福知山城~玄武洞ドライブ その1
自粛も解除になりましたので、久々のドライブに行ってきました。ウィルスの脅威自体は去ったわけではありませんが、車移動で平日でしかも天気が悪いとなるとまずは蜜になることはないでそこだけは安心(^.^)
まずは御城印と名城スタンプほしさに13年ぶりに福知山城へ向かいました。高速使って2時間弱で到着。朝早いので空いてました。
「もとは小笠原長清の末裔とされる塩見頼勝が、室町時代後期に同地に築城した横山城という掻上城であった。1579年(天正7年)に明智光秀は丹波国を平定すると、これを福智山城と改名、近世城郭へと大修築したものである(城代は藤木権兵衛・明智秀満)。尚、江戸時代の城主、朽木氏により「福知山」に改められた。
本丸の石垣と、二の丸から本丸に移築された銅門脇番所(多聞櫓)は当時のものであるが、現在の天守は1985年(昭和60年)に復元されたもの(市郷土資料館)である」(Wikipediaより)
左:久々の福知山城。古風な天守が見えてますね。
右:福知山市佐藤太清記念美術館。櫓風に造られた市立美術館で、福知山城と意匠をあわせ景観に一役買ってます。説明なければ普通に復元櫓かと思いますよね。福知山市出身で文化勲章を受章した日本画家・佐藤太清の作品を中心に展示されています。今は大河ドラマに合わせて2階に「福知山光秀ミュージアム」が開館しています。
左:明治時代まで存在した釣鐘門が復元されています。
右:唯一現存している銅門番所。二ノ丸の登城路付近にあった銅門脇にあった番所は、大正年間に天守台に移築され、天守閣の再建に伴い再び本丸跡に移転されています。
左:この天守(続櫓、小天守)は1985年(昭和60年)に絵図に基づき外観復元されたものです。板張りの古風な感じがいいですね。天守台石垣に斜めの筋が見られますが、これは増設の跡だそうです。
右:コロナ対策として、入場規制や検温、追跡用として連絡先を聞かれました。平日なので規制するほどの人込みではなかったですが。
左:天守閣は福知山に関する郷土資料館になっています。この鎧は朽木氏第五代藩主、朽木玄綱公のもの。
右:上段の間の再現。座っているのは誰?
左:本丸にある「豊磐井」(とよいわのい)。今も満々と水をたたえています。伝承ではこの井戸に抜け穴があり、二ノ丸の北側の対面所裏にあった横穴に通じているとか。
右:天守からの眺め。福知山市役所の裏手に伯耆丸公園が見えます。
発掘調査で見つかった転用石が城内で展示されています。転用石とは本来は違う目的のために加工された石材だったものが、城の石垣に転用された石材のことです。宝篋印塔や五輪塔、石仏、石臼などが使われました。
左:天守台の石垣には特に多く転用石が使われています。長方形が石垣にちょうど良かったんでしょうか?
右:見上げる小天守。
福知山破城だけ見て次の目的地へ。なんせここから豊岡へ行きますので、そうそうのんびりしてられないのです。だんだん天気が悪くなってきましたが、ドライブなので問題なし。できれば目的地に居るときだけは雨が上がってほしいのですが・・・そこは、日ごろの行い次第かなぁと(^^;)
そしてその2へ続く。お楽しみに(^.^)
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