宇陀~名張 ぶらりドライブ

これも去年ですが、ふらっと思い立って宇陀から名張のほうまでドライブしてきました。せっかくのネタですのでブログにUPしてみます。

この日は雨が降ったりやんだりで、かなり天気が悪かったのですが車で出かける分には問題ないかなと思いドライブを決行。宇陀は奈良なのでほどなく到着。
 
宇陀松山町は重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、古い町並みが保存されています。こういう町大好きです(^.^)

 
宇陀市松山地区まちづくりセンター「千軒舎」。明治時代前期建築とされる、薬屋・歯科医院として使われていた内藤家住宅を改修した、まちづくりの拠点施設だそうです。

 
左:森野家住宅。「森野旧薬園」があるのですが、今回は時間の都合上見学しませんでした。
右:黒川本家。屋号は「山ノ坊屋」といい、一時期薬も売っていたが、代々葛を商っていた、作家の谷崎潤一郎も愛した店だそうです。


郡司家住宅。明治4年(1871年)の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わっています。

まだそれほど散策していなかったのですが・・・ほかにも行きたいところがありますので、程々にして切り上げました。宇陀は比較的自宅からは近いので、まだ別の機会にじっくり見て回りたいと思います。

宇陀から名張方面へ。道中気になったものをパチリ。
 
左:曽爾の川沿いを走行中に見つけたヒューム管だか下水道管だかよくわからないもの。何故こんなところに放置されているのか、よくわからん(^^;)
右:青蓮寺湖の青い青蓮寺橋が映えますなぁ。

名張へ到着。ここもいい町並みなのですが、ピンポイントで観光ということで、名張藤堂家邸へ。平日の真昼間で天気悪いこともあって、貸し切り状態でした(^.^)
「津藩藤堂家の一門で寛永13年(1636)から明治維新まで11代にわたり、名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。現在残されている屋敷は、宝永7年(1710)の名張大火で焼失した後に再建された殿館の一部で「中奥」「祝間」「圍」などの私的な生活を送る建物です。(web説明文より)

 
明治初年に建物の大部分が取り壊されたのが残念な所ですが、これだけでも全国的に遺構の少ない上級武家屋敷の例として貴重なものです。

 
邸内。名張藤堂家ゆかりの資料、具足等が展示されていました。


藤堂邸の正門(通称:太鼓門)はすぐ横の寿栄神社に移築されています。見逃さないように(^.^)

共通入館券を買ったので、夏見廃寺展示館に行くことにします。
夏見廃寺とは名張川右岸の夏見男山南斜面にある古代寺院跡で、出土遺物から 7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定されています。
 
展示館は金堂建物の特異な柱配置や復元金堂、せん仏壁を中心に実物大に復元した復元金堂やせん仏や軒瓦など出土品を展示しています。


地形に従った変則的な伽藍配置を礎石で再現しています。

名張を後にして伊賀上野城へ。

今回は登城せず、御城印だけ頂きました。受付の女性が可愛かった・・・(^.^)

帰りに通りがかりのお寺に参拝してきました。

 
長岳寺というお寺。高野山真言宗の寺院で、関西花の寺二十五霊場第19番札所。日釜口大師の名で親しまれているそうな。
右の庫裏(旧地蔵院本堂及び庫裏)は重要文化財。かつて48もあった塔頭のなかで唯一残った旧地蔵院の遺構だとか。ちなみに猫が2匹、ここにいました(^.^)

 
左:楼門。重要文化財。かつては上層に鐘楼が吊られていたために鐘楼門と呼ばれる、日本最古の鐘門です。
右:ツツジの名所らしいので、冬に来ても花はない(^^;) 誰もいない境内は落ち着きますけどね。

今回は別目的でうろうろしていましたので、腰を据えての散策ができませんでした。次回はゆっくり回ってみたいですね。せっかく行くんですからもったいないですもん(^.^)