福知山ツーリング 後編

後編のスタート! 今回も写真満載でお送りします(^^)
■福知山市佐太清記念美術館■
「福知山城の下にある、城の外観をした櫓風建物は、福知山市美術館です。平成2年(1990)4月に開館しました。
福知山市出身で文化勲章を受章した現代日本画家・佐藤太清画伯の見ごたえのある花鳥画を中心に、日本画を展示しています。佐藤画伯は、自然の風景や花鳥を題材にし、現代的な日本画として完成させた第一人者で、平成4年(1992)に文化勲章を受章されています。
ゆっくりと絵を楽しめる美術館として、親しまれています」(福知山市HPより)
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櫓風に造られた市立美術館で、福知山城と意匠をあわせ景観に一役買ってます。外側から見たとき、普通に城の建物だと思ってました。絵画も見学(一応、元美術部(幽霊部員))。自然を題材にしてなんか心和む絵でした。
雨降ってちょっぴりぐしょぐしょになったヘルメットをかぶり(クールマックスのインナーキャップがあってすごく助かった)、城を後にして近くにある神社へ。この神社には明智光秀が祭られているそうな。
■御霊神社■
「市街地の中心に位置する御霊神社は、もとは稲荷社で商売とのかかわりも強く、町の鎮守、庶民の神社として親しまれています。現在は、明智光秀の霊が合祀してあり、光秀ゆかりの神社としてもよく知られています。
社記によると、元々光秀の霊は稲荷社とは別に菱屋町の常照寺境内にまつられていましたが、水害など度重なる災害を光秀の霊と結びつけ、その霊を慰めるために宝永2年(1705)に現在の御霊神社に合祀したものと伝えられています。
神社には、光秀の軍隊の規律が書かれた明智光秀家中軍法をはじめ、明智光秀にかかわる3通の古文書が残されています(郷土資料館にて保管展示)」(福知山市HPより)
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拝殿は比較的新しいものらしく、朱塗りと金箔が鮮やかです。唐破風の瓦に明智家家紋の桔梗。
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境内にある神社で、左が叶(かなえ)神社。この叶石は礫岩で俗称「子持ち石」と云い、ヒスイ、メノウ等が入り混じったもので古代当社に奉納された霊石だそうです。右が堤防神社。市内を流れる由良川は大雨が降るたびに氾濫する暴れ川。その恐ろしさ、先人の築いた堤防のありがたさを後世に伝えるため、全国唯一の堤防そのものを御神体とする堤防神社を建立しました。
ここの駐車場で、次はどこに行こうか、近くの温泉にでも寄って帰ろうかと地図を広げて思案していたらまたもポツポツと雨が。仕方なく、福知山から離れることにし、帰路につくことにしました。帰路も当然下道。176号線を南下するルートを取ります。
しばらく走っていると柏原町に入りました。看板に「八幡神社」「木の根橋」とありましたので、ちょっと寄り道してみることに。これが実に当たりで寺社仏閣好きのわたしとしてはこの神社は大いに気に入りました。
■柏原八幡神社■
「創建は平安時代の万寿元年(1024年)。祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神巧皇后)、姫三柱之命。
安土桃山時代再建の複合社殿(本殿と拝殿)が国の重要文化財に指定されている。 また境内には江戸時代再建の三重塔がある。神社境内に塔があるのは全国で18例のみである」(Wikipediaより)
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こんな小さな町にこれほど大きな神社があるとは思いませんでした。左が参道入口の一の鳥居で、右が二の鳥居。結構距離ありましたねぇ。ちなみにこの八幡神社がある柏原八幡山73ヘクタールは兵庫県の環境緑地保全地域に指定され、ひょうごの森百選やひょうご風景百選にも選ばれているそうです。
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重要文化財指定の社殿は天正13年(1585)に豊臣秀吉によって造営されたもので、入母屋造の拝殿と三間社流造と本殿が繋がった複合社殿になってます。珍しい上に凝った造りで小さいながら存在感が抜群です。さすがは重要文化財。
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応仁年間(1467~69)に建立されたと伝えられている三重塔は、戦乱で焼失し、その後再建されたものも落雷により再び焼失、現在の塔は文化12年(1815)再建。神社に塔が現存している例は全国的にも珍しく、明治初期の神仏分離の際、棄却されようとしたが「柏原文庫」と称することにして存続が許されました。兵庫県指定の重要文化財。(web上の説明文より)
平成3年の台風による被害を受け修理された時に色が塗られたようで、再建時の色が社殿と対照的でとっても派手。左手の銅鐘は豊臣秀吉が大砲を鋳造する材料として集めたものの一つと伝わっています。康応元年(1389年)と天分12年(1543年)の二つの年号が刻まれているのが特徴で兵庫県指定文化財です。
神社の傍に、大きなケヤキの木。
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これが柏原町のシンボル、木の根橋のケヤキで、その名のとおり木の根が橋のように小さな川をまたいでいるので、その名がつきました。木の根の写真撮るのを忘れてた・・・。ちょっと残念。
観光案内所でマップをGET。バイクを止めてちょっと歩くと・・・・、
■柏原藩主織田家長屋門、栢原藩陣屋跡■
(長屋門)柏原藩初代藩主織田信休が、公邸の表御門として正徳4年(1714)に築いたもので、内部は向かって左側が、畳敷きの番所、門扉を挟んで右側が、板張りの馬見所と砲庫の3室に仕切られている。桁行き13間半、梁間2間を測り、桟瓦葺きの入母屋造りと、総体的に簡素な構造ではあるが、数少ない大名邸宅遺構の一つとして貴重である。
(陣屋跡)柏原藩陣屋跡は、正徳4年(1714)に初代藩主織田信休によって造営された柏原藩主織田氏の居館跡である。道営当初の建物は、文政元年(1818)の火災で焼失し、文政3年(1820)頃に再建されたものが建存する御殿である。現在は表御門の部分と長屋門が残るだけであるが、門から御殿玄関へと続く構えは、全国的に類例が少なく、近世大名の居館を考えるうえでも貴重な遺構として、国の史跡に指定されている(以上、現地説明文より)
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左が長屋門でその門をくぐると陣屋跡があります。陣屋とは藩邸のことです。おどろくなかれ、この門と陣屋は小学校の敷地内にあります。どうりで、陣屋の横に給食室があると思ったらそういうことだったんですね。時間が遅くて陣屋内部や向かいにある資料館に入れなかったのが心残りです。
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左が織田神社。織田信長の弟信包の孫で、柏原藩三代目の藩主織田信勝を祭る神社です。右が陣屋跡の小学校敷地内にあった田ステ女像。田ステ女は知らなくても「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」の句は聞いたことあると思います。この句を読んだのが田ステ女で6歳のときに読んだそうです。柏原が生んだ偉大な俳人で、「元禄の四俳女」の一人に数えられています。
ここで柏原を後にして本当に家路につきました。福知山、柏原と小藩の城下町を十分堪能。特に柏原が織田ゆかりの土地だとはまったく知りませんでした。こういう発見があるから町めぐりは楽しいんですよね(^^)
柏原はまた行ってみたいと思います。次のツーリング(舞台があるからいつになるやら)はもっと遠く、日本海まで行ってみようと考えてます。
ところで、今回のツーリングで明らかになったこと、それは
スポーツスターの純正シートは長距離に向いてねぇ!
100km前後でケツに来ます。FZ400と比べても疲労度が全然違いますね。ロングツーリングだと純正シートでは無理っぽい。ということで、次のカスタムはたぶんシート。でも、K&Hのシート高いのよね・・・・。