旧閑谷学校に行ってきた その2
引き続き、閑谷学校の素晴らしさをつたない文とイケてない写真で伝えていこうと思います(^.^)
左:小斎(重要文化財)。延宝5年(1677)に建造されたもので、藩主臨学の際の御成の間です。
右:小斎の中。うん、落ち着きそうなお部屋(^.^)
左: 飲室(いんしつ)および習芸斎(しゅうげいさい)。どちらも重要文化財。
右:習芸斎から見た飲室。飲室は、師匠・生徒の休憩所で、炉や流し場があります。
左:習芸斎は課業規則に「習芸斎三・八の日、講釈、五経並賢伝類、読書師輪番に相勤」とあるように教室として使用されたものだそうです。
右:文庫(重要文化財)。閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫で、8000点余が所蔵されていました。
左:公門(重要文化財)。藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいいます。石塀が築かれた元禄14年(1701)の時点で設置されました。両側練塀も公門の附指定。
右:飲室門(重要文化財)。飲室の前にあり、普段教師や生徒等が通った門です。
左: 石塀(重要文化財)。校門の左右から出て、閑谷学校の施設をすべて囲み全長765mもおよんでいます。河内屋治兵衛を棟梁とする石工集団によって築かれたもので「切り込み接ぎ式」の工法が用いられており、元禄十四年(1701)に完成しました。
内部には洗浄した割栗石をつめて排水を助けており、300年を経てもいまだに草木一本生えていません。
右:飲室門から左手に進むと閑谷学校資料館があります。右に見えるのが火除山。現在の閑谷学校資料館があったところは、学舎や学房(寄宿舎)などがあり、そこからの出火が講堂などに及ばないようにするため、防火の目的でつくられた人工の山なのです。
閑谷学校資料館。明治38年(1905)に建てられた旧閑谷中学校の本館部分を活用して7つの展示場が設けられています。こちらは国登録有形文化財。
いやぁ・・・・想像以上によかったわ。時間があれば資料館もじっくり見てみたかったです。
またいつかゆっくり来よう。仕事のついでではなく・・・・ね(^.^)
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