應頂山 勝尾寺

先日の有休消化のとき、半休で行ったのが、この勝尾寺。ここは紅葉の名所なので、時期をずらして今のうちの訪れることにしました。
今回は車で。出来る限り車は使いたくないんですが、このお寺へ行くバスは平日は3本しかありません。これでは、ちょっとこのバスは使いにくいですからね。
■應頂山 勝尾寺(がんちょうざん かつおうじ)■
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。
伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺(かぶさんじ)など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。
元暦元年(1184年)、源平の一ノ谷の合戦のあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷次郎直実・梶原景時によって再建された。
承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。(Wikipediaより)


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左:この山門は1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建されました。平成8年修復終了。朱塗りが美しいです。
右:勝ちダルマ奉納棚。ダルマだらけ(^.^) 勝尾寺が勝利祈願の寺として有名になったのは、源氏、足利氏など歴代の武将が勝運祈願をしたことに由来しているらしいです。
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左:本堂。1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建されました。安置されるご本尊は十一面千手観世音菩薩。平成11年修復終了しています。
右:本堂の左奥にある二階堂。浄土宗の開祖「法然上人」が4年間修業したお堂だそうです。
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左:観音池から見上げる多宝塔。昭和62年修復完了しています。
右:薬師堂から石段を登ると奥の院が。そこにある五輪塔は鎌倉時代前期のもの。源頼朝の命で伽藍を復興した熊谷直実の供養塔といわれています。


ほんとはもっと写真撮ったんですけどね。有名な勝尾寺とはいえ、シーズンを外した平日だと、参拝客はかなり少ないです。紅葉よりは建物を撮りたいわたしとしては、いい時期に行ったなと思います(^.^)


せっかく箕面まで来てるのですから、滝も拝んでおくことにしました。
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箕面滝(みのおのたき)は、大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内にある滝である。箕面大滝ともいう。日本の滝百選の一つに選定されている。落差33m。(Wkipediaより)
ここシーズン外して、夕方に行くと人少ないです。明治の森箕面国定公園は、いずれハイキングがてらじっくり散策してみたいものです。自然に囲まれて休日を過ごすなんて素敵ですもん(^.^)
それにしても、箕面名物の猿、一匹も姿見ませんでした。観光客の数と比例するんでしょうかね? 紅葉の時期になれば、どこからかわんさかわいてくるのかなぁ。