天橋立~舞鶴ドライブ その2

海自の艦艇にワクテカしながら、赤れんがパークへ。ここも一度来てみたかった所です(^.^)
舞鶴赤レンガ倉庫群の建物を利用し、2012年(平成24年)に舞鶴市の観光交流施設としてオープンしたのが舞鶴赤れんがパークになります。

専用駐車場から舞鶴赤れんがパークへのアプローチには3棟の赤れんが倉庫と赤れんがロードがあります。

 
左:旧舞鶴海軍需品庫需品庫(前から第二水雷庫、第一水雷庫、電機庫)明治35年竣工(重要文化財)
右:逆から見たところ。残念ながら内部は見学できません。

ロードの先には4棟の赤れんが倉庫が並んでいます。それぞれ重要文化財に指定されています。
 
左:赤れんが4号棟・赤れんが工房。旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(雑品庫並損兵器庫とも)  明治35年竣工。
右:創作工房や音楽スタジオ等を備えた、市民のものづくりの拠点として開館。この日は何もしていなくて休憩スペースとして使用されてました。

 
左:赤れんが3号棟・まいづる智恵蔵。旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫 – 明治35年竣工。
右:舞鶴や海の京都エリアの土産物が並ぶ赤れんがショップのほか、旧海軍ゆかりの展示等を行っています。

 
左:赤れんが2号棟・舞鶴市政記念館。旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫 – 明治35年竣工。
右:歴史や文化とふれあう、出会い、交流の場として使用されています。

 
左:赤れんが5号棟・赤れんがイベントホール。旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫 – 大正7年竣工。
右:自由なレイアウトを可能とする多目的ホールとして開館しています。

赤れんがの建物が楽しめたのですが・・・・商業施設として改修されているので、内部はほとんど面影もくそもない感じなのがちなのがちょっと残念な感じ。特にわたしはお土産ショップとかそういうの興味ないので余計にそう感じるんでしょうね。
外観はよく保存されているので、コロナが収束し海自の自衛艦見学等ができるようになったらまた訪れたいなと思います。

赤れんがパークの近くにもれんが倉庫がありましたので、少しばかり紹介。海上自衛隊の施設内なので自由に見ることはできませんが・・・。
 
左:旧舞鶴海軍軍需部第一需品庫 – 大正8年竣工。現・海上自衛隊舞鶴補給所No.17倉庫。
右:手前から旧・舞鶴海軍経理部衣糧科被服庫・2棟(明治34年築)、旧・舞鶴海軍軍需部第三被服庫(大正10年築)。現在は、海上自衛隊舞鶴補給所倉庫として使用されています。

海上自衛隊が所有する赤れんが倉庫は重要文化財等には指定されていません。

まだ少し時間があったので、近くにある田辺城跡に寄ってみました。
「田辺城は細川藤孝(幽斎)・忠興親子によって築かれた城です。田辺城は「関ケ原の戦い」の前哨戦である「田辺城の戦い」の舞台となった城です。関ヶ原での功により嫡子忠興が豊前中津に加封されたあとは、代わって京極氏、ついで牧野氏が入り、牧野氏は明治の廃城まで10代にわたってつづきました。現在は本丸と二の丸の一部が舞鶴公園として整備されており、大手門と模擬ニ重櫓が復興されています。なお園内には歴代藩主の資料を展示する田辺城資料館があります。」(WEB上の説明より)

 
左:大手門が田辺城資料館なります。
右:天守台石塁が復元されていました。実際には天守は築かれなかったようです。


城跡公園のすぐ西側にある明倫小学校は、牧野氏時代の藩校「明倫館」跡で、写真の校門は当時の現存だそうです。舞鶴市有形文化財。

舞鶴はほぼ半日しかいませんでしたので、回りきれてないところも多いです。いずれコロナが落ち着いたころに子供たちを連れてもう一訪れたいと思います。大きな船見たら恐らく大興奮だと思いますしね(^.^)