静岡観光 その4(掛川城二の丸御殿)

2019年5月24日

竹の丸の次はいよいよ掛川城へ。先に天守閣へ向かおうとしたところ、今団体客が入ったところだというので、先に御殿のほうへ行くことにしました。

■掛川城二の丸御殿■
「御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。」(WEB上の説明より)

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左:天守閣から見た御殿。
右:立派な式台玄関。ここから入れるのは藩主と家老のみだとか。

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左:次の間から御書院上の間(大書院)を望む。
右:御書院上の間(大書院)。藩主と謁見者の対面の間になります。

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左:廊下にも畳が敷き詰められています。
右:藩主の居間として使われた長囲炉裏の間。奥に次の間、小書院があります。

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左:藩主の執務室である小書院。
右:御用部屋。ここは藩の財政や庶務万端を取り扱う用人が使用した部屋。

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左:大目付。この部屋と御用人部屋には畳が。吟味奉行と徒目付の部屋は板張りでした。これは身分の違いなんでしょうね。
右:御談の間。藩へ用事のある者の用件取次ぎ、談合・会議などの際に使用していた部屋です。

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左:廊下。展示物がいろいろ。
右:なんだか複雑に見える梁。歴史を感じますなぁ。

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左:外から見た二の丸御殿。
右:裏手にある塀は黒土塀。二の丸御殿を外から見えなくするために作られたものだとか。

御殿が現存している城は4つしかありません。埼玉・川越城(本丸御殿の一部)、京都・二条城(二の丸御殿)、高知・高知城(本丸御殿)、そしてこの掛川城。
この建物がいかに貴重なものかが分かるかとと思います。貴重な文化財、子々孫々まで大事にしていかなければと思いました(^.^)

その4修了。次回は最終回だ\(^o^)/