「一年の計はことひらにあり」金刀比羅ツアーその6

あまりにも広い栗林公園の紹介を続けます。もう、なに見ても溜息しか出ませんが(^.^)
18小普陀  19鶏林石
左:小高い築山で「小普陀(しょうふだ)」と呼ばれ、本園の築庭においても古く、栗林公園の最初となった地とされています。小普陀の名は「中国観音の座」ともいうべき霊場の中国の普陀山にならって名付けられました。
右:鶏林石(けいりんせき)とよばれる石。この石は朝鮮産で薩摩藩主島津公から贈られたものといわれています。
20飛来峰  21五葉松
左:飛来峰からの眺めです。飛来峰は藩主が、江戸を懐かしみ、富士山に似せて作ったとされる築山で、「古富士」と呼ばれています。
右:根上り五葉松。天保4年(1833年)徳川11代将軍家斉公より松平9台藩主頼恕(よりひろ)公が参勤交代の時、拝領の盆栽を地に下したものが成長したといわれています。
22日暮亭  23北湖と芙蓉峰
左:日暮亭です。代々の藩主が御茶席を楽しんだといわれる考槃亭を移築し、日暮亭と改名された 茶屋 です。明治31年築。
右:芙蓉峰からの眺めです。梅林橋のあたりから見ると富士山の形をしているので、富士の別名である“芙蓉”の名がついたとされています。
24商工奨励館  25松
左:明治32(1899)年に「香川県博物館」として建てられた建物で、純日本風の木造建築です。昭和13(1938)年より「商工奨励館」と名を改め、建築後100年を越す建物。中では讃岐の伝統工芸品などを常設展示しています。特産品の製作実演をおこなってました。
右:檜御殿跡に植えられた松。松平初代藩主頼重公が30余年にわたって東讃岐(12万石)を治めた後、隠退するにあたって、この地に周囲を土塀に囲み、広大で、豪壮華麗な檜御殿を建てて、ここに住み、その後歴代藩主の別邸として使用された跡地です。
26群鴨池  27観音堂跡
左:群鴨池(ぐんおうち)は,栗林公園で一番大きな池です。昔はカモをつかまえるために使われていました。
右:藩主松平家の初期に建立され、明治初年に撤去された仏祠、観音堂の跡地です。紫雲山の東麓で、深山幽谷のこの附近は、豪族佐藤家の居址及び庭園、即ち、本園発祥の地とも伝えられています。
28小覗  29鴨引き堀と小土手
高松藩主松平家の下屋敷であった栗林公園は、鴨猟を楽しむための鴨場も設けられていた。
明治になってからも、栗林公園に残された江戸時代の文化遺産はさまざまな形で受けつがれ、県立公園として一般公開されてきたが、昔ながらの藩主の鴨場は姿を変えていった。
鴨場の一部は畑から遊戯場になり、次には高松市立美術館になり、鴨場のおもかげは群鴨池や瞰鴨閣という名称の中にわずかに残るだけとなっていた。
しかし、昭和63年(1988)、美術館が園外に移転することになり跡地利用として鴨場を復元することが決まった。
鴨引き堀(鴨をさそい込む堀)を使った鴨場の猟は日本独自のものであり重要な文化遺産である。
また、栗林公園の鴨引き堀は幅、長さともにわが国最大の規模であり、その点でも貴重なものと言える。この歴史的遺産を後世に誤りなく引きついでいくために、平成元年(1989)鴨場復元工事に着手し、平成5年(1993)に完成した。
遺構、絵図などを総合的に解析し、時代考証の結果、鴨引き堀、のぞき小屋(小覗・大覗)、並松、土塁、苑路などを復元さらに諸施設(門や土橋)なども復元した。(web上の説明文より)
30讃岐民芸館
讃岐民芸館。讃岐の民芸品・家具・瓦など約四千点を収蔵し、約一千点を常設展示しています。


ゆっくり回ったので、2時間以上公園にいました。それにしても、広くて整然としていて、変化にとんだ実にいい公園でした。入園料400円など、管理代だと思えば安いものです。
今回は冬の風景を楽しみましたので、次回は違う季節に訪れて違う顔の公園を見てみたいですね。
公園を後にしてJR高松駅に戻り、昼ごはんを食べ、お土産を物色したあと、行きと同じくのんびり電車に揺られて帰路につきました。帰りはもちろん爆睡でしたねぇ。
高松はいいところでした。また、うどん食べに行きたいですねぇ。だって、香川はそれほど遠いところではないですから(^.^)