青春18きっぷin広島ツアー その4

十分に昼休憩も取りましたので、平和記念公園に向かいます。
木の陰から見えてきた原爆ドーム。昔からどうしても直で見てみたかった建物。はやり、現物は写真と違います。見た瞬間、はっと息を呑みましたから・・・。
■原爆ドーム■
広島原爆ドームは、広島県物産品の販売促進を図る拠点として1915年(大正4)年、チェコ出身の建築学者ヤン・レルツの設計により建設。設立当初は「広島県物産陳列館」という名称で、その後「広島県立商品陳列所」、「広島県産業奨励館」と改称されました。1945年8月6日、原爆の投下により、建物は一瞬にして大破しましたが、爆風を真上から受けたため完全消滅を免れ、現在の形だけが残る事になりました。その後、広島市は原爆ドームの永久保存を決定し、募金などにより二度の保存工事を行いました。この原爆ドームは、原爆の恐ろしさ、悲惨さを人々に伝えて行く重要な建物として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産にも登録されています。(web上の説明文より)
原爆ドーム01 原爆ドーム02
内部の瓦礫の山が、惨状を物語ります。
原爆ドーム03 原爆ドーム04
外壁しか残ってません。ひん曲がった鉄骨とともに、原爆のすさまじさを表しているようです。
原爆ドーム05 原爆ドーム06
元安橋から原爆ドームを望む。近代的な町並みが見えます。このあたりが、60数年前、焼け野原だったのかと思うと・・・。
負の遺産で唯一の世界文化遺産である原爆ドーム。人類に核兵器の恐ろしさ、戦争のおろかさを伝える平和のシンボルとして永久に存続して欲しいと願います。
動員学徒慰霊塔 
原爆ドームのすぐ近くにある「動員学徒慰霊塔」です。
(太平洋戦争中、増産協力、建物疎開作業などの勤労奉仕に動員された学徒のうち原爆犠牲になった6千余人の霊を慰めようと願ってたられた碑です。(web上の説明文より)
原爆の子の像
原爆の子の像。この像の由来を資料館で見ましたが、あまりに壮絶すぎて・・・。
(原爆の子の像(げんばくのこのぞう)は、広島県広島市の広島平和記念公園内にある、佐々木禎子(像のモデル、原爆による白血病で死去)の同級生等による募金運動により作られた像。1958年5月5日完成。(Wikipediaより))
原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)です。碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。
広島平和記念資料館
広島平和記念資料館です。お盆休みもあって、場内はすごい人でしたが、展示物は端折ることなくすべじっくり見学しました。原爆のほんの一部を伝えるだけですが、その悲惨さは十二分に伝わりました。
地下で、「被爆建造物は語る」という企画展をしていましたが、こちらは誰も気がつかないのか、人もあまりおらず、ゆったりと見ることが出来ました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
立広島原爆死没者追悼平和祈念館の入り口にある「8時15分」を表すモニュメント。とその周辺には工事中に出土した被爆瓦などを配しています。
この建物を見ていて感じたのは、なんと中途半端な施設なんだろうか・・・と。資料館を見てきた後だけになおさらそう思います。
相方が、ご飯食べた後に原爆ドームや資料館を見学したほうがいいという理由がわかりました。これらの施設、展示物を見た後でご飯食べる気になれないです・・・。
午後の観光はここで終了。いったんホテルに戻って、ちょっと休憩してから宮島水中花火大会を見に行きます。事前に収集した情報では、島に渡ると地獄を見るとのことなので、対岸から地元の人たちに混じって見物しようということに。
宮島で晩御飯のアナゴ飯を購入。ちょうど出来立てを買うことが出来てラッキーでした。地元の人たちに付いて行く様にして、岸へ。これが、結構よく見えるポイントで十分に花火とアナゴ飯を堪能することが出来ました。
人ごみにもまれつつ、帰路(ホテルですが)へ着きます。思ったよりすんなり電車に乗れて、ここで全精力を使い果たすことなく無事に帰れました。
次の日は、最終日。お土産買って、駅前をうろうろして、お昼ご飯食べて、また青春18きっぷを使い6時間かけて帰りました。
当然のことですが、帰りの電車はほぼ爆睡。さすがに疲れました。若いつもりだったんですけどねぇ・・・(^^ゞ
3日間の観光でしたが、まだまだ回りきれていません。宮島は半分も見てませんし、道中で見た福島や尾道にも行ってみたい。広島はまた必ず訪れたいと思います。
次ももちろん青春18きっぷだ(^_^)/