名古屋観光 その2

4日は名古屋城を見た後、ホテル(ビジネスホテルだけどね)へチェックイン。しばしの休憩の後、ご飯を食べに名古屋の夜の町へ。ホテルのお風呂は味気ないので、前もって探していた銭湯へ行きました。後はホテルの部屋で、買ってきたお酒を飲みつつ、明日の段取りを。友人達は名古屋の港のほうへ行くというので、わたしは別行動をとることにしました。
城好きなわたしとしては、近くにあるあの城、国宝犬山城に行かないわけにはいかないでしょう。あと熱田神宮へのお参りもしたいので、その辺をぶらっと散策することにしました。
もう乗ることないんじゃないかと思う名古屋鉄道に乗って、犬山遊園駅で降りて犬山城に向かいます。城のほうに向かう人はほとんどいなくて、他の乗客はモンキーパークへ行くためにモノレールに向かってました。駅にマップが置いてなくて、道中少し不安になりました。城への入り口もかなり分かりにくく、歩いてくる人のことは考えてないのでは?と思うほど。ちょっといらっときました(^^ゞ
■犬山城とは■
犬山城は天文6年(1537)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となったが、天文16年(1547年)岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田十郎佐衛門信清が城主となった。その後、難題か城主が変わり、文禄4年(1595年)石川備前守光吉が守った。慶長5年(1600)関が原の合戦後、小笠原和泉守吉次が入城した。この石川、小笠原両氏の手によって、近世の犬山城が完成された。
その後、平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617)成瀬隼人正正成が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。
明治4年9代目正肥のとき廃藩置県で廃城となり天守を除くほかは殆ど取り壊された。同24年濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門が壊れたので同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ、唯一の個人所有の城として現在に至っている。
昭和2年11月20日、天皇陛下が登閣され、同10年5月13日国宝に指定された。
 
この神社は駐車場から国宝犬山城に行く途中にある「針鋼神社」です。犬山城内にある本殿・拝殿を備えた当地の産土神[うぶすながみ]がまつられた神社で、江戸時代には、犬山城主成瀬政親の祈願所でもありました。4月第一土・日曜には、桜の下を車山[やま]が練り歩く、犬山まつりが開催されてます。

現存する天守で国宝に指定されているのはわずかに4つ(ほかに松本城、彦根城、姫路城)で、そのうちの1つがこの犬山城天守です。三層四階の天守で小振りですが、入母屋の上に望楼をあげるという古い様式がよくわかります。一階二階の入母屋部分は室町期、三階四階は江戸時代に建てられたらしいです。
内部は自由に見る事ができます。最上階からの眺望は絶景ですが、身を乗り出しすぎて、欄干(というのかな?)低いので落ちないように気をつけてくださいね。あと、階段が急ですので、スカートでの登城は止めたほうがいいかも(^^ゞ
右端は天守南東の「切妻付櫓」です。この付櫓と西北隅の石落としの間は、昭和36年からの解体修理工事の際に復元されました。
 
左が場内にある御神木の杉の木。数百年の風雪に耐えてきたが、現在は残念ながら死んでいます。しかし、枝を切り囲いをし、保存につとめています。
右が9代藩主成瀬正肥の功績をたたえる為に建てられた碑です。

城の近くに、犬山市文化資料館があります。わたしはここで初めて、犬山まつりを知りました。13台もの山車が曳きまわされるのだそうで、これはぜひ見てみたいなと思いました。この資料館にはその山車が展示されていますが、これが見上げるばかりの大きさ。8mほどあるそうです。人形からくりも披露されるそうです。
写真が、その人形からくりを紹介する「からくり展示館」です。わたしが訪れたとき、ちょうどお茶くみ人形の実演と説明をしていました。お茶を運んで引き返す距離の調整を知ってへーーっとなりました。山車で披露されていたからくりも実演してもらって、これもほーーっと関心。この2つの資料館は小さいながらも感心することばかりで楽しかったです。 
城を後にして、近くにあるもうひとつの国宝を見に行きます。この紹介はその3で・・・・。