朝来市観光(竹田の町とムーセ旧居) その2

城攻めの次は町攻め。結構いい町並みが残っているとのことなので、これは行ってみない訳にはいきません(^.^)
思った以上に町は狭い上、駐車が見当たらなくてえらい難儀しました。最終的には、本日休館だったあったかプラザに駐車して安心して街散策を開始。
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左:竹田駅。木造瓦葺きの駅舎が、現役で使われ続けています。
右:竹田駅を左手に少し進んで線路を越えて進むと、寺町通りに出ます。その裏手にある赤松広秀の屋敷跡と言われる所。
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左:忠魂碑公園。  右:稲荷大明神。ちゃんと階段上がってお参りしましたよ(^.^)
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左:お寺がが4つ並ぶ寺町通り。お寺に渡る橋はすべて江戸時代に建造されたそうです。
右:常光寺にあった、初代竹田城城主太田垣光景の供養塔。
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左:表米(ひょうまい)神社。
「表米宿彌命を祀る。宿彌命は赤淵神社(枚田)俵米神社(久世田)の祭神でもあり、丹後・白井の浜 に来襲した新羅の賊を討伐した武人である。神社は宝永年間(1704~1710)にこの地へ移されたと伝えられている。本殿は、三間社流造で、千鳥破風を 有している。また、干支を周囲にめぐらせており、その彫刻はすばらしい。」(朝来市HPより)
右:全国的にも珍しい相撲桟敷があります。手前の石段がそうで、土俵を越えた正面には舞台もありました。
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左:こんぴら神社にある旧えびす橋。これも江戸時代に建造された橋。
右:趣のある家屋が点在しています。ちなみに竹田城が廃城になったあと、竹田の町は宿場町として栄えたそうです。
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左:木村酒造跡。台風によってかなり被害を受けたままのようです。なにかに活用しないのかな、この建物。もったいない気がする。
右:渋い家だわ。うだつがあげられているように見えますが・・・。
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左:残念ながら休館日だったあったかプラザ。明治時代の旧医院を改修した建物で、休憩処として使われています。
右:竹田の町から見上げる竹田城。
落ち着いたいい感じの町を後にして、ムーセ旧居なる明治期の洋館に寄り道することにします。しばらく車で走って現地へついたなと思った瞬間、どでかい廃墟のような建物が目に飛び込んできました。現地の説明看板で、これが神子畑選鉱所(みこばたせんこうしょ)の跡地だということがわかりました。
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神子畑選鉱所は、明延鉱山で採掘された鉱石を選り分けたのち、生野製錬所へ送る役割を担っていました。明延鉱山からは、明神電車(通称、一円電車)という軌道で鉱石が搬送されていました。1973年(昭和48年)に閉山された後は、廃墟となり残存していましたが、2004年に撤去されました。
ムーセ旧居はすぐ横にありました。残念ながら、土日祝の休日しか開館していないことが現地でわかりちょっとショック。仕方ないので、外観写真だけ撮りました。
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「明治初期、生野に建てられたフランス人鉱山技師ムーセの宿舎で、神子畑に移築されてからは、鉱山の事務所や診療所として使われました。現在は、写真家・織作峰子さんの作品や鉱山に関する資料を公開しています。」(Web上の説明より)
閉館してましたが、行った甲斐はあったかなと。撤去される前に来ておけばよかったなぁと、ちょっと思いましたが(^.^)
次なる目的地、生野銀山へ向かいます。ここで、その3へ続く。意外と引っ張りますよ(^.^)