青春18きっぷin広島ツアー その2
ついに、今日の本命、厳島神社へ突入です(^.^) 世界文化遺産、以前から一度は訪れたかった神社ですからね。
■厳島神社■
厳島神社の創建は、推古天皇元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。平安時代後期の仁安3年(1168年)には、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営。本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、弘治元年(1555年)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、その年安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)建立を命じています。
厳島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、また永い歴史の間には幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。(公式HPより)
まず、入る前に外から神社を眺めます。
見事に潮が引いています。鳥居に近づけていいんですが、厳島神社は海に浮かぶイメージがありますのでちょっと美しさが足りないかなぁと感じますね。
左の写真、神社の平舞台が北側に突き出たところを「火焼前(ひたさき)」といいます。右は大願寺側から。能楽屋です。
入り口で、拝観料300円を納めます。世界文化遺産(国宝)が300円で見られるんですから安いもんです。
左:朱塗りの柱がずらりと並ぶ東回廊です。
右:客社祓殿正面。背後の五重塔が見えたのでいいアングルかなと・・・(^.^)
左:干潮のときにしか観る事が出来ない「鏡の池」 写真中央の丸い水がたまっているところがそうです。この池は干潮時に火災が発生したときの消火用の水の役割を果たしたと言われ、池に映る月は最も美しいと言われていたとか。
右:東廻廊から本殿を見ます。
左:平舞台から大鳥居を見ます。少し潮が満ちてきています。
右:今まで見た神社のどれよりも威厳と風格がある気がする本殿。手前に見えるのが高舞台。
(切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿には、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。現在の本殿は元亀2年(1571年)、毛利元就によって改築されたものです。
本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。舞楽の舞台としては最小のもの。現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられています。(公式HPより))
左:大国神社脇から後園に通じるこの長橋は長さ約33mあります。
右:国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台で、現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つです。
左:反橋(そりばし)は、かつて重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。(公式HPより)
右:人が歩ける角度ではありませんので、渡る時には階段を置いたそうです。
左:西廻廊です。東より西のほうが長い。
右:出口部分屋根が唐破風なのは、実は昔はここが神社の入り口だった名残だから。
神社を抜けたところにお寺があります。大願寺というお寺。
(厳島神社の修理、造営を明治維新まで司ってきたのが当寺院です。
開基は不明ですが、建仁年間(1201~03)の僧了海が中興の祖とされています。戦国時代に僧尊海は大内義隆の援護をうけ、厳島社の一切経を求めて朝鮮半島に赴き、この時の記録は「尊海渡海日記」として国の重要文化財になっています。
幕末には幕府から勝海舟が訪れて長州戦争の休戦交渉が開かれました。そして明治初期の神仏分離では、町内の各寺堂の仏像・仏具はここに移され、破却をまぬがれました。大経堂(千畳閣)にあった本尊釈迦如来像など国の重要文化財になっています。
ここに祀られている弁財天は、日本三弁財天(他に江の島、竹生島)として有名で、毎年6月17日に弁財天祭が行なわれています。(公式HPより))
左:山門です。回りがオープンなので門という感じはぜんぜんしませんが・・・・。
右:弁財天を祭る本堂です。この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つだそうです。
左:大願寺の九本松。松は口頭伝承によると、伊藤博文が明治時代頻繁に来島され、その際に植えられたと伝えられています。珍しい姿から廿日市市の天然記念物に指定されています。
右:妙に真新しい建物は護摩堂といって不動明王を祀るものです。明治初頭の神仏分離令で損失していたんですが、平成18年春に、 約140年ぶりに再建されました。
左:大願寺境内の東側に(宮島)平和観音がありました。
右:後白河法皇承安四(1174)年御行幸松。後白河法皇お手植えの松で、触ればご利益があるということなので、思いっきりなでてきました(^^ゞ
時間もなくなってきましたので、最後に表参道商店街をぶらぶらします。
左:商店街風景。匂いに負けて焼かきを食べてみると、これがいままで食べたどのカキよりうまかった! 臭みもなくジューシィ・・・。シーズンオフでこれなら冬に来れば・・・と思うとまた来たくなります。もみじ饅頭もノーマル以外のものをつまんでみましたが、一番期待していなかったチーズが一番うまかった。もみじ饅頭恐るべし(^.^)
右:宮島名物「宮島大杓子」(おおしゃくし)です。大きさは長さ7.7m、最大幅2.7m重さ2.5tもあります。材質はケヤキで(樹齢270年・長さ13m)産地は埼玉県です。観光名所の一つとして宮島表参道商店街に飾られています。橋に写っている子どもと比べれてみれば、どれくらい大きいかわかるかと思います。
ここでタイムアップ。名残惜しいけど宮島を後にします。ロープウェーがなぜか休業で、弥山に登ることが出来ませんでした(くそ暑い中、1kmも歩いて登山する若さはない(^^ゞ)。
絶対にもう一回来たいです。そして、隅々までゆっくり回って、宮島のすべてを目に焼き付けたいですね。次に来るなら・・・・やはり、シーズンの冬がいいかな(^.^)
船に乗り宮島へ戻り、電車に乗って広島市内へ。ホテルに着いて、ちょっと一息。
晩御飯は、広島といえば広島焼! ということで、相方が探してきたお店に行くことにしました。行ったのは「京ちゃん」というお店。ものすごくアットホームなお店で、お客もわたしたちが行ったときには地元の人しかいませんでした。
肝心の広島焼きは当然のごとくウマー! やはり本場は違う。ボリューム満点。見た目よりあっさりしている感じ。お好み焼きよりうまそうだったのが、隣のテーブルが頼んでいた焼き飯。お好み焼きでお腹がいっぱいになったので頼むことが出来ず・・・・。無念、次回来たときにリベンジするぞ(^_^)/
と、一日、ほぼノンストップで駆け抜けてきましたので、かなり疲れました。明日も暑い中、観光に回らなければならないので、体力回復させるために早めに休むことにします。相方の体調もあまりよくないですからね・・・。
次回は広島。近日中にアップします。これも、わたしが昔から見たかったもの・・・。そう、負の遺産です。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません