靖国公式参拝

わたしがこの東京行きでどうしても行きたかったところ。稽古時間に遅刻してまで行きたかったところ。そこは、東京都千代田区にあります。
わたしが行きかったのは、とある神社。夏のこの時期になると必ず話題に上る神社。
その神社は「靖国神社」といいます。
■靖国神社■
「靖国神社(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区にある神社。旧称は東京招魂社。幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた日本の軍人、軍属等を主な祭神とする。
靖国神社は、日本の軍人、軍属等を主な祭神とする神社である。明治2年(1869年)に東京招魂社として創建され、1879年(明治12年)に靖國神社と改称された。創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が所管し、後に内務省が人事を所管し、陸軍(陸軍省)・海軍(海軍省)が祭事を統括した[3]。1946年(昭和21年)に国の管理を離れ、東京都知事認証の単立神社(単立宗教法人)となった[4]。単立神社であるため、神社本庁との包括関係には属していない。
最高位の神職である宮司は京極高晴(2009年(平成21年)6月就任)。最重要の祭儀は、春季(4月)と秋季(10月)の年に二度行われる例大祭。秋季例大祭には合祀祭が併せて齋行される(合祀祭と招魂祭[は別の祭儀である)。境内は桜の名所としても知られる。」(Wikipediaより)
001_20100729214414.jpg  002_20100729214415.jpg
左:威厳のある大鳥居。靖国神社は大鳥居が東側に向いている、数少ない神社の一つだそうです。
右:参道にそびえ立つ大村益次郎像。大村益次郎は靖国神社の前身の東京招魂社の建立を決定しています。
003_20100729214415.jpg  004_20100729214416.jpg
左:第二鳥居は青銅製としては日本一の高さ。奥に見えるのは神門。
右:拝殿。明治34年(1901)に建てられたものです。本殿はこの奥にあり、申し込めば遺族以外でも昇殿参拝ができるようです。
005_20100729214416.jpg  006_20100729214446.jpg
左:神池庭園。この庭園は明治の初めに作られたもので、平成11年(1999)の復元工事により今の形になりました。
右:手前が鎮魂社。戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。 奥が元宮。この小さな社は、明治維新のさきがけとなって斃れた志士の霊を祀るため同士によって京都にひそかに建てられたもので、靖国神社の前身となったことから、「元宮」と呼ばれています。
普通の神社の宝物館と呼べるのが、この遊就館。参拝を終えた後、ここに入館することにしました。ここも是非行ってみたいところだったんです。
■遊就館■
「遊就館(ゆうしゅうかん)は、靖国神社境内に併設された、同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館(博物館法の適用外)。幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した、日本における「最初で最古の軍事博物館」
「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(くんしはおるにかならずきょうをえらびあそぶにかならずしにつく)に拠る。」(Wikipediaより)
001_20100729214447.jpg  002_20100729214447.jpg
左:遊就館全景。遊就館本館正面(左)と新館(右)。屋外にも展示品があります。
右:特攻勇士之碑。昭和19年のレイテ海戦で最初に出撃した「神風特別攻撃隊」にはじまり、終戦後まで続いた陸海軍の特攻航空兵の飛行服像。
003_20100729214448.jpg  004_20100729214521.jpg
左:パール判事顕彰碑。極東国際軍事裁判の判事として、A級戦犯全員の無罪を主張したインドの法学者ラダ・ビノード・パールを顕彰するため、2005年に建てられました。
右:戦没軍馬慰霊像。隣に軍犬の慰霊像もありました。
1回のロビーは無料で入ることが出来ます。そこに展示してあるものがこちら。
005_20100729214522.jpg  006_20100729214523.jpg
左:九六式十五糎榴弾砲(左)と八九式十五糎加農砲(右)。とくに、八九式は迫力満点です。
右:蒸気機関車C56型31号車。昭和11年に製造され、南方の泰緬鉄道で使われ、戦後、昭和52年までタイで使用されていた機関車だそうです。
007_20100729214523.jpg  008_20100729214524.jpg
左:三菱 零式艦上戦闘機52型。昭和49年にラバウルで見つかった主翼・胴体と、昭和59年にヤップ島で発見された5機の零戦から、河口湖自動車博物館で復原されました。
右:零戦の後ろに見えるのが、九九式一号20ミリ機銃。スイスエリコン社のライセンス生産品。零戦二二型の途中までこれが装備され、以後は長銃身の九九式二号に換装されました。
009_20100729214541.jpg  010_20100729214541.jpg
2階には兵士の像が置かれています。そこから先は膨大な数の展示がありました。
今まで行きたい行きたいと願っていたところに行けて本当に満足しています。あまりのボリュームに、遊就館の見学は後半駆け足になったのが悔やまれます。次回行くことがあればもっと時間をかけて見たいと思いました。
いろいろ問題のある靖国神社ですが、はっきりいえることは、ここに眠るすべての英霊達に哀悼の意を示すことはなんら間違ったことではないということ。感謝の意を込めて、わたしは参拝してきました。
靖国に眠る英霊達は、今のこの腐れきった国をどう思うだろう? 命をかけて護ったこの国の今の有様を見て、どう思うだろう?
あの時散った命が無駄だったと思わせたくない・・・ですよね。