愛媛観光 その3

松山から西条へ移動し、居酒屋さんで孤独のグルメごっこして、いい気分で寝た後、夜が明けたら本当の目的地である新居浜に移動しました。
生憎の雨・・・・ていうか、結構な大雨でしたが、それでも観光は続けます。

新浜に来たかった理由は・・・東洋のマチュピチュと言われている別子銅山が見たかったから。昔、観光協会がイベントに来ていてその時にパンフをもらってから、ずっと行きたいと思っていたところなんですね。

では、駆け足で観光した所を紹介していきます。まずは星越エリアから。
<星越エリア>
 
左:旧星越駅舎 「この星越駅はかつて敷かれていた別子鉱山鉄道の途中駅として設置されたもので、昭和52年に廃線となった後も唯一この駅舎のみ残されています。2016年に改宗されて現在の姿になっています。」 工場敷地内のため残念ながら内部を見ることはできません。
右:旧新居浜選鉱場 「大正14年(1925)に完成したもので、浮遊選鉱・比重選鉱により品位の低い鉱石の製錬も可能となりました。この選鉱場は、海外から運ばれた鉱石等を選鉱し、東予製錬所にて製品化されていました。 現在は、建屋を撤去し跡地には樹木等が植栽され、旧別子同様、自然に戻ろうとしています。」工場内ですので、これも外から眺めるしかできません。

山田社宅群他は場所等がよくわからなかったので、次の場所へ移動します。
<山根エリア>

 
右:別子銅山記念館 「別子銅山の意義を永く後世に伝えるため、住友グループによって昭和50(1975)に開館されました。た。建物は鉱山坑内をイメージさせる独特の半地下構造になっています。開坑以来の歴史、地質鉱床、生活風俗、技術に関する貴重な資料を展示。屋根には別子銅山が開坑された5月にちなみ、サツキが10000本、周囲にも3000本植えられ、市内随一のサツキの名所として親しまれています。」 凄く凝った建物と内部展示なんだけど、もうちょっとボリュームが欲しいかな・・・とも、思うけどこれ無料ですから。文句言っちゃダメ(^.^)
左:別子1号機関車 「別子銅山の鉱石輸送用鉄道で使用するためドイツのクラウス社で製造した、2気筒単式の飽和式ウェルタンク機関車である。1901年までに、10両が輸入された。別子銅山記念館に静態保存されており、1963年(昭和38年)には準鉄道記念物に指定されている。」 他にも鉱山専用電気機関車ED104号、坑内牽引6tトロリー電車、かご電車などが屋外で展示されていました。
 
右:山根競技場観覧席 「住友社員の奉仕作業により1928年(昭和3年)に建設されたもので、高さ14m幅170m最大170段の石積み、2009年(平成21年)8月7日に国の登録有形文化財に登録された。」 圧巻です。雨降ってなきゃ座ってみたかった・・・。
左:旧山根製錬所煙突 「山根競技場の南側に位置する生子山の頂上に1888年建設、四角形平面の煉瓦造、高さ19m、2009年(平成21年)8月7日に国の登録有形文化財に登録された。」 裏手の頂上にあるので、登らないと見えません。それほど歩きませんが、雨降りだと滑りそうで怖かった(^-^;)

次は広瀬宰平ゆかりの広瀬公園へ。
<上原エリア>
 
左:広瀬歴史記念館のうち展示館 「広瀬宰平の足跡や近代化のあゆみを、当時の資料や映像装置などで知ることができる展示館で、銅山での業績のみならず、諸外国を巡り日本の近代化のために奔走した活動や、大阪商法会議所、大阪商船などの設立に参画した際の記録など多方面にわたる活躍が紹介されている。」
右:敷地の入り口に立つ宰平の像(実物大)は、高村光雲の木型によるもの。
「広瀬宰平(1828-1914)は、幕末-明治時代の実業家。
文政11年5月5日生まれ。11歳のときから住友家の別子銅山ではたらき,慶応元年支配人となる。維新後は同銅山の近代化につとめて,住友財閥の基礎をきずく。明治10年住友本店総理人となり,大阪商法会議所,大阪株式取引所の設立などにつくした。大正3年1月31日死去。87歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は北脇。」


左:広瀬歴史記念館のうち旧広瀬邸 「住友グループと工業都市・新居浜の礎を築いた広瀬宰平の旧邸。旧広瀬邸の母屋や新座敷など主要な建造物は、平成15年に国の重要文化財「旧広瀬家住宅」に指定されています。」 向かって左が新座敷、右が母屋。
右:新座敷。別子開坑200年祭の接待館として明治22年に建築されました。

 
左:母屋の玄関より台所を望む。母屋は明治10年久保田に建築されたものを明治20年現在地に移設したもの。
右:調理場は明治33年頃に増設されました。ここでお茶を作っていたようで、製茶の機械や設備が置いてありました。

 
左:母屋の二階を宰平は望煙楼と名付け、ここから新居浜の発展を見守っていたといいます。
右:母屋と新座敷に面する内庭は、明治20年に大阪の植木屋・武田清兵衛によって作庭されたもの。向かって左の建物が指月庵という茶室、右が潺潺亭という東屋。

平日の、しかも雨ということもあり、ここまですべて貸し切り状態で見学出来ました。まだここまでで、本日の1/3程度の工程。
まだまだ続きます。完結は正月を予定(^.^)