岡山観光 その3

2日目は岡山城と後楽園を回ります。博物館が結構あるんですがさすがに見て回る時間はないので今回は惜しいけど却下。
■岡山城■
備前国邑久郡から起った宇喜多直家が、岡山の地・石山にあった岡山城の前身にあたる城砦に入城したのは、天正元年(1573)の秋であった。
石山の城はこの地の豪族であった金光氏の小城に過ぎなかったが、直家は、この城を大改築して居城とし、城下町の経営に着手し岡山繁栄の基礎をつくった。
その子八郎秀家は、天正18年(1590)秀吉の意見に従い、石山の東「岡山」に本丸を移し城郭の拡張整備を開始し、慶長2年(1597)天守閣が落成するにおよんで城普請は完成した。これが豪壮きわまりない石垣と内堀を今に残す岡山城本丸である。
秀家の築いた天守閣は、二階建の建物を大中小の三つに重ねた3層6階の構造で、外壁の下見板が黒塗りであったことから「烏城(うじょう)」の別名がある。
この天守閣は、昭和6年に国宝に指定されたが、第2次世界大戦による昭和20年(1945)6月29日の、市街地空襲により焼失した。
現在の天守閣は、昭和41年(1966)11月に鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、外観は全く旧来の通り復元されている。(説明版より)
路面電車に乗って、城下駅で降ります。この路面電車、新しくて嵐電になれているわたしとしてはかなり違和感が。ノスタルジックなほうの車両に乗りたかったですね。
駅を降りててくてく歩くと、お城が見えてきました。
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左に見えるのが後楽園に渡る月見橋。
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左が廊下門。表向搦手の城門で、本段・表向の両御殿をつなぐ渡り廊下の役割も果たしていました。明治期に破却され、戦後再建されました。右が不明(あかずの)門。本段の正門にふさわしい風格を備えた大型櫓門です。ただし通常は閉じられたままで使用されることはなく、不明(あかず)の名はこれに由来します。明治期に破却され、戦後天守とともに再建されました。
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現存する2つの櫓のうちの一つ、月見櫓。本丸唯一の現存建築物で、外観二層櫓だが、表向内から見ると三層になっています。1層目・2層目とも唐破風出窓や出窓格子が多用されていて、数ある二層櫓の中でももっとも優美な姿をしています。この3連休、ちょうど内部公開をしていまして、中に入ることができました。
武者隠しと呼ばれる、城内に侵入した敵を迎撃するために隠れているための施設。敵の隙をついてここから飛び出し攻撃するそうです。いい屋根裏部屋ですねぇ。
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左は発掘調査で本丸中の段に出現した宇喜多秀家期の石垣。 出土した一部を展示しています。 右は天守閣の礎石。天守閣は昭和20年6月の戦災で焼失し、昭和41年に元の位置に再建されたため、礎石のみをここに移し、元の配置で設置されています。
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天守閣。天守閣は三重六階で、織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられています。全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台であり、関ヶ原の戦い前の天守閣の様式を伝える物として貴重な存在。
また黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう」と呼ばれ、金の鯱を挙げていたといい「金烏城」の名もあります。付け櫓として塩蔵があるのも古い様式であることを物語っています。
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不等辺五角形であることがわかりますか?方向によってこれほど見え方の違う天守閣もそうはないでしょう。最上階から後楽園を望みます。金のシャチホコガまぶしすぎ(^.^)
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籠に乗るバカ殿(^^ゞ
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六十一雁木門跡と要害門です。この門は上の段(本段)の東側にあり、御殿に勤める女中の通用口として使われていました。石垣(雁木)が六十一あることからその名がついたそうで、手前が六十一雁木門跡、奥が要害門(復元)です。右は場内で行われていた菊花展の菊。見事の一言。
黒と白の見事な天守閣はやはりよかったです。関ヶ原以前に建てられたお城はどこか無骨な感じがしていかにも城らしいですね。戦災で焼失したのが非常に悔やまれます。
ただ、特別展で入場料が2倍以上になっているのにはちょっとなぁ・・と思いました。内容がよければそうは思わないけど、展示物は後楽園の県立博物館のほうが圧倒的によかった(600円)からなぁ・・・。
続けようかと思いましたが、ここでいったん区切って、その4へ続きます!