第十四番札所 長等山 園城寺(三井寺)

西国巡礼も残すところあとわずか。まずは一つづつ巡って行くことにします。
今回は、三井寺展ですでに観音様をご拝顔した滋賀県大津市の三井寺へ。すでに紅葉の季節ですので、それもちょっと期待してお出かけしました。
ちなみにお参りしたのは、先週の15日。なんやかんやでUPがえらい遅くなってしまいました(^^ゞ


■長等山 園城寺(三井寺)(ながらさん えんぎょうじ(みいでら))■
「大津市園城寺町にある天台宗寺門派の総本山。通称三井寺(みいでら)。比叡山延暦寺を山門というのに対し、寺門と称する。山号は長等山。
天智、弘文、天武の3天皇の勅願により大友与多王が田園城邑を投じて長等山に建立、長等山園城寺と称したと伝えられる。白鳳時代の古瓦が出土するので、その時代に大友氏の氏寺として建てられたものではないかともいわれる。
境内に天智、天武、持統3帝の誕生水があったので、御井(みい)の寺といわれたとも、円珍(智証大師)が霊泉の水を三部灌頂の法水に用い、弥勒菩薩がこの世に下り、人々を救済するという弥勒三会の暁を待つ意味で三井寺とよばれたともいう。
また、858年(天安2)に唐から帰国した円珍のもとに、新羅明神が姿を現し、将来した典籍を収めるによい場所として三井寺へ円珍を伴うと、162歳の教待(きょうたい)という老僧が迎え、大友与多王の子都堵牟麿が寺を円珍に献じたと伝えられている。
天台宗では慈覚大師(円仁)系と智証大師系が並び行われ、両派から座主が出ていたが、平安時代中期、座主に任ぜられた余慶を慈覚大師系が拒否して両派の抗争が盛んとなった。
ついに993年(正暦4)智証大師系の僧は園城寺へ入り、比叡山の慈覚大師系の山門と、園城寺の智証大師系の寺門の両派に分裂し、僧兵の跋扈もあって互いに焼き打ちをしたりして争ったため、園城寺は平安時代に四度焼かれている。
また、源氏と結び付いて後白河法皇などの反平氏運動に協力したために堂舎を焼かれたが、源頼朝以下の保護を受けて再興した。智証大師派は寺門系の僧を受戒させるため、園城寺にも戒壇を新設しようとして山門と争い、また足利氏に近づいて北畠氏、新田氏に焼かれるなど、何度も焼かれている。
1595年(文禄4)に豊臣秀吉の怒りに触れて寺は壊され、寺領を没収されたが、のちに復興が許され、江戸時代には、北院・中院・南院の3塔に59院、5別所に25坊があった。
門跡(もんぜき)寺院として円満院、聖護院、実相院をもち、東大寺、延暦寺、興福寺とともに京畿(けいき)の四大寺の一とされている。 」(yahoo!百科事典より)


001観音堂参道  002観音堂
左:本来なら仁王門から入山するのですが・・・わたしは観音堂の参道から。おかげで、長等神社にもお参りできたから良しとします。
右:西国十四番札所である観音堂。寺域の最南部に位置しています。元禄2年(1689)に再建されたもので、滋賀県の有形文化財に指定されています。本尊は如意輪観音。御開帳中でありました。
003観音堂を望む  004毘沙門堂
左:観音堂脇から上がると展望台がありまして、そこからパチリ。正面左側奥が「百体観音堂」。その隣が
「観月舞台」。右が「絵馬堂」。中央が「手水舎」。「百体観音堂」「観月舞台」は県指定文化財です。
右:百体観音堂の脇から降りていくと、毘沙門堂があります。。元和2年(1616)の建立で重要文化財。解体修理されて、往年の色彩で彩られています。
005水観寺  006微妙寺
左:寺内にお寺が。水観寺は三井寺の支院であり、西国49薬師霊場第48番札所です。本堂は県指定文化財。
右:これも支院である微妙寺。ここは湖国十一面観音霊場の第1番札所。
007衆宝観音 008童観音菩薩 009地蔵菩薩
微妙寺から観音堂へ続く道端に立っている石仏たち。左から衆宝観音、童観音、地蔵菩薩。ユーモラスな石仏なのに、ほとんど誰も目に留めていませんでした。
010唐院  011灌頂堂
左:金堂へ向かう途中に唐院があります。園城寺の開祖である智証大師の廟所であり、山内で最も神聖な場所です。正面の「唐院」の表門、「唐院四脚門」は寛永元年(1624)に建立され、重要文化財に指定されています。
右:左手前が灌頂堂、右奥が長日護摩堂。灌頂堂は大師堂と唐門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。大師堂を含め重要文化財。
012三重塔  013弁慶の引き摺り鐘
左:唐院の外から最も目につく三重塔。室町時代初期の建築で、もとは奈良の比蘇寺にあったもので慶長6年(1601)に徳川家康によって寄進されました。これも重要文化財。
右:金堂のやや南寄りの西側に「霊鐘堂」があります。そこにあるのが「弁慶の引き摺り鐘」。弁慶が引き摺ったかどうかはさておき、この鐘は奈良時代の鋳造で、この時代のものは現存するものが少なく、重要文化財指定になっています。
014一切経蔵  015八角輪蔵
左:「霊鐘堂」の南側に「一切経蔵」があります。一切経蔵は一切経を安置するための堂で、毛利輝元の寄進により慶長7年(1602)に山口の国清寺から移築されたもらしいです。重要文化財指定。
右:内部には、一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。回してみたい衝動に駆られますね(^^ゞ
016金堂  017鐘楼
左:国宝である「金堂」。現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって慶長4年(1599年)に再建されたものです。本尊の弥勒仏は秘仏であり、通常は直接拝観はできません。
右: 金堂前の広場にある「鐘楼」に吊られている梵鐘は「三井晩鐘」と呼ばれている桃山時代に作られた銘鐘。鐘を撞くのに300円もかかるのがちょっと解せないところ。この鐘は県指定文化財。
018閼伽井屋  019護法善神堂
左:金堂に隣接して建っている「閼伽井屋」。この内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。これも重要文化財。
なんか・・・不自然なくらい中からゴボゴボと水の湧き出る音が・・・。どうなんでしょうね?
右:寺内にある護法善神堂(千団子社)。三井寺の守護神である護法善神(鬼子母神)像を祀っています。 享保12年(1727)の建立で市指定文化財。
020総門  021仁王門
左:「仁王門」の南側に園城寺の「総門」があります。
右:「仁王門」。記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長6年(1601)に家康によって現在地に建てられたとしています。重要文化財。


観音堂からまわったので、最後が仁王門という、普通の参拝ルートの全く間逆になってしましました(^^ゞ
さすがにでかいです。隅々ままでまわった(でも、国宝の新羅善神堂は完全に見落としてますが(^^ゞ) おかげで、このお寺に4時間近く居ましたねぇ。食堂が改装中で見られなかったのが残念。紅葉も、まだあまり進んでないようで、これも残念。
景色のいいお寺なので、季節を変えて、また訪れたいなと思います。とくに桜の季節とか・・・ね(^.^)