二六番 圓教寺と二七番 一乗寺
休みと休みに挟まれた平日は、有休取得促進日と称して、会社からできるだけ有休を使って連休にしましょうというお達しがあるのです。
会社から休んでいいといわれているので、素直に従うことにしました。せっかくの平日のお休み。休みといえば、寺巡り(^.^)
今回は、地元の西国札所、圓教寺と一乗寺へ行くことにします。どちらも、今は結縁御開帳中なので、訪れないわけにはいきませんからね。
公共機関で巡るのは無理と判断(バスが絡むと大概しんどいですな)し、車で行くことに。姫路なので、山陽道を使えば、自宅からだと1時間半くらいで到着できます。
■書写山 圓教寺(しょさざん えんぎょうじ)■
「圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市にある寺院で、天台宗の別格本山である。山号は書寫山(書写山、しょしゃざん)。 西国三十三箇所第27番。
「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。
境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371m)山上一帯は兵庫県指定書写山鳥獣保護区の特別保護地区に指定されている。
山内の本多家霊所には本多忠刻に仕え、殉死した宮本武蔵の養子宮本三木之助の墓がある。 室町時代から明治時代までは女人禁制だったため、女性は東坂参道の入り口にある女人堂までしか行けず、そこに札を納めて帰っていた。
2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』の主なロケ地になり、2003年のNHK大河ドラマ『武蔵』の重要なロケ地にもなった。」(Wikipediaより)
左:歩いて登ることも出来ますが、普通はこの書写山ロープウェイに乗って一気に上がります。たった4分ですが、片道500円。なかなかいい値段だ(^^ゞ
右:ロープウェイ山上駅から、参道を歩いていきます。参道脇には西国三十三箇所のご本尊のレプリカが安置されていました。
左:15分ほど歩くと、仁王門へ到着。仁王門は江戸時代の建立で兵庫県指定文化財に指定されています。
右:参道が終わると正面に巨大な舞台造りの魔尼殿が見えてきます。大正末期に火災にあい、昭和8年に再建(登録有形文化財)。本尊は六臂如意輪観世音菩薩。重文である「木造四天王立像」とともに、結縁御開帳中で拝見することができました。
左:摩尼殿から奥に進むと、映画「ラストサムライ」のロケ地にもなった三つの堂がドーンとでてきました。余りにも壮大で荘厳。息を呑むこと間違いなし。
右:常行堂。常行三昧のための道場で、享徳2年(1453)の上棟。元徳3年(1331)に全焼したが、すぐに再建。昭和40年ごろに、解体修理されました。本尊の阿弥陀如来とともに重要文化財。
左:大講堂。寛和2年(986)に花山法皇の勅願により創建されました。元徳3年(1331)に全焼したがすぐに再文殊菩薩と普賢菩薩建されたのが現在の建物で、昭和31年に解体修理されました。大講堂、本尊の釈迦如来、脇待の文殊菩薩と普賢菩薩は重要文化財。
右:食堂。承安4年(1174)に後白河法皇の勅願によって創建されたといわれています。これも、同じように全焼し、再建され、昭和38年の解体修理を受けました。2階は宝物館になっています。
左:金剛堂。旧塔頭普賢院の持佛堂で室町期のもの。これも重要文化財です。
右:圓教寺の鎮守である白山権現。裏手の高いところにあるし、摩尼殿側から行く道は木々に埋もれてさっぱりわからないので、よく行けたなぁと思いました(^^ゞ
寺域も広く、立派な堂宇も多く建ち並んでおり、もう見事ととしか言いようがないですね。大きい有名なお寺なのに、静寂を感じられるのもいい感じです。
開山堂が修理に入っていたため、見ることができなかったのが残念なところ。開山堂の修理が終わったら、また訪れたいところであります。
ロープウェイで下山し、次の目的地、一乗寺へ向かいます。圓教寺から一乗寺までは、1時間もかかりません。もしバスで移動だと・・・どれくらい時間がかかるやら。
■法華山 一乗寺(ほっけさん いちじょうじ)■
「一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音である。
寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。
道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。
創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。
一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。」(Wikipediaより)
左:これが一乗寺の入り口。お寺につき物の山門がないので、見落としそうになります。
右:一番目の石段を上がると、常行堂があります。現在の建物は明治元年(1868年)に建てられたそうで、本堂改修中はここが仮本堂になっていました。
左:二番目の石段を上がると、三重塔があります。承安元年(1171)の建立で、日本最古の塔の一つであるそうです。この三重塔は国宝に指定されています。
右:三番目の石段を上がりきると、金堂(本堂)があります。寛永5年(1628年)の建立で重要文化財。台風による被害の修理から解体修理と9年の長年月を費やして、 平成20年(2008)4月に工事が完了しました。
左:弁天堂(左)と妙見堂(右)。どちらも鎮守社で実室町時代の建立です。護法堂という鎮守社とともに3つとも重要文化財。
右:奥の院へ続く道。この辺からなんか空気が違うように感じられます。
左:奥の院の開山堂。一乗寺の開基、法道仙人が祀られているらしい。
右:開山堂から向かって左に行くと、賽の河原と呼ばれる場所があります。水子供養の場所のようで、小石がいたるところで積んでありました。
今回は、結縁御開帳に合わせて、参ったので、秘仏である本尊の聖観音菩薩を拝見することができました。22年ぶりだそうで、次はいったいいつになるのやら・・・なので、いいタイミングで参拝することができてよかったです。
さぁ、西国巡礼もあと8箇所を残すのみ。
青岸渡寺、上醍醐寺、正方寺、石山寺、三井寺、宝厳寺、長命寺、華厳寺。
残ったところは、結構遠いところばかり。それでも、春までには満願となるでしょう。がんばるぞー(^.^)/
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