太子町サイクリング

いいお天気だし、気候もいいし、家に居るのは勿体ないのでお出かけすることにしました。
今回は初めての試み、レンタサイクルでのサイクリング。この歳までやったことがなかったんですよね。意外だと思いますが、なんか童心に返ったようでわくわくします。
サイクリングする場所を大阪の太子町に決め、近鉄喜志駅で下車します。レンタサイクルなんかあるのかと思うような駅で不安で(web検索では一ヶ所だけある)、地下駐輪場の受付に聞くとここで受付とのことでちょっと安心。
200円で普通自転車、400円で電動アシスト付自転車が借りられるのだそうで、これも今まで乗ったことのないアシスト付を選んでみました。受付のおっちゃんが坂が多いよと言ってくれたので、素直にアシスト付を選んでよかったと後でしみじみ感謝(^.^)
お昼ごはんを食べようと、近つ飛鳥博物館へ。そばにある梅林で梅見弁当でもしようと思いまして。自転車をえっちらおっちらこぎながら、30分もかからずに到着。
s-001 s-002
こんな梅を見ながら天王寺で買ってきた弁当をほおばりながらまったり。
博物館には入らず(一回入ったことありますんで)、喫茶コーナーでお茶して周辺をぶらり探索することに。
s-003 s-004
田舎の風景。いいですわぁ。右がレンタルしたアシスト付自転車。400円なら安いと思います。河内のちゃりんこなので「かわっちりん」(^.^) 一日乗ってましたが、レンタルしている人とすれ違うことはなかったです・・・・。
s-005
道中で「推古天皇陵」を発見。聖徳太子を摂政にわが国初の女帝となった推古天皇とその子竹田皇子の合葬陵とされ、古い記録によると石室内に二つの石棺が安置されているそうです。ちなみに宮内庁ではもうひとつ 山田高塚古墳を推古天皇陵に指定しています。
s-006
聖徳太子がランドセル背負ってます・・・。さすがは太子町(^^ゞ
s-007
休憩に立ち寄った、道の駅・近つ飛鳥の里・太子。自転車で道の駅に行ったのは当然初めての経験(^.^) こじんまりとした道の駅でした。
サイクリングの最後に「叡福寺」に立ち寄りました。
叡福寺-001
「聖徳太子がこの地に廟を造ることに決め、推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。翌年、太子の生母間人(はしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手(かしわで)姫とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られたとされている。結果、廟は三骨一廟の陵墓になった。
太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の墓を守り霊を鎮めるため神亀元年(724年)に建てられたのがこの叡福寺であるという。
当初の寺の規模は広大で、法隆寺と同じように東院(東福院)、西院(叡福寺)からなっていたといわれているが、戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後再建され、ほぼ現在の寺の規模になったようである。」(web上より引用)
叡福寺-002 叡福寺-003
左が「金堂」 享保17年(1732年)に再建されたものといわれ、本尊の如意輪観世音菩薩が祀られています。
右が「多門塔」 承応元年(1652年)建立で重要文化財に指定されています。
叡福寺-004 叡福寺-005
「聖徳太子御廟」 丘陵を利用した円墳で、内部は横穴式石室。正面、扉の上には阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がかかっています。この額は叡福寺の玄雅が1746年(延享3)年に寄進したものとされ、聖徳太子と、その生母および夫人が葬ってある三骨一廟の意味を表しているそうです。
右は「見真大師堂」 この堂には親鸞聖人の坐像が祀られています。
叡福寺-007 叡福寺-008
山門から聖徳太子廟まで視界をさえぎるようなものは一切ありません。境内の梅がきれいに咲いてました。
閉門間近だからなのか、普段からそうなのか観光客らしい人はわたし達以外無くて、とっても落ち着いた感じでした。お寺の規模は結構大きく時間が無くてゆっくり回れなかったのが悔やまれます。
ぶらりサイクリングも無事終了し、いい汗かいたので近くにある「延羽の湯」へ。
最終送迎バスの発車時間まで風呂入って、岩盤浴して、ご飯食べて、風呂上りのビール飲んでほくほくしながら帰路につきました。
初めてのサイクリング、なかなかいいもんでした。太子町はまだまだ回りきれていないので、いづれ再び訪れたいと思います。古代ロマンを掻き立てられるいいところですからね(^.^)
・・・・でも、真夏のサイクリングだけは避けたほうが健康によさそうだな(^^ゞ