十二番札所 正法寺 と 十三番札所 石山寺

GW連休二日目、御朱印帳を忘れて行くことができなかった、西国札所のお寺を改めて攻めてきました。今回は絶対に忘れないように二回も三回も御朱印帳を入れたかどうか確認しましたよ(^.^)
まずは、岩間寺という別称の方が有名な。正法寺へ。
■岩間寺 正法寺(いわまでら ほうしょうじ)■
「正法寺 (しょうほうじ)は、滋賀県大津市石山内畑町にある真言宗醍醐派の寺院。本尊は千手観音、開基(創立者)は加賀白山を開いた泰澄(たいちょう)である。別称は岩間寺(いわまでら)。西国三十三箇所観音霊場第12番札所の他、ぼけ封じ観音第4番札所となっている。
正法寺は、11番上醍醐の東方約4キロ、13番石山寺の南西約4キロ、滋賀と京都との府県境の一部をなす岩間山(標高443m)上に位置する。
縁起によれば、元正天皇の病気平癒祈願に功のあった泰澄が養老6年(722年)、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻んで、元正天皇の念持仏をその胎内に納め祀ったのが当寺の初めとされる。」(Wikipediaより)
001仁王  007不動堂
左:正法寺には山門はなく、仁王様が両脇に立っています。
右:本堂右にある不動堂。平成9年に再建され、不動堂本尊不動明王両童子は重要文化財に指定されています。
004本堂  003蛙飛び込む
左:本堂。天正5年(1577年)に再建されたもので、寛永年間に解体修理されました。本尊の千手観音像は元正天皇の念持仏といわれ、高さ約15cmの金銅仏。今回はちょうど特別開帳中でご尊顔を拝謁することができました(^.^) といっても、確かに小さくて、目を凝らさないとよく見えませんでしたが。
右:本堂と不動堂の間にある芭蕉池。「観音霊験記」によると、松尾芭蕉は、このお寺に数日参篭し霊験を得て、あの有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」が世に出たとされています。この句にある「古池」がこの池であるとか。
005桂  006霊泉
左:寺の奥には日本随一の桂の大樹群があります。その中でも、樹齢1000年といわれる「長寿桂」は大きさ、美しさとも圧巻です。
右:雷神爪堀の湧泉。泰澄大師の弟子となった雷神が、水の乏しい岩間山に自らの爪で井戸を彫って霊水を湧かせたという言い伝えがあります。別名「長寿水」「厄除水」といわれています。
奥宮神社01  奥宮神社04
左:桂の大樹群から、山道を700mばかり進むと奥宮神社があるので行ってみることにします。
右:神社のそばには展望台が。琵琶湖も望める展望がすばらしいです。
奥宮神社02  奥宮神社03
こじんまりとした神社でした。道路側からも来ることができますが、階段がきついみたいなので、正法寺から来る方が楽かもしれません。
自然たっぷりで落ち着くお寺でした。意外とこじんまりとしているところも好感が持てる気がしますね。
次なる目的地、紫式部にまつわる伝説のある石川寺へ向かいます。車で15分程度。かなり近いところにあります。
ちょうどお昼時だったので、お昼ご飯を食べることに。お寺の前には、石山名産の蜆を使った料理を食べることができるお店が並んでいます。
小松家01  小松家02
小松家というお店で、とろろご膳(とろろそば、蜆ご飯、蜆山椒煮、小鉢、デザート)を食べました。まずまずのお味でした。観光地ですから、値段(1,250円)は、まぁ、こんなもんかなと思います。
■石光山 石山寺(せっこうざん いしやまでら)■
「石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁(ろうべん)である。当寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三箇所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。
山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたわけだが、如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書(もんじょ)によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮(ほらのみや)が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神(しゅこんごうしん)像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝(しょうぼう)、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐内供(しゅんにゅうないく、890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。」(Wikipediaより)
001東大門  002参道
左:東大門。参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。慶長年間に大規模修理されました。需要文化財。
右:石畳の参道を奥に進むと、拝観受付があります。途中に大黒堂などがあります。霧島つつじがきれいに咲いていました。
003珪灰石  005御影堂
左:受付から右手の石段を登ると目に入ってくる、は巨大な「珪灰石」の岩塊。硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。
右:右手に見えるのが、御影堂。滋賀県の指定文化財になっています。
004蓮如堂  006本堂
左:左手にあるのが、蓮如堂。ここには蓮如上人の遺品、御影が保存安置されています。重要文化財。
右:蓮如堂の脇を上がると本堂です。正堂(しょうどう)、合の間、礼堂(らいどう)からなる複合建築で国宝に指定されています。正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築です。礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっています。
本尊は如意輪観音。こちらも、ちょうど御開帳中で、拝顔することができてラッキーでした。
007紫式部の間  008経蔵
左:本堂への入口北側に花頭窓のある小さな部屋があります。これが「紫式部源氏の間」。紫式部がここで源氏物語を執筆していたという伝承があるそうです。
右:16世紀ごろに建立された高床の校倉で、かつては重要な経典や聖教類などが収蔵されていた経蔵。重要文化財です。
009多宝塔  010月見亭
左:日本三大多宝塔の一つ、源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多宝塔。国宝の名にふさわしい美しい多宝塔です。
右:月見亭(左)と芭蕉庵。月見亭は後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至っています。芭蕉庵は松尾芭蕉ゆかりの茶室。
隅々まで回ると、けっこう広い石山寺。豊浄殿では、石山寺の宝物と、紫式部や『源氏物語』を題材とした美術品などを展示していました。源氏物語、読んだことないんですけど、なんか呼んでみたい気分になりましたね(^.^)
さて、西国巡礼も残すところ、あと5寺。
・上醍醐寺
・長命寺
・宝厳寺
・青岸渡寺
・華厳寺
ラストスパート・・・と、行きたいところですね。遠いところばかり残っているのがしんどいところですが(^^ゞ