ひこにゃんに会えるかな?(彦根)その2
そして、メインである彦根城へ突撃します。この城に来るのは実に10年ぶりくらい。わたしの見たお城の中では上位に入るほど好きな城であったりします。
■彦根城■
「今や全国に12箇所しか現存していない、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つである(現存天守)。
城の形式は連郭式平山城。城の北側には玄宮園・楽々園(国指定名勝)という大名庭園が配されている。多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏14代の居城であった。
明治6年(1873年)の廃城令で数多くの城が失われる中、一説では大隈重信の上奏により明治11年(1878年)に破却を免れたとされる。
国宝の天守を筆頭に、数多くの櫓・門などが現存し国の重要文化財に指定されている。重要文化財には全国的に珍しい馬屋も含まれる。
外堀には水戸市から贈られた複数の黒鳥が飼育され、観客からのエサを求めて遊泳している。
『武士の一分』、『大奥』など数多くの映画、ドラマのロケ地としても知られ、平成4年(1992年)に日本の世界遺産暫定リストにも記載されている。」
(Wikipediaより)
いろは坂を越えてすぐにあるのが馬屋です。今も昔も馬小屋はそう変わらないようです。
「元禄時代(1688〜1703)に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていました。昭和43年に解体修理されたこけら葺きの屋根が美しく、城内に残る馬屋は彦根城だけです。
※参考 – 明和(1764〜1771年)のころ、火災により類焼。修理されましたが、こけらぶきの屋根は棧瓦(さんがわら)ぶきに変えられました。昭和48年解体修理の時、もとのこけらぶきに復元されました。」
(彦根観光協会より)
佐和口多聞櫓です。今は開国記念館として大老井伊直弼の偉業を紹介しています。
「いろは松から彦根城を訪れる時、最初に出逢う櫓。左手に見える櫓は明和8年(1771年)に再建されたものです。現在、重要文化財に指定されています。
手前は最近まで市民ギャラリーとして使われており、昭和35年(1960年)に再建されたものです。」
(彦根観光協会より)
天秤櫓です。橋と櫓の組み合わせはいいですねぇ。それにしても人多すぎ(^.^)
「表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
*参考 – 橋は鐘の丸から渡され、廊下橋と名が残っています。今は架け橋ですが、往時は両側に壁があり屋根のある橋でした。中の人の動きが外からは見えないようにしてあったそうです。」
(彦根観光協会より)
太鼓門櫓とそのすぐそばにある時報鐘です。この鐘は城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれているそうです。
「本丸への最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしています。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれています。
※参考 – 彦根城内太鼓門櫓太鼓門櫓を過ぎると、正面に天守が現れます。また、時報鐘の前に立ち、右に太鼓門を見ながら仰ぐ天守雄姿は格別です。」
(彦根観光協会より)
日本に4つしかない国宝天守。小粒ながら非常に凝った造りでどの角度からでもすばらしいです。紅葉の写真は天守から撮ったもの。人がすごく多くてよく撮れたなぁとおもいます(^.^)
「国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。また、破風は変化の妙に富んでいます。天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。」
(彦根観光協会より)
西の丸三重櫓です。ちょうど、ホリ・ヒロシ人形展をしてました。
「本丸の西側一帯を西の丸と呼び、その西の丸の一番はずれにあるのが三重櫓です。
10m以上にも及ぶ高い石垣の上に築かれています。三重櫓の東側一帯は桜が植えられ、春にはお花見のスポットとして賑わいます。」
(彦根観光協会より)
楽々園から一番近い城の入り口が黒門です。
城を一通り見て、近くにある有名なあの建物に。
■埋木舎(うもれぎのや)■
「埋木舎(うもれぎのや、滋賀県彦根市)は創建宝暦9年(1759年)頃とみられる、彦根城佐和口御門に近い中堀に面した質素な屋敷。井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、天保2年(1831年)以後15年を過ごした屋敷として有名なため「埋木舎」の名がある。本来は「尾末町御屋敷」あるいは「北の御屋敷」の名で呼ばれていた。発掘調査により、建物は建て替えにより6期の変遷が確認されている。国指定特別史跡。」
(Wikipediaより)
多分今でも教科書に出ていると思う有名な建物。質素とは言いますが、わたしら庶民から見たら十分すぎるほど大きい屋敷に見えますなぁ(^.^)
300円払えば中に入れます。妙な書き割りの井伊直弼と長野主膳が浮いてます(^.^) そして心霊写真のようにひこにゃんが・・・・。
さて、結論から言うとひこにゃんには会えませんでした。時間合わせれば会えたんでしょうけど、こちらだって都合というもんがありますので、ひこにゃんの勤務時間に合わせることはできなかったんです。
ていうか、ひこにゃん、もっと働け・・・・。一日で3回、1時間づつしか登場しないとはどういうことだ?この連休でお役ごめんになりそうなくせに(^.^)
ということで、ひこにゃんに会えなかった以外は彦根の町を存分に楽しんだ1日でした。祭りが終わって観光客が少なくなったらまた行きたいですねぇ。
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