湖南~亀山~津 ドライブ その1

先日は湖西方面、今回は湖南。滋賀県を制覇する勢いで楽しいドライブをしてきました(^.^)

まずは、忍者屋敷に向かうべく伊賀へ。その道中にある城をまずは攻めてきます。一つ目は水口岡山城。登城口横に小さいけど駐車場がありますので、そこに車を止めて散策開始。
「羽柴秀吉の命により中村一氏が天正13年(1585年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城した。その時、平安時代の昔から、都から伊勢国へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくった。その後、天正18年(1590年)に増田長盛が、文禄4年(1595年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城している。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣していたが戦闘には参加できず敗走。水口岡山城に籠城したが追ってきた池田長吉、亀井茲矩らに攻められて降伏、開城し、長束正家、直吉兄弟は切腹させられた。城はその後池田長吉の預かりとなったが、廃城となった。城の石垣は後に水口城の築城にあたり、部材として転用された。城そのものは廃城時もしくは水口城築城時に破却されたが、城跡は御用林とされ、結果的に保全された。」(Wikipediaより)
 
左:駐車場横の坂道を登っていきます。
右:坂道登ったと最初の曲輪は公園になってます。自転車で来た人はここに止めて後は徒歩になります。

で、ここから案内が不十分でどう行けばいいかよくわからなくなり、忠魂碑の横の道しか見えなかったのでそこを通ることに。こちらは西の丸に出るルートだと後で知りました。で、別に大手道ルートもあることも後から知りましたどこから行けばよかったんだろ?

 
左:ほぼ山道。意外ときつかった。
右:西の丸に到着。展望台がありました。草ぼうぼう(^^;) ていうか、草ぼうぼうすぎて歩くのがはばかられるほどの道がありました。もうちょっと整備してください。おかげで城の半分以上見れてません(^^;)

 
左:堅堀跡。
右:堅堀の先にある本丸石垣。城内に残る最大の石垣だとか。小規模しか残ってないものの迫力あります。草ぼうぼうすぎてわからなかったけど、この奥にも少し石垣あったみたい。頼むから草刈ってくれ(^^;)

 
左:本丸に到着。左に見えるのが阿迦之宮。山麓にあった大岡寺の奥の院として、長束正家を祀ったものだとか。
右:本丸東にある伝天守跡。今はただ少し盛り上がっているだけ。本丸西には本丸櫓跡もありました。どちらが天守だったんでしょうか?で、この奥に2の丸、三の丸へ続く道を見つけたのですが、草ぼうぼうすぎて行くのを断念。頼むから草刈ってください(^^;)


本丸からの眺め。標高282mからの眺めは格別(^.^)

最初は城山中学近くに車が止められるとネットにあったので、行ってみたらどこに止めていいか全くわからず。で、水口小学校近くの無料駐車場に引き返して登城しました。この辺りもなんか不親切のような・・・。観光地として大々的に押しているのであれば、もう少し何とかしてほしいところです。とりあえず道がわかなくなるほど草ぼうぼうなの何とかしてください(^^;)

近くに水口城があるので、寄ってみました。この日は残念ながらお休み(木曜日に行った)でしたので、外から眺めてきました。
「寛文11年(1634年)徳川家光の上洛の宿館として小堀遠州によって築かれた。 築城に際しては水口岡山城の石垣を転用してたという。天和2年(1682年)加藤明友が石見国吉永より二万石で水口城主となり水口藩を立藩した。城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれたが、この御殿が将軍の宿舎として使われたのは築城時の家光上洛の一度だけであった。」(WEB上の説明より)
 
左:廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築。水口城資料館として開館しました。
右:本丸跡は水口高校の運動場として利用されています。

城攻めの後は忍者屋敷へGO。つづきはその2へ。