五條・新町通り散策 その2

さらに散策を続けます。散策マップを片手に楽しく歩いていきます。

 
まちや館として公開されている、旧辻家住宅。幕末築で、辻家は当時、屋号を「油屋」といい、米商を営んでいたようです。

 
左:この屋敷は、木村篤太郎(初代法務大臣として日本国憲法の署名に名を連ねた政治家)の生家でもあり、幼年期に学んだ部屋が再現されています。
右:庭。そんなに大きくないけど落ち着きますな。

 
左:五條・源兵衛。築250年の古民家を改修し、地元野菜をメインにした和食屋さんになっています。
右:旅宿 やなせや。五條・源兵衛とコラボした一棟貸しの宿泊施設。

 
明治~大正期築の民家を再整備して、まちなみ伝承館して利用しています。歴史や人形浄瑠璃の資料を展示していました。

 
左:五條代官所の長屋門を移築し民俗資料館として使用しています。天誅組関連の資料等を展示。
右:民俗資料館の敷地内に展示されている8620形 蒸気機関車。1925年に川崎造船所で製造され、ハチロクの愛称で呼ばれた機関車は、「金剛ハロー号」と名付けられ、ここで余生を過ごしています。


柿本家住宅(非公開)。二階建ての「本うだつ」が特徴。新町通りで唯一の土蔵つくり。

 
幻の五新鉄道跡。奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ夢の鉄道として、1937年に着工され、戦争を挟み建設が進められたものの、経済や社会情勢等の変化により、五新鉄道は実現することなく完全な中止が決定されたそうです。


左:チャレンジショップ大野屋。企業支援施設として使用されています。
右:西方寺にある松倉重政の墓碑。大和の五条二見城主となり、五条では諸役を免除して商業の振興を図るなど城下町の整備を行った。名君のように聞こえるけど、実は子の勝家と共に島原の乱の主因を作った人だったりします(^^;)。
 
左:江戸後期の町家で、五條市内最古の旅館である山田旅館。泊まってみたいです。
右:築150年の古民家がフレンチレストランになっていました。店名は「ラミダンファンスアラメゾン」だそうです。

このあ当たりで新町通りも終わり。町散策も終了。五条駅まで引き返すのはしんどいので大和二見駅から帰路につきました。こじんまりとしながらも、歴史が感じられるいい町でした。
次回訪れた時には、時間をたっぷり使って宿泊してみたいですね(^.^)