「一年の計はことひらにあり」金刀比羅ツアーその5
金刀比羅ツアーも最終日。帰りの青春18キップなので、長居はできません。そこで、高松駅からさほど遠くない公園、栗林公園に行くことにしました。
■栗林公園■
高松市栗林町にある県立公園。かつては栗林園とよばれた、わが国の代表的回遊式大名庭園。
紫雲山(しうんざん)東麓(とうろく)に位置し、西湖、南湖、北湖、涵翠池(かんすいち)、芙蓉池(ふようち)、潺湲池(せんがんち)の六大水局、および飛来峰(ひらいほう)、小普陀(しょうふだ)、飛猿巌(ひえんがん)など十三大山坡(さんぱ)を配置し、園全体に60余景が包含されている。総面積は約75万平方メートルである。
この地は室町時代のころ、南部の小普陀付近に普陀落寺(ふだらくじ)とその庭園があり、桃山時代には生駒親正(いこまちかまさ)の臣佐藤道益(みちます)の邸となった。生駒氏時代の庭園は現在の南湖全体、とくに飛猿巌付近がもっとも古く、これが当園の基盤になっている。
しかし、本格的な大名庭園として整備されるのは江戸初期の1642年(寛永19)、徳川光圀(みつくに)の実兄頼房(よりふさ)の長男松平頼重(よりしげ)が移封されてからである。頼重は73年(延宝1)に隠退するや本園改造に着手した模様で、以後代々改修が続けられ、5代頼恭(よりちか)の1745年(延享2)に本園の古絵図ができているから、全庭の完成はそのころと考えられる。
明治維新後、一時私有化されて荒廃したが、1875年(明治8)県有地となり、85年には県立公園として一般公開されるに至った。1953年(昭和28)特別名勝に指定。回遊の風景の変化を楽しむ庭であるが、多数の松林のみごとさは特筆すべきものがあり、石組(いわぐみ)では、南湖の中島の一つ天女島のものと、仙磯とよばれる岩島、掬月亭(きくげつてい)左方の七福神と称される石組などに優れた手法がみられる。 (Yahoo!百科事典より)
左:栗林公園入り口。正面に見えるのが紫雲山。ここから見る限り、東京ドーム16個分の広さがある公園とは思えないですね。
右:鶴亀松(別名百石松)。110個の石を組み合わせて造った亀の形の岩組みの背中に鶴が舞う形をした黒松を配しています。
左:県の天然記念物である、根上り樫。樫が根を張っていた老松が枯れて、樫の根だけ残って地上に達しています。
右:初代藩主頼重が京都から招いた紀太理平衛が焼いた九重塔で、渚山にて建てられています。
数寄屋風書院造りの建物、掬月亭。江戸初期の頃に建てられた回遊式大名庭園の中心的施設であり、歴代藩主が大茶屋と呼び、最も愛用した建物であります。
小島が浮かぶ南湖の向こうに偃月橋[えんげつきょう]を望みながら抹茶を味わえます。景色と内部を楽しむためにもぜひお茶を飲むことをお勧めします。
左:南湖。掬月亭が湖に張り出しているのがわかるかと思います。
右:屏風松(左)と箱松。長年にわたる手入れの手法でその姿が箱の形をしているところからこの名が付けられており、本園独特の姿をした仕立松です。
独特な形の自然石で、見た目から、ぼたん石(左)と見返り獅子と名付けられています。ちなみに、見返り獅子は向こう側から見ると象に見えるそうです。
左:石壁。赤壁とも呼ばれ、国の揚子江左岸にある景勝地に因んで名づけられたとも言われています。
右:その石壁がある西湖。
松平二代藩主頼常の頃、南庭の東南隅に「考槃亭(こうはんてい)」という官休庵流の茶亭があったが、その後、会僊巌(かいせんがん)の東方に移築、「日暮亭」と改称され、さらには園外の私人へ移るなど、この建物は様々な変遷を経た後、昭和20年(1945)、再び園内に「新日暮亭」として甦った由緒ある茶室です。
あまりの広さに、まだ紹介が半分程度しか済んでいません。恐るべし栗林公園。さくっと回るだけでも1時間はかかるとボランティアガイドのおっちゃんも言ってただけのことはあります。
続きは次回。次回はツアー記の最終回になります!
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