愛媛観光 その4

雨は降り続いていますが、次の目的地へ。道の駅へ。ここから別子銅山観光のメインへと進んでいきます。

<立川・端出場エリア>
 
左:道の駅 マイントピア別子 「別子銅山最後の採鉱本部跡地を利用した鉱山のテーマパーク。日本初の山岳鉱山専用鉄道を復元した鉱山鉄道と観光坑道、炭酸泉・酸素泉の露天風呂や岩盤浴が楽しめる温浴施設「別子温泉~天空の湯~」、屋内型子ども用遊戯施設「あかがねキッズパーク」などがあります。」 温泉入りたかったけど時間なかった(^^;)
右:旧端出場水力発電所 「明治45(1912)年に完成した水力発電所で、当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われました。現在建物内には、運転開始時の発電機や水車が残っています。登録有形文化財。」マイントピア別子のテラスから見えます。内部に入ることができないのが非常に残念。いつ保存工事終わるんだろ?

 
鉱山列車に乗って鉱山見学できます。・・・・ですが、これ、ぶっちゃけるとがっかりというか金返せというか・・・。列車に乗っているのはものの5分(かなりゆっくり)、坑道は徒歩であっさりすぎるほど短い。坑道の見学であれば、今まで見てきた生野、佐渡、足尾のほうが圧倒的に規模が大きく展示物も見せ方もすべてよかった。何でここは、こんなにしょぼいんだろう?

 
左:煉瓦水路跡 「坑内水流水路の一つ。坑内の鉱毒水は、このレンガ水路を通って山根収銅所に送られ、浄化処理されました。」
右:旧泉寿亭特別室 「昭和12年(1937)、開抗250年記念のお客様を迎えるために建てられた京風数寄屋造りの住友接待館。特別室棟がマイントピア別子に移築されています。登録有形文化財」 ここも内部を見ることはできません。ていうか、外観のみのところ多くない?

 
左:第四通洞 「1915年に完成した、輸送のために水平に地中深く掘られた大きなトンネル。トンネルの長さは、4,596m。トンネルは更に掘り進められて1942年には、およそ10,000mの長さになりました。」 資材置き場になっているのか、工事関係者がいました。ここも内部を見ることはできません。
右:四通橋 「大正18年(1919)に、足谷川にかかるトラス橋として第四通洞として完成しました」 奥に見える赤い橋は打除鉄橋。ピンを用いて組み立てられた、ドイツ製の鉄橋で、明治26年(1893)に架けられました。登録有形文化財です。

雨がきつかったので見学が駆け足になってしまったのが残念なところ。ここは、まぁこのくらいにして、次のエリアへ。こちらがこの旅のメインです(^.^)

<東平エリア>
道の駅から東平エリアまでバスが出ています。東平に至るまでの道は道幅が狭く対向車とのすれ違いの困難な所ばかりです。土日は素直にバス乗っていったほうが安全・安心かと思います。わたしは平日で軽四でしたので、バスに乗らずに行きましたが。

 
左:東平 接待館跡 「住友関係の要人や著名人が訪れ、会食をしたり、宿泊する場所として、明治42年(1909)に建設された。」 今は兵どもが・・・状態。バスで行ってたら見落としてたかも。
右:旧保安本部 「東平記念館のマイン工房として利用されている赤レンガ造りの建屋は、明治期は配電所、大正期は林業課事務所、その後は保安本部として活用されていました。」 音連れたときは休館中でした。台風の被害があったようです。

 
左:東平歴史資料館 「最盛期の社宅や学校の様子などのジオラマ、地形模型、写真および映像などで紹介されています。」 無料です。ジオラマはよくできていました。
右:小マンプ 「東平集落にある短いトンネルを小マンプと呼んでいました。マンプとは坑道を意味する間符から転じたものとされています。」 トンネル内は東平にゆかりのある鉱山運搬機器展示場となっていました。


左:大マンプ 「「大マンプ」とは、かつて東平と第三通洞の間を行き来していた鉄道車両の線路上にあった鉄道用のトンネルです。」 ここも内部には入れません。覗くだけ。
右:東平採鉱本部跡 「採鉱本部とは別子銅山の中枢の場所で、坑内の管理や保安、採掘に関する全ての管理を担っていました。大正5年(1916)に別子山村東延(とうえん)からこの東平の地へ移転されました。」 今は原っぱです。撤去の際に木造建物は全部焼却したのだとか。もったいない・・・。


第三通洞 「第三通洞は、標高747mの8番坑道準の東平坑口から東延斜坑底を結ぶ延長1,795m、幅3.35m、高さ3.73mの主要運搬坑道で、明治35年(1902)に貫通しています。」 入口扉がとってもモダン。こちらも覗くだけ。

その4まできました。次で最後。年明けには更新します。東洋のマチュピチュはやはりすごかった(^.^)