五條・新町通り散策 その1

これも、去年の9月に行ってきたものでして、今さらUPするのもどうか思いますが・・・ネタないもんで(^^;)

五條・新町通りは重要伝統的建造物群保存地区、つまりは古い町並みが残されていて、その中でも特に価値が高いものとして国が選定した所であります。
古い町並みは大好物ですので、有休消化を兼ねて、ちょいと電車に乗って散策してみることにしました。


JR五条駅到着。自分の最寄から1時間半ほどかかりました。何かすごく遠くへ来た気分(^.^)
新町通りまで、1km弱あります。せっかく来たので、新町通り以外もちょいと散策することにしました。


途中にあった統神社。統は本来は”すべ”と読むらしいが、現在は”すえ”と称しているそうな。全国に数多ある八幡神社でもあります。

その近くに、天誅組が決起した時に本陣を置き五條仮政府を称したという歴史のある桜井寺がありました。
 
左:本堂の軒下には旧本堂の柱(梁?)があり、天誅組「尻之傷跡」という説明書きが。
右:天誅組が討ち取った五条代官・鈴木源内ほか5人の首を洗ったと伝えられる石手水鉢がありました。

 
左:新町通り入口正面にある創業130余年のナカコ将油。
右:吉野川(紀ノ川)。

新町通りには行かず、吉野川(紀ノ川)の南側を少し散策することにしました。

岡松家長屋門。岡松家は野原の代官を務めていました。この門は市指定文化財。

 
その近くにあった、辯天宗総本山如意寺。辯天宗は昭和27年に宗祖智辯尊女により立宗されたとか。結構新しいんですね。この日はちょうどお彼岸ということもあり、境内に信者が来ていました。その中で、一人御朱印をもらうリュック姿のおっさんはかなり浮いていたと思われ(^^;)

 
さらにその近くに、関西花の寺第二十三番・小松山金剛寺がありました。まぁ、もう季節がら花はないのですが、拝観してきました。金剛寺は今から800年前、平安朝の文化人小松内大臣、平重盛公の創建による古寺と言われています。枯山水の庭とか本尊の薬師如来とか、阿弥陀堂の阿弥陀如来とか小さいながら見どころのあるお寺でした。

参拝も終わり、少し離れすぎた感があるので、急いで新町通りに戻ります。

新町通り入口脇の古民家がいきなり重厚な造りでした。
 
左:栗山家住宅。慶長12(1607)年築。建築年代の判る民家では日本最古。残念ながら非公開。重要文化財。
右:栗山邸。元禄9(1696)年の棟札があり、五條の町家では珍しく単層に見せる構造です。こちらも栗山なんですが、分家かなんかですかね?市指定文化財で非公開。

 
左:山本本家酒造。創業300年の造り酒屋。1本買えばよかったかなぁと後悔。
右:餅商一ツ橋。2018年に100年の歴史に終止符を打ち閉店しました。もっと早く訪れていれば・・・・。餅食べたかったなぁ。

その1はここまで。旧い町並み最高じゃ!!(^.^)