に、奈良時代の天皇皇后がおられますな(^.^)
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左:お子ちゃまも行列に参加していました。ほのぼのですな(^.^)
右:庶民たちは最後の方。一番最後は僧侶たちでした。
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左:僧侶たちによる祈り。
右:薩摩琵琶・生田琉箏曲者の関川鶴祐氏による演奏。これは迫力がありました。
この段階で、11時から始まった行列はもう1時前。さすがに腹が減ったので、会場を後にしてランチしに行きました。
そのあとは、平城京跡の周りを散策。次に行きたいなと思うお寺を吟味しつつ、特別公開中のお寺に向かいます。
■金龍山 不退寺(きんりゅうざん ふたいじ)■
「不退寺(ふたいじ)は、奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。本尊は聖観世音菩薩(業平観音とも呼ばれる)。山号は金龍山。寺号は詳しくは不退転法輪寺と称する。仁明天皇の勅願を受け、在原業平が開基したとの由緒から「業平寺」とも呼ばれる。
近世の地誌類が伝える縁起によれば、大同4年(809年)、平城天皇が譲位してのち隠棲し「萱の御所」と称したのが始まりとされ、その後平城天皇の皇子である阿保親王、更に阿保親王の5男である在原業平が暮らしたという。伊勢神宮参詣時に受けた神勅を機に、業平が自ら聖観音像を刻み、「不退転法輪寺」と号して阿保親王の菩提を弔ったのが、寺院としての始まりと伝えられている。
寺の近辺からは平安時代前期の古瓦や木簡が出土しており、創建がその頃までさかのぼることは認められるが、中世以前の沿革はあまり明らかでない。
確実な史料における不退寺の初見は『三代実録』に、貞観2年(860年)10月15日、真如親王が平城京内の田地を不退寺に施入したとみえるものである。真如親王(法親王)は出家前の名を高岳親王といい、平城天皇の皇子、阿保親王の弟にあたる。このことから、不退寺は伝承どおり平城天皇所縁の寺であると推定される。」(Wikipediaより)
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左:南大門。鎌倉時代末期、正和6年(1317年)の建立で重要文化財。
右:本堂。南北朝時代から室町時代前期の建立でこちらも重要文化財。内陣には重要文化財であり、本尊でもある木造聖観世音菩薩、木造五大明王像が祀られています。
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左:多宝塔。鎌倉時代のものでこれも重要文化財。もともとは二層だったんですが、江戸時代末期か明治時代初期に取り払われ一層のみになったとか。
右:境内は、四季折々の花々が咲きほこるそうな。
初日はひさびさの平城京跡あたりを散策。さて、次はどこへ行こうかな?(^.^)