博多へ行ってきた その2 (博多祇園山笠)

街中を散策しているとなんだか大きな神輿の様な物がありました。なんだろうと思ってよくみると、それは山笠でした。
ちょうど、出張の日が博多祇園山笠の期間中だったんですね。いいタイミングで博多に来れて良かったです。山笠なんてなかなか見れるもんではないですからね。
ちなみに博多祇園山笠とは、
「博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)とは福岡県福岡市で毎年7月に開催される700年以上の伝統のある祭である。
博多祇園山笠の起源には諸説がある。櫛田神社の社伝によると、祭神の一つ祇園大神(素盞嗚命)を勧請したのが天慶四(941)年。すでに都(京都)では現在の祇園祭につながる御霊会が行われており、勧請間もなく始まったという説。また、文献的初見である「九州軍記」に基づいて永享四(1432)年起源説もある。
諸説がある中で、博多祇園山笠振興会は一般に広く知られている聖一国師が仁治二(1241)年、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりという説を取っている。当時は神仏混淆の時代。これが災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展したというのだ。
時代は鎌倉、室町から戦国時代。博多の町は大陸貿易の基地として栄え、それが故に戦国大名、豪族の争奪の場となって焼け野が原と化した。その復興を命じたのが豊臣秀吉で、「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれる。その間、博多山笠も隆盛、衰退を繰り返したに違いない。山笠は、古くは高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていたが、「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町(土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。この場は何とか収まったが、夏のお祭りの際、恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したという。
明治維新後も何度かの危機を乗り越えて現在の博多祇園山笠がある。」(公式サイトより)
山笠には、実際に動く「舁き山笠」と展示用の「飾り山笠」があります。櫛田神社に向いた面を「表」とし、その裏側を「見送り」と呼びます。
10メートル前後の高さがある、飾り山笠の絢爛豪華なこと。何体か写真にとってきましたので、ここでUPしますね(^.^)
一番山笠 中州流
019一番山笠中州流・表  020一番山笠中州流・見送り
左が表、右が見送り。中州のど真ん中にありました。見送りは黄門様。
三番山笠 千代流
021三番山笠千代流・表  022三番山笠千代流・見送り
左が表、右が見送り。仕事で行った、再開発ビル「パピヨン24」前に建っていました。
八番山笠 上川端通
014八番山笠上川端通・表  015八番山笠上川端通・見送り
左が表、右が見送り。「走る飾り山笠」の異名を持っていて。通常は上川端商店街で公開されているが、追い山ならし(7月12日午後)、追い山(同15日早朝)では”櫛田入り“の後、 コースの一部を舁いてしんがりを務めています。
十四番山笠 福岡ドーム
023十四番山笠福岡ドーム・表  024十四番山笠福岡ドーム・見送り
左が表、右が見送り。yahooドーム前にありました。ソフトバンクの選手の人形がかわいい。
十五番山笠 博多駅商店連合会
025十五番山笠博多駅商店連合会・表  026十五番山笠博多駅商店連合会・見送り
左が表、右が見送り。JR博多駅前にドーンと。チャギントンなるアニメが見送りに。わたしはこのアニメ、まったく知りません(^^ゞ
十七番山笠 川端中央街
016十七番山笠川端中央街・表  017十七番山笠川端中央街・見送り
左が表、右が見送り。川端中央街にあります。見送りはドラえもん。
番外 櫛田神社
017番外・櫛田神社
櫛田神社の境内に建っています。この山笠のみ、観光客用に 一年を通して公開されています。
一番山笠 中州流
018一番山笠中州流
こちらが実際に動く「舁き山笠」。大きさが全然違いますね。
もし、また博多に行くことがあれば、「追い山」を見てみたいものですねぇ。盛り上る祭りなんでしょうね(^.^)
博多どんたくや放生会といった祭りも一度生で見てみたいなぁ・・・。