旧閑谷学校に行ってきた その1

2019年7月6日

岡山へ仕事に行くたびに気になってた、「特別史跡旧閑谷学校」の看板。そしてついに、先日行ってまいりました。
想像よりはるかに立派な建物がいっぱいで、そのほぼすべてが国宝や、重要文化財というテンション上がりまくりなその空間は最高です\(^o^)/。
あまり時間がなかったので、隅々まで見ることはできませんでした。そしてもっと惜しむらくは、もともと行く予定ではなかったので、コンデジしか持ってなかったということ。いいカメラで撮影したかったですね。

ということで、撮った写真をUP! 紹介したいものが多いので、2回に分けてお送りします(^.^)

■閑谷学校■
「岡山藩領内の藩設立の郷学校。1666年(寛文6)藩主池田光政は領民教化の一環として和気郡伊里村閑谷(現,備前市)の地に学校設立を計画し,68年手習所を開設したのに始まる。
75年(延宝3)各地の手習所を統合して規模を拡張し,正式に閑谷黌(しずたにこう)と称した。
藩主の特別の保護により,講堂,聖廟,文庫などをもち,藩校に比肩しうる規模を備えた。江戸時代学校建築の代表的遺構で,講堂は桁行7間,梁間6間の入母屋造,1701年(元禄14)の改造になる。」(WEB上の説明より)

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左:旧閑谷学校石門。学校の南1km程のところにある校門で、高さ3m位ありましたが、今は埋もれています。
右: 泮池(はんち)と石橋(ともに重要文化財)。中国上代の諸候の学校である頖宮(はんきゅう)の制に擬してつくられたもので、幅約7m、長さ約100mもあります。

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左:入口。この門以降は入場料400円がかかります。立派な門ですが、これは文化財ではないみたい。
右:校門(重要文化財)。聖廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもあります。貞享三年(1686)の造営で、桟唐戸の門扉が開閉するとき鶴が鳴く声に似た音がするところから鶴鳴門と呼れたそうです。

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左:閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)。閑谷学校の創設者である岡山藩主池田光政を祀るために貞享三年(1686)に建てられたものです。
ここにある本殿(芳烈祠)、幣殿(階)、拝殿(中庭)、中門(外門)、神庫(庫)、石階、練塀、繋牲石が重要文化財指定。
右:左に神庫が見えます。拝殿、幣殿、本殿と並んでいます。本殿内に宝永元年(1704)に鋳造された池田光政の金銅製座像が安置されています。

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左:聖廟。儒学の始祖孔子を祀っており、孔子廟または西御堂ともいいます。両脇の巨木は櫂の木。
ここにある大成殿(附 聖龕1基 石橋1基)、東階・西階、中庭、外門、練塀、文庫、厨屋、繋牲石、石階が重要文化財指定。
右:奥に見えるのが、厨屋。中庭、東西の階、大成殿と並んでいます。

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左:左より中庭、東西の階、大成殿と並んでいます。大成殿は貞享元年(1684)の完成です。
右:大成殿内。奥の厨子には元禄14年(1701)鋳造の孔子像が安置されています。

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左:講堂(国宝)。元禄14年(1701)の完成で内部は十本の円柱に囲まれた内室と、その周囲の入側からなり外廻りを広縁でとりまいています。
約260件の指定がある国宝建造物の中で、学校の遺構が指定されているのはこの閑谷学校だけです。
右:講堂四方を囲む回廊と花頭窓。

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左:講堂内部。右奥の額が池田治政の筆による「克明徳」の額。真ん中の黒っぽいのが「朱文公学規」。その隣が「定」の壁書。額書のみ講堂附属の国宝です。
右:習芸斎・飲室に向かう廊下。

その1はここまで。いやぁ、ほんとにすごいわ\(^o^)/