新西国満願と和歌山城

西国巡礼は去年満願になりました。並行して行っていた、新西国巡礼はあと一ヶ所を残して、滞っていました。その1ヶ所は和歌山は道成寺。和歌山だったんでちと足が重かったんですね(^_^;)
ちょうど平日の休み、雨でしたが、このままずるずると先延ばしにしてもダメだと思い愛車丸目インプでびゅーんと行ってきました。
■天音山 道成寺(てんのんざん どうじょうじ)■
「道成寺は、大宝元年(701年)に建てられた和歌山県で最古の寺で、発掘調査から八世紀初頭には法隆寺型の伽藍であったことが確認されている。
境内には、仁王門、本堂、三重の塔などが立ち並び、宝仏殿には本尊の千手観音像(国宝、九世紀)はじめ二十数体の仏像がまつられるなど、千三百年以上続く寺ならではのたたずまいを今も保っている。
道成寺と言えば、何と言っても安珍(あんちん)と清姫(きよひめ)の伝説が知られている。また、それにもとづく能楽や歌舞伎などの古典芸能の寺、そして絵巻をひろげながらこの伝説を語る「絵とき説法」の寺でもある。
絵とき説法とは、中国から伝わった説法の形式で、掛軸や絵巻を見せながら仏法の教えを分かりやすく説く布教方法である。道成寺では、重要文化財の『道成寺縁起』の写本を広げながら、一日平均7~8回、年間3000回以上、十数万人の参拝者に絵とき説法を聞いていただいている。」(WEB上の説明より)
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左:参道の先に仁王門がありました。元禄13年(1700年)再建で重要文化財。昭和38年に解体修理されました。
右:安珍塚。安珍と焼けた鐘を埋めた場所だそうです。植えられている「むろの木」は3代目だとか。
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左:本尊である千手観音が祀られている本堂。天授4年(1378年)に再建されたものといわれ、重要文化財です。
右:三重塔は県指定文化財。宝暦14年(1764年)の再建です。
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左:宝仏殿。国宝、重要文化財等多数の仏像が納められていて、これは拝観料払っても見る価値あり。
右:満願之証。西国ではもらわなかったような・・・・(^_^;)
和歌山といえば、徳川御三家のひとつ。久しぶりに城攻めしてきました。
■和歌山城■
「天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一後,弟の秀長に命じて和歌山城の築城をはじめました。普請奉行には藤堂高虎・羽田正親・一庵法印が任命されました。しかし,築城当時の規模等についてはよくわかっていません。翌14年には領主羽柴秀長の城代として、桑山重晴が在城し、その後慶長5年(1600)には浅野幸長が37万6千石をもって入城しました。元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城,城郭の大改修があり,徳川御三家の居城として,250年に渡り紀州徳川家治政の基を開きました。かくして和歌山城は西国第一の要衝として,その偉容を誇っていましたが弘化3年(1846)には天守閣に落雷し,大天守・小天守・多聞などを焼失しました。当時幕府の制として天守閣の再建は許可されませんでしたが,紀州藩は幕府と特別の関係にあったので再建を許され,嘉永3年(1850)に工事が竣工し旧態に復しました。
明治4年(1871)廃藩置県によって和歌山城は廃城となり,明治34年(1901)に和歌山公園として初めて公開されました。
昭和6年(1931)には文部省より史跡に指定され,昭和10年(1935)5月には天守閣,隅櫓,楠門等が国宝建造物に指定されました。しかし昭和20年7月9日,不幸にして戦災を蒙り,その英姿を一夜にして焼失してしまいました。戦後10余年を経て,再び郷土の象徴として和歌山城再建の気運が高まり,各方面からの支援と協力を得て,昭和33年10月竣工式を行うに至り,再び虎伏山の空高くその雄姿を誇っています。
近年,財団法人日本城郭協会より「日本名城100選」の一つに選定されています。」(WEB上の説明より)
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左:現存する門のうちのひとつが岡口門。付属の塀とともに重要文化財。
右:中御門跡・松の丸櫓の見事な高石垣。
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左:本丸御殿があったところは、給水場になっていて入るこことが出来ません。
右:天守郭から見る大天守。白亜のきれいで、三層ながら見事。そりゃ戦災で消失する前は国宝でしたからね。
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左:大天守より、左から二の門櫓、乾櫓。大天守と小天守とともに、四隅に建物を配し渡櫓や多門櫓で繋いでいる縄張りは連立式天守といいます。
右:昭和58年(1983)に一之橋と共に復元された大手門。
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左:復元された御橋廊下。この橋は江戸時代に、藩主の生活の場(二の丸)と社交の場(西の丸)を結ぶために架けられたそうで、屋根と囲いが設けられているのが特徴だとか。
右:西之丸庭園は別名紅葉渓庭園と呼ばれています。その名の通り、もみじが生茂っていました。
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左:砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結ぶ門である追廻門。解体修理の際に朱に塗られました。
右:内堀。思ってた以上に規模が大きいというか、かなり立派。
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左:和歌山県立近代美術館前に立つ凛々しい徳川吉宗像。
右:和歌山県立近代美術館の東側にある岡山の時鐘堂。江戸時代の建築で和歌山県指定文化財史跡。
城の近くに、東照宮があるらしいので寄ってみることにします。
■紀州東照宮■
「1621年(元和7)、紀州藩主・徳川頼宣が父家康を祭るために創建した権現造の神社。日光東照宮と同様、絢爛豪華な社殿内には、左甚五郎作の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽の襖絵がある。朱塗の楼門をはじめ、拝殿・本殿など7棟が国の重要文化財に指定。2010年は5月16日に、和歌祭のひとつ神與渡御[みこしとぎょ]祭が行われ、神輿をかついだ男衆が108段の階段を勇壮に練り下る。」(WEB上の説明より)
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左:108段の侍坂を登って境内へ。鶴岡八幡宮造営時の故事にならい、徳川頼宣が指揮を執って士分以上の侍だけで組み上げたことに由来するんだとか。
右:朱塗極彩色の鮮やかな楼門。重要文化財。
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左:楼門を境内から。めっちゃくちゃ派手です。巫女さんの説明によると最近塗りなおしたそうです。
右:唐門の奥は拝観料500円払うと、かわいい巫女さんの説明付きでゆっくり見ることが出来ます。社殿は拝殿・石の間・本殿という権現造り。左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作のふすま絵が見ものです。
久しぶりの和歌山堪能しました。次回は、友ヶ島に行きたいと思います。第二次世界大戦後に放置された廃墟があるとか。わたしは廃墟も好きなのだ(^_^)