嵯峨野 紅葉巡り その2

やっとこさの、その2であります。大覚寺の次は、祇王寺。
地図で見ると比べ物にならないくらい小さな寺でしたが・・・、舐めてました。小さいのになんと濃いお寺なのか。


■高松山 祇王寺(たかまつさん ぎおうじ)■ 
「祇王寺(ぎおうじ)は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。寺自体は尼寺である。山号は高松山。院号は往生院。本尊は大日如来。
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。
その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。苔の庭でも知られる。」(Wikipediaより)
001_祇王寺  002_祇王寺
左:祇王寺の入口は階段を上がったところにある小さな門です。
右:境内のコケのうえに落ち葉が敷きつめられて、緑、黄色、赤のコントラストが見事。
003_祇王寺  004_祇王寺
建物は庵しかなく、境内は苔生しており、紅葉でない時に訪れたいと思わせますねぇ(^.^) なんか落ち着きそうですもんね。
005_祇王寺  006_祇王寺
左:草庵の中には仏間があり、正面に本尊大日如来、左に清盛、祇王、刀自、右に祇女、仏御前の木像が安置されています。
右:寺の墓地にある宝篋印塔。右が祇王、祇女、刀自の墓、左の五輪塔は平清盛の供養塔で、いずれも鎌倉時代のもののだそうです。


ちいさいお寺なのに、雰囲気満点。すごいわぁと感心しつつ、休憩を兼ねて、お茶しに行くことにしました。
歩いているうちに、めぼしい店を探していると、紅葉とともに目に飛び込んできたお店が。なかななよさげなお店は
「いっぷく処つれづれ」といいます。
013_いっぷく処つれづれ  014_いっぷく処つれづれ
お抹茶頼むと饅頭がついてきます。これが、程よい甘さとしっとり感で、ウマー(^.^) お土産にほしいくらいでした。
一服して、お茶屋さんを後にして、ブラブラ歩いきます。そのときに目に付いたものがこちら。
015_有智子内親王墓  016_落柿舎
左:有智子内親王墓。
「有智子内親王(うちこないしんのう、大同2年(807年) – 承和14年10月26日(847年12月7日))は、第52代嵯峨天皇の第8皇女 。母は交野女王。平安時代初期の皇族、漢詩人。初代賀茂斎院。
大同4年(809年)、父嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され封100戸を賜る。同年4月、父嵯峨天皇退位。天長8年12月6日(832年1月16日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)薨去。享年41。
有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙した。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。
陵墓は京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。」(Wikipediaより)
右:お墓の隣にあった、落柿舎。
「落柿舎(らくししゃ)は、嵯峨野(京都府京都市右京区)にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵。去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があったという。
庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。 1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著した。野沢凡兆(ぼんちょう)、凡兆の妻の羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。 現在の庵は俳人井上重厚による再建である。場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっている。」(Wikipediaより)
ここは人が多すぎて入るのを断念(T_T)
そして、最後に行ったのが、縁結びでも有名なあの神社(^.^)


■野宮神社■
「野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区の嵯峨野にある神社である。祭神は野宮大神(天照皇大神)。旧社格は村社で、現在は神社本庁の被包括法人となっている。
伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる。天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中から新たな斎王が卜定され、嵯峨野の清らかな場所を選んで作られた野宮に入って一年間潔斎した後に伊勢神宮へ向かった。その時の行列を「斎王群行」といい、現在では毎年10月の例祭において「斎宮行列」としてその様子を再現している。
野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の制度は南北朝時代の後醍醐天皇の代を最後に廃絶し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、戦乱の中で衰退した。後に後奈良天皇、中御門天皇らの命により再興され、皇室からの厚い崇敬を受けた。
鳥居は樹皮がついたままの「黒木の鳥居」で、古代の鳥居の形式を伝えている。
境内には苔を用いた美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」がある。
源氏物語「賢木」の巻にも現れ、謡曲「野宮」の題材ともなっている。」(Wikpediaより)
001_野々宮神社  002_野々宮神社
左:さすがは縁結びで有名な神社。参拝に列ができてます。鳥居は樹皮がついたままの「黒木の鳥居」。
右:中央が野宮大神拝殿。向かって左が白峰弁財天、右に愛宕大神。
003_野々宮神社  004_野々宮神社
左:野宮じゅうたん苔。たしかにじゅうたんの様。緑一面きれいですねぇ。
右:手前が白福稲荷大明神、奥が大山弁財天。縁結びのあとは白福稲荷で子授けを祈願(^.^)


嵯峨野紅葉三昧、これにて終了。それほど寒くもなく、ほんとうに楽しく紅葉を愛でることができました(^.^)
人が多すぎるので、今度は真冬に来たいと思います。んで、また湯豆腐食って昼間っから飲みたいなと(^^ゞ