第二番札所 佳木山 太融寺
■■第六番 佳木山 太融寺■■
(かぼくさん たいゆうじ)
山号:佳木山
寺格:準別格本山
宗派:高野山真言宗
本尊:千手千眼観世音菩薩
開祖:弘法大師
創建:弘仁12年(821年)
御詠歌:逢ひがたき 法の佳木を 得たる身は
苦しき海に などか沈まむ
所在地:大阪市北区太融寺町3-7
拝観料:無料
拝観日:2008年9月23日
(概要)
当寺は弘仁12年(821年)にこの地に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建されました。ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。当時を偲ぶ境内地の名称は今に伝えて、太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等として残って居ります。
元和元年(1615年)5月、大阪城落城のとき兵火で全焼しましたが、元禄年間に太堂、南大門など諸堂25棟が復興して、“北野の太融寺”と市民に親しまれ大いに栄えました。
昭和20年(1945年)6月戦災で堂塔伽藍一切が灰燼に帰しましたが、ご本尊千手観世音菩薩は無事難をまぬがれました。戦後再建に着手、本堂、大師堂、不動堂、宝塔、客殿、本坊、庫裡、鐘楼、東・西・南・北門、御供所20余棟が復興しました。 (公式サイトより)
大阪北の繁華街の中にあり、前は通ったことのある太融寺。新西国霊場に入っていなければ訪れることはなかったでしょう。これも何かの縁かもしれませんな(^.^)
左:梅田(大阪)駅から東に歩いていくと太融寺に到着します。
右:西門。正門ではないようですが、ほとんどの人がここから出入りしています。源融(光源氏のモデルといわれているそうな)にちなんで「源融公之旧跡」と刻まれた石碑が立っています。
左:鐘楼。鐘楼は、昭和48年(1973年)の再建。梵鐘は延宝3年(1675年)の鋳造です。
右:本堂は昭和35年(1960年)の再建。本尊は千手観世音菩薩で嵯峨天皇の念持仏(平安時代作)だとか。ちなみに秘仏ですので、普段はお前立ちの観音様を拝むことになります。
左:左の鳥居は白龍神社。中央はぼけ封じ観音。ここはぼけ封じ三十三観音霊場第七番札所でもあります。
右:境内の庭にある石塔。
左:手前が客殿。奥の朱塗りの塔が多宝塔です。一層には一願不動明王が安置されています。その上の層には本尊の大日如来が安置され、三層は経蔵で奉納された写経を納めています。
右:開祖である弘法大師の像。
左:太子堂。
右:護摩堂と不動堂。一願不動さまというので、願掛けてきましたよ。一願だったかどうかは定かではないけど(^^ゞ
左:境内の北西隅にある「淀君の墓」。太融寺の由来によると、
「元和元年5月(1615年)、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は淀君の崇敬が殊のほか篤かった大坂城外鴫野弁天島(現在の大阪ビジネスパークの辺り)の「弁天社」の隣に一祠を作って埋められた。これが「淀姫神社」である。
明治10年11月(1877年)、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り、この「淀姫神社」が生国魂神社に移祀されることとなり、豊臣家に縁の深い当寺に埋め「九輪の塔(戦災により損傷し六輪となる)」を建て境内西北隅に祀った。」、ということだそうです。
右:南門。本堂の正面に位置することから、こちらが正門になると思われます。この門から出ると、目の前がラブホテル街(^^ゞ
比較的新しい上に、繁華街の真ん中にあり、まわりがビルばかりということで、ものすごくごった煮感のあるお寺です。大阪らしいといえば大阪らしい・・・のかな?
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