朝来市観光(生野銀山PartⅠ) その3

ムーセ旧居から、ブィーーーーっと生野銀山へ向かいます。思ったより近くて30分くらいで到着。
■生野銀山■
「生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる。室町年間の天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、多くの坑(鉱山)が開かれ開坑の起現といわれている。永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる。(銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている)
その後、織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、慶長5年(1600年)徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えてきた。
享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出しました。
明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。明治政府は近代化を推し進めるため、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コワニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、コワニエが帰国するまで10年の間、製鉱所(精錬所)の工事を着工。生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立をめざした。
明治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。
明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきましたが、昭和48年(1973年)に閉山しました。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいます。
昭和49年(1974年)に観光施設として(株)シルバー生野が開業しました。
平成19年(2007年)には、銀が発見されてから1200年を迎え、「生野銀山開坑1200年事業」が盛大に執り行なわれた。」(公式サイトより)
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左:生野銀山入口。菊の御紋が入った門柱は明治6年に建てられたもので、朝来市指定文化財になっています。
右:一円電車が展示されていました。明延鉱山、神子畑選鉱場、生野鉱山を結ぶ鉱山トロッコ電車は、通称「一円電車」と呼ばれ、鉱石と乗客の輸送に活躍していました。一円電車は正式には「明神電車」といい、昭和20年に敷設され明延鉱山閉山まで運行されていました。
レストランにて「生野ハヤシライス(結構ウマウマ)」を食べて腹ごなし。そして900円の料金を払っていざ入山(^.^)
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左:代官所門の先は有料。
右:坑道横にある滝は、「生野銀山不動滝」というそうな。なかなか見事な滝です。
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左:金香瀬の坑口。ここから構内へ。坑道は約1kmもあります。
右:入口からしばらくは江戸時代採掘ゾーン。坑内作業を電動人形で再現。
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左:狸掘。地表の露頭から鉱石を追って無計画に掘り進む採鉱法で、技術の未発達な時代に小規模稼行(かこう)の場合に行われた。採掘跡が狸穴のようになるためこの名があります。(web上の説明より)
右:近代掘削ゾーン。鉱石運搬作業中。坑内用バッテリー機関車に乗せて運びます。
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左:発破作業中。横に疑似体験コーナーがあって、ボタンを押すとドーーーンときます(^.^)
右:シュリンケージ。鉱脈というのは丁度一枚の板を立てたような状況で地下から噴出しておりその長さは1km以上にも達するものがあります。鉱脈を破砕し順次鉱石を井戸にかき落としていくとこのような空洞ができます。(案内板より)
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左:馬蹄に見える事から、この枠組みは「馬蹄型鋼枠二枚合掌」と呼ばれています。
右:岩盤から水が垂れ落ちているのを樽で受けていた。豊臣秀吉がこの地に入った時にこの水を飲み、そのおいしさを絶賛してこの水で茶をたてた、という由来がある、太閤水。でも、これは飲んじゃダメ(^.^)
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左:構内に滝が。神様としてお祀りしてありましたので、手を合わせておきました。
右:GD99長孔削岩機にて長距離の孔をあけ鉱石の有無を確かめる作業中。
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左:巨大な巻揚機。これで坑内エレベーターを動かしていました。
右:見上げるとワイヤーがはるか頭上まで伸びていました。
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左:人車。坑内員の入退坑に使用されていました。
右:光栄立坑ケージ。エレベーターに乗って地下へ・・・。どんな思いで乗ってたんでしょうねぇ。
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左:そして江戸時代へ。ここは休憩場所。
右:銀石の記帳と見回り役人(出方相改取締)。
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左:出口近く。トロッコ列車のレールが残されていました。
右:金香瀬坑出口。すぐ上での採掘の様子を人形で表現してました。看板には「滝間歩旧坑」とありました。
坑内温度 13度。寒いけど湿度がかなりあるので、ぶるっとはこないです。坑道から出た瞬間、メガネ曇りまくり(^_^;)
坑内だけでは銀山の魅力は半分も紹介したことになりません。つづきはPartⅡへ。乞うご期待(^.^)