湖南~亀山~津 ドライブ その2
水口城から車で15分ほどで甲賀の忍者屋敷に着きました。
「甲賀流忍者甲賀五十三家の筆頭格「望月出雲守」の江戸時代(元禄年間)に建てられた旧邸を甲賀流忍術屋敷として、公開しています。忍者の住んでいたからくりのある住居として、国内で唯一現存する歴史的にも、非常に価値のある本物の忍術屋敷です。」(Web上の説明より)
左:全景。想像していたより小さな屋敷でした。
右:屋敷内及び付属する倉には忍者と望月家に関する資料が展示されていました。
左:真ん中の窓がからくり窓。押し入れから忍者?
右:中二階はかくし梯子を使って上がるようになってます。刀が振り回しにくいように天井が低いです。格子窓があり、この格子の一本が外れるようになっていて、これをはずして一階へ逃れることもできるとか。
左:3階もあります。思ったより広くてここで趣味の部屋を作りたいくらい(^.^)
右:3階から縄梯子で一気に1階に行けます。
小さくても見どころ満載な忍術屋敷を後にして、亀山城に向かいます。
「亀山城は江戸時代における伊勢亀山藩の藩主の居城。一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがってここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったという逸話がある。」(web上の説明より)
方向的には全然違う方向の城なのに、普通間違えないだろ?というおまぬけなことがされたことで有名(?)なお城です(^^;)
左:亀山公園の外れにある「ますみ児童園」にSLが展示されていました。C58359とあります。近くには以前セスナ機も展示してたそうですが、もうなくなっていました。
右:天守台の上に築かれた多門櫓(現存)。復元修理において破損箇所の修理の他、江戸末期の姿に戻すため板壁から漆喰壁になりました。土日祝日のみ見学可能なので中は見れず。
左:三重櫓跡。寛永18年(1641年)、当時の城主の本多俊次(1595~1668年)が天守閣の代わりに建てた、亀山城で唯一の三重櫓だったとか。
右:二ノ丸帯曲輪が整備されて江戸時代末期の状態に復元されています。草ぼうぼうなのも江戸時代末期だから?(^^;)
左:与助井戸跡。本丸で使用されていた。天正18年(1590)岡本宗憲による亀山城築城の際、この場所にあった民家「与助鍛冶」を城外に移したとの伝承から「与助井戸」と呼びならわされてきました。城外への抜穴伝説がありましたが、確認されていません(看板の説明より)
右:亀山神社内にあった明治天皇行在所(重要文化財)。1880年、明治天皇が亀山で行われた軍事訓練をご覧になられた際に伊藤市治郎宅へ宿泊され、お泊りになった建物がこちらに移築されています。
亀山城から次の目的地、津城へ。
「織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。」(web上の説明より)
左:津城は現在津市役所の東隣にある「お城公園」となっています。隅櫓が再建されいますが、これは模擬櫓。
右:本丸跡の日本庭園があり、そこの入口に藩校「有造館」の正門である入徳門が移築されています。
左:本丸にある天守台。藤堂高虎の改修による津城では、天守台は築かれたものの天守は上げられなかったとされています。
右:本丸北西隅の戌亥櫓跡です。石垣は立派ですので、それを見るだけでも価値があります。
ここまで来て、ほぼ夕方になりましたので帰路につきました。亀山は関町関宿重要伝統的建造物群保存地区がありましたが、時間の都合で寄れていないので、また改めて訪れたいと思います。あくせくする観光はあまり好きじゃないですから・・・・ね(^.^)
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