第二十三番札所 宝積山 能福寺

■■第二十三番 宝積山 能福寺■■
            (ほうしゃくさん のうふくじ)
syuin.jpg   山号:宝積山
   宗派:天台宗
   本尊:薬師如来(本堂)
       十一面観世音菩薩(新西国霊場)
   開祖:(伝)最澄
   創建:(伝)延暦24年(805年)
   御詠歌:ただ法(のり)の 宝を積みては るばると 
                        運ぶ歩みの 楽しかりけり
   所在地:兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
   拝観料:無料
                   拝観日:2008年9月30日
(概要)
寺伝では805年(延暦24年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており、1180年(治承4年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、1341年(興国2年/暦応4年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、1599年(慶長3年)に長盛法印が再興したという伝がある。
またこの寺には国の重要文化財の木造十一面観音像がある。(Wikipediaより)


有休消化日だというのに、雨模様。でも、少し小降りになってきたところを見計らって近場のお寺を巡ることにしました。兵庫に大仏があるのは聞いたことがありますが、そこが札所になっていることまでは知りませんでした。
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左:兵庫駅を降りててくてく歩くこと10分あまりで、どどーーんと大仏様の背中が。こちらからは入れないので正面に回ります。
右:境内へは通常、大仏前の門から入ることになります。本堂正面にも門があるのですが、こちらは閉ざされています。
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奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏(これには異論があるそうですが)の一つ兵庫大仏。
初代は明治24年(1891年)に兵庫の豪商南条荘兵衛が寄進したもので、昭和19年5月(1944年)の金属回収令で国に供出し、長い間台座だけになっていました。
現在の大仏様は二代目であり、多数の檀徒市民や企業の協賛により47年ぶりに再建され、平成3年5月に開眼法要が行なわれました。ちなみに大仏の高さは11m、台座の高さは7m、重さ約60トンで総工費は約5億円だとか。
大仏の台座の建物には重要文化財の「十一面観世音菩薩立像」が安置されてるそうですが、非公開のようです。
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左:大仏に向かって左側にある、神戸事件の犠牲者である滝善三郎正信の顕彰碑。
「慶応4年(1868)1月11日明治新政府より警備を命じられた備前藩が、三宮神社付近で行列を横切ろうとした外国軍水兵を刺傷した事件が神戸事件である。
明治新政府が日本を代表する交渉相手である旨を外国に対して初めて明らかにして折衝にあたった結果、その第三砲隊長であった滝善三郎正信が全責任を負い、永福寺において慶応4年2月9日に切腹することとなりました。
同寺に建てられた滝善三郎供養碑は現在、能福寺の境内に移されています。」(web上の解説より)
右:平清盛の墓「平相国廟」。平清盛の八百年回忌を迎えるにあたり、昭和55年に平相国廟がここに再建されたそうです。中央の十三重石塔は弘安9年(1286年)に執権北条貞時が平家一門の盛衰を哀れみ、清盛の霊を弔ったときに立てたものだと言われ、現在に伝わっています。
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當勝稲荷大明神となんかファニーなお顔の観音様。
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本堂です。京都東山の泉涌寺寺域の墓陵(月輪御陵)にあったものを昭和28年(1953年)に宮内省と九条家より移築されたもので、「月輪影殿」とも言います。平成7年の阪神大震災で大破しましたが、平成12年に以前の姿に復旧しました。
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左:ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑(日本最初の英文碑)。写真の左は北風正造君碑(兵庫の勤王豪商・碑文は伊藤博文揮毫)。
右:本坊。ここで御朱印をいただきました。ちなみに、能福寺は旧院家(京都青蓮院門跡の院家:門跡不在時の代理を務める格式の寺)であります。昔は格式の高いお寺だったんですね。
大仏はあるは、平清盛のお墓はあるは・・・と小さいお寺なのに史跡や見所が満載。どでかい大仏様を見るために訪れるのも決して損はないと思いますよ(^.^)