小野・福崎 寺、名所巡り その1
お出かけするにはうってつけのいいお天気。お出かけしなければとどこへ行こうか思案しました。
滋賀の西国札所も考えましたが、今は桜が満開なので人が多いだろうと却下。新西国で残っている和歌山の札所に行こうかと思ったら、そばに高野山があることに気付き、これは朝早く行かないと回りきれないと却下。
そこで、近場でまだ巡っていない札所がある、小野市、福崎町をちょっくら巡ってみることにしました。
まずは、最初の目的地、小野市にある浄土寺に向かいます。
小野市までは、車で1時間半くらい。途中の175号線沿で仕事で通るたびに気になってた、道の駅みきに寄ってちょっと休憩。さらに道路沿いにお社の頭が見えていたので立ち寄ってみました。
播磨之大社日月之宮という神社というか宗教法人の建物でした。
いい気候の中、田舎道をドライブ。程なくして浄土寺に到着。
■極楽山 浄土寺(ごくらくざん じょうどじ)■
「浄土寺(じょうどじ)は兵庫県小野市にある高野山真言宗の寺院。山号を極楽山と称する。本尊は薬師如来と阿弥陀如来、開山は俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)で、建久年間(1190年~1198年)の創建である。多数の文化財を所有する古刹として知られ、大仏様(だいぶつよう)建築の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」は特に著名である。」(Wikipediaより)
左:寺全景。浄土寺は新西国の客番になります。桜に埋もれているように見えますね。
右:浄土堂(阿弥陀堂)。重源によって建てられたもので、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置。堂は建久5年(1194年)に上棟し、同8年(1197年)に完成供養を行ったと記録されています。
阿弥陀三尊も国宝。阿弥陀如来は像高5m30cm(須弥壇を含めると7m50cm)、両脇侍の像高は各々3m70cmあり、その巨大さに圧倒されます。感動以外のなにものもないです、これは・・・。
左:浄土堂と相対する形で、薬師堂(本堂)が建っています。 1197年(建久8年)創建とされ、現在のものは焼失後の1517年(永正14年)築で重要文化財指定。
右:境内に十分すぎるくらい立派な八幡神社が。手前が拝殿で奥に本殿があります。1235年創建、室町時代中期再建に再建されて、どちらも重要文化財。
境内も寺の回りも桜だらけ。こんなにきれいに咲いているのに、休日だというのに、数えるほどしか参拝客がいませんでした。穴場ですか、ここは(^.^)
浄土時を後にして、福崎町へ向かいます。その途中で見かけて思わず寄ったのが大願寺というお寺。
宗派は黄檗宗。加西西国三十三ヶ所霊場の第十九番札所とありました。加西市のお寺です。
次の目的地は、神積寺。通称「田原の文殊さん」。
■妙徳山 神積寺(みょうとくざん しんしゃくじ)■
「神積寺(じんしゃくじ)は兵庫県神崎郡福崎町にある天台宗叡山派の仏教寺院。 山号は妙徳山、本尊は薬師如来。通称は「田原の文殊さん」。
寺伝によれば、一条天皇の勅願寺として991年(正暦2年)に開創されたという。開基は良源(慈恵大師)の高弟である慶芳内供(大納言藤原範郷の子)。
三条天皇の勅願所となり皇子である覚照が帰依したことで七堂伽藍と五十二院を数える大寺院として隆盛し、さらに近衛天皇の宣示により播磨天台六山の1つに数えられる。しかし延慶2年(1309年)の火災により全山焼失。
現在の堂宇は天正15年(1588年)に有馬法師の寄進により再建されたものである。 1870年(明治3年)迄、御朱印地として毎年文殊会式に勅使下向がなされていた。」(Wikipediaより)
左:山門。寺なりの大きさかと思います。
右:本堂。行基作という本尊の薬師如来坐像(秘仏)は国の重要文化財に指定されています。
左:境内に上がる石段の左にある阿弥陀種子板碑。後堀川天皇の皇后 「安喜門院藤原有子」の崩御(弘安九年二月六日)から百ヶ日にあたる5月15日に供養の為、造立されたそうで、県指定文化財になります。
右:納経所。立派な門も確か県指定文化財と書かれていたような・・・。
お寺からすぐ近くに神社らしきものが。もちろん寄ってみることに。
左:岩尾神社と看板に書かれていました。鳥居は刻銘から慶長16年(1611年)に造られたものであり、石橋(鳥居の手前)も同時期頃に造られたものらしく、この石造鳥居と石橋は県指定文化財に指定されています。
右:思った以上に立派な拝殿と社殿。社殿の中にあると思われる本殿は県指定文化財だそうです。
その1はここまで。その2はまたのちほど。意外と盛りだくさんとなりましたなぁ(^.^)
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